「強い国」への全面対決は一紙のみ ―2014年の元旦6紙を読む―
- 2014年 1月 3日
- 時代をみる
- 元旦半澤健市社説
元旦の大手6紙を読んだ感想を書く。
もう5回目になった。能力と時間の制限があり社説中心となった。
《「強い国」論への強い支持》
産経新聞の現状分析は明確かつ一面的である。「国守り抜く決意と能力を」と題して、危機感を煽り強い国家日本への離陸を力説する。論説委員長樫山幸夫は、故JFケネディ米元大統領のハーバード大卒論『英国はなぜ眠ったのか』(1940年)から説き起こす。JFKは、チェンバレン英首相の融和外交がナチスの台頭を許したと書いたという。「年のはじめに」という名前の社説―産経は何故か社説と自称しない―の筆者は自らをJFKになぞらえたのであろう。
冷戦構造の解体、中国台頭、米国衰退で、オバマ米大統領は「米国は世界の警察官ではない」というのだから「日本は、戦後秩序の「他者依存」から脱却し、自ら国を守らねばならない」のである。「日米同盟」までは否定しないが、一気呵成に、「積極的平和主義」賛成、「国家安全保障戦略」賛成、「集団的自衛権」賛成、「首相靖国参拝」賛成、「憲法改正」賛成の文脈が続く。一方では、リベラル派批判にも意を用い、秘密保護法反対の「一部メディアの論陣は「過剰反応」を通り越して、噴飯ものだった。ナンセンスな議論は国の安全を脅かすから罪は重い」と断ずる。自社が昨年発表した「国民の憲法」にも触れ、結論を「戦後価値観を高枕に眠っているわけにはいくまい」と結んでいる。
「戦後価値観」からの脱却を説くこの論説は安倍晋三の「戦後レジーム」からの脱却論を補強するものであり、ジャーナリズムというより「提灯持ち」の好例である。
しかし私はこの論説に危機感を持つ。30年前なら日本のインテリは、この種の言説を『諸君!』、『正論』の輩の戯れ言だと鼻で笑って済んだ。しかし「リベラル21」同人を除く、私の友人が10人集まれば7人はこの説に賛同するであろう。安倍の靖国参拝は、中韓だけから非難されたのではない。米国、国連、EU、アジア諸国から程度の差はあれ批判の言葉が発せられた。それでも「国に命を捧げた人々の霊にぬかずくのは当然だろう」という社説の一節に、国内では反論するのは容易ではなくなった。
この国は「外からは中が見えるが中からは外が見えない金魚鉢」のような国になっているのである。敗戦翌日に我々の価値観は、ズルッと変わった。戦争総括なしに変わった。いま産経社説的価値観に変わりつつあるのは、戦後総括をしないで変わるのである。我々は「ズルッと」でも、「徐々に」でも、価値観の変化に内面の葛藤のない人間集団なのであろうか。
《含羞があっても内容は同じ》
読売新聞の社説は、長文であるが論調は産経と同じである。いくらか含羞があるのであろう。「日本浮上へ総力を結集せよ―「経済」と「中国」に万全の対策を―」と題して、対中問題へは直行せずアベノミクスと対中問題の順に論ずる。前者への評価はそんなに高くない。景気中折れのリスクや成長戦略の後退を挙げている。同時に民主党政権の無責任な原発ゼロをやめて原発を「ベース電源」とするエネルギー基本戦略を評価している。対中国問題を論ずるベクトルの方向は同じである。
基本的に安倍路線への讃歌である。産経との違いは、「日中両国の外交・防衛当事者による対話」、「自衛隊と中国軍との間に、不測の事態を回避する連絡メカニズムを構築することが急務となる」という具体的な提言があることだ。「連絡メカニズム」については毎日に解説があった。危機管理の実務者レベルによる組織である。
これは安倍首相自らの考えであり、バイデン米副大統領の要請であり、中国側も基本的には賛成という状況にあると言う。しかし首脳会談が開けない段階で、どこまで実効性があるのか。私は懐疑的である。
長文なのに、靖国参拝については「安倍首相の靖国参拝が、中国側に対話を拒む口実に使われることかあってはならない」と3行で済ませている。渡辺恒雄は靖国神社への強い嫌悪感をもつから本説の筆者は手がかじかんだのであろう。「すまじきものは宮仕え」か。
《民主主義論と経済一辺倒》
朝日新聞の社説は「政治と市民 にぎやかな民主主義に」と題する。東京・小平市の雑木林の都道化に対して住民投票を組織した哲学者国分功一郎の「ものごとを実質的に決めているのは「行政機関」ではないか」という発言を起点として、「強い行政・弱い立法」の問題点を論ずる。秘密保護法の成立に関しても「行政府が民意の引力圏から一段と抜け出すことになった」という。こういう事態はグローバル化の進展によって世界中で起きている現象だという。外国の政治学者の説や国分の「(民主主義を)強化するパーツが必要」の説を引いて、投票日だけの有権者でな日常的に主権者としてふるまうことの提言である。この社説のいうことが誤りだとは思わないが、2014年の元旦社説としてはビントが外れている。安倍政権の軍事化、原発推進、対米従属深化、憲法改悪に対する正面からの対決姿勢が感じられない。
「行政が立法に優位する」、即ち「有司専制」または「開発独裁」は明治以来の常識である。しかも開発独裁は戦後の経済成長には奏功したのである。
自民党が55年の結党以来党是としてきた憲法改正法案を、なぜ半世紀後のいま提示するのか。提示できるようになったのか。この深刻な課題は「行政対立法」論では解けない。米中逆転に起因する日米関係の変化、国内の階層構成と階級意識の変化、産業構造の転換(例えば家電から兵器や原発)に発する資本蓄積と権力の構造変化。ここまで降りていかないと説明できないと思う。朝日の抽象論は紳士的で脆弱な印象を私に与えた。
毎日新聞の「民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう」は読み応えがあった。民主主義の幹は「選挙」と「多数決」であるという。一方で筆者は「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の句を引き、その棒は「ナショナリズム(強い国)」と多数を頼んだ「不寛容」だったとする。多様な形の愛国心や寛容で自由な空気が、枝となり葉となって民主主義の幹を健全な根の張ったものにする。メディアもその枝葉の一つになりたい。社説はこう結ぶ。しかし、今や偏狭なナショナリズムの棒が、民主主義という幹自体を倒しかぬ状況が発生している。枝葉になるだけでは足りないのではないか。もっと果敢に踏み込んで欲しい。
日本経済新聞の社説は「変わる世界に長期の国家戦略を」と題する。
1820年の世界のGDPの半分はアジアが握っていた。2020年に予想される事態はその再現だと説き始める日経は、徹頭徹尾、経済成長の勧め、日本経済の復活展望である。「経済わが命」論である。安倍の独善外交、原発再稼働、格差拡大に一切触れない。日本のブルジョアジーは中国との商売で食っているのである。その御用メディアとして安倍政権を批判する必要はないのか。それとも所詮は商社の相場報道から出発したメディアの宿命なのであろうか。
東京新聞社説のタイトルは「人間中心の国づくりへ」。内容は今年も真っ当である。「強い国」を排する。経済や軍事でなく人間を大切にする国に未来と希望がある。だから、秘密保護法、国家安全保障戦略、新防衛大綱、中期防衛力整備計画、専守防衛からの転換、のいずれにも極めて批判的か反対を表明している。日本の戦略転換が世界からどう見られているか。市場原理主義(=アベノミクスにも通ずる)の暗部である「新プロレタリア文学」的状況の出現にも言及する。希望はどこから来るのか。フランクルの『夜と霧』にギリギリの希望を見出して、所得再分配、脱原発政策を謳う。
産経から始まる社説紹介の読者は、東京社説が理想主義的に見えるであろう。
しかし私は東京新聞の論調が、1930年代に生れた私の世代の、民主主義観を辛くも保持しているように感ずる。今年は東京新聞への権力からの総攻撃が始まるだろう。東京を応援したいと思う。調子に乗らず頑張って欲しい。読者の声なき声をよく聞いて欲しい。
《AKB48と岡田武史》
社説の紹介で紙数がなくなった。あとは気がついた事項を数項目挙げて終わりにする。産経で安倍晋三と秋元康がにこやかに対談している。敵もさるものである。「強い日本」には、AKB48のようなサブカルチュアもあるのである。十代の娘のパフォーマンスと思っていると、アベノミクスや防諜法への道を歩いていたことになるのだ。安倍は大晦日に特攻映画『永遠の〇(ゼロ)』を夫婦で観たという。硬軟取り混ぜたイデオロギーの注入には警戒が必要である。これに対して99%の側は、思想も武器弾薬も、不足している。
同じく産経では「従軍慰安婦」に関する河野談話の作成時に事前に韓国とすりあわせがあったという。「日韓合作」による「欺瞞性」として報じている。これが真実なら、当事者は正確な事実を説明する責任がある。
毎日は、中国が3年前に防空識別圏を提示していたことを明らかにした。
東京が東電の海外子会社による租税回避国を利用した資金蓄積を報じている。
日経、朝日などが国内外各地で働く若者の記事を載せている。私の世代には信じられないようなグローバルな時代になった。彼らの行動も両義的である。新自由主義的な出世につながる者があり、新しいボランティアのスタイルが生まれる場合もある。
日経の「私の履歴書」に小澤征爾が登場した。
全紙の政治記事に公明党に関する記事が見つからなかった。安倍政権存続のカギを握るこの政党の徹底解剖が早急に必要である。この政党はかつて反戦平和を唱えただけではない。一時期は、共産党とも共闘した歴史がある。その庶民政党はどうなってしまったのか。是非知りたいものである。
朝日が載せたサッカーの岡田武史日本チーム前監督へのインタビューが良かった。彼は最近まで中国サッカーチームの監督を務めていた。その一節を載せて「元旦6紙を読む」を終わる。
「ぼくは、どんな問題があっても自分の子どもを戦場に送りたくない。中国の親だって同じだよ。答えは簡単だ。話し合いしかない。国と国、文化と文化がぶつかれば、接点をさぐるしかない」、「だけどね、こんな風に話すと、あいつ、どうしちゃったんだ、国を売ったのか、と言われかねない危険な空気があるよね、いまの日本には」、「ぼくは日本代表の監督もやった。日の丸をつけて、ものすごい誇りをもって戦いましたよ。でもね、相手もすべてをかけて戦っていることは尊重している。ナショナリズムは自分たちだけのものじゃない。どちらも国を愛する気持ちを持っていることを理解しないと、ね」。(2014年1月2日記)
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