天皇夫妻発言の「重さ」 ―「戦後レジーム」を忘れないために―
- 2014年 1月 5日
- 時代をみる
- 半澤健市天皇
2013年12月23日の「天皇誕生日」に先立ち18日に天皇の記者会見があった。
私が強い印象を得た天皇の発言は次の三つである。
一つ。八〇年間の最大関心事は「先の戦争」であったこと。戦争は多くの若い夢と未来を奪ったこと。
二つ。戦後復興は、平和憲法と民主主義と国民の努力による。その努力に感謝すること。
三つ。美智子皇后との結婚は、天皇の孤独を救い、天皇の役割遂行に寄与したこと。
《反戦・平和・民主主義》
天皇は「先の戦争」の性格を明示的に語らない。
全国民が昭和天皇に命を捧げること。それを至高の価値としたのが「先の戦争」であった。しかし、明仁天皇は開口するや直ちに「この戦争による日本人の犠牲者ぱ310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と言っている。若者の落命を痛惜する心情は、「大東亜戦争」観とは異なるものである。ある政治家は、戦死者を「英霊」とし「尊崇の念」を捧げる。二つの視点は異っている。「日本人は310万人」には、外国人の死者が含意されている。私は天皇発言に反戦思想を感ずる。
「戦後、連合国の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」。
この文章で日本国憲法を目的語とする主語は「日本」である。注意深く「占領下にあった」という形容はある。だがこれは「押し付け憲法」論に対する静かな反論である。戦後日本を成功した国とみている。国民に「深い感謝」をしている。戦後総体の肯定である。
美智子皇后と結婚して「良い奥さんを貰って幸福だった」と言っているだけでない。「結婚により私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました」といっている。
《共に大切にしたいと思うもの》
「共に大切にしたいと思うもの」とは何か。
美智子皇后は10月20日の誕生日に際して記者質問へ文書で「回答」した。今年印象に残ったこととして、未解決の東北災害や異常気象、伊豆大島の災害などへの心配を述べたあと、「今年は憲法論議が盛んだった」といって、自ら憲法論を展開する。東京・五日市の郷土館訪問を回想していう。原文を引用する。
「五日市憲法草案のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが(略)自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」。
「押し付け憲法」批判どころではない。数百の自主憲法案が明治初期に作られたことを述べて自由民権への再認識を求めている。また、今年の他界を偲ぶ人物の中に、『暮しの手帖』の大橋鎮子、新憲法成立に寄与したベアテ・シロタ・ゴードン、中国映画の先駆的紹介者高野悦子らの名前を挙げている。天皇の「共に大切にしたいと思うもの」は皇后の発言を意識していると私は感じた。
《早々に問われる「戦後レジーム」》
天皇夫妻は「戦後レジーム」を擁護しているのである。
国民の総意に基づく天皇が「戦後レジームの擁護」を言い、国権の最高機関に選ばれた首相が「戦後レジームからの脱出」を言う。2014年初頭、この国はこういう構図の中にある。人々がこれを強く意識していないのは異様である。「戦後レジーム」に欠点がないわけではない。その現実は欠点だらけとも言える。しかし、いま我々は「原理」「原則」を問われているのである。
危機はすでに我々を包囲している。俄に現実政治に転ずるが、新年早々に行われる二つの首長選挙は、この危機への回答を、我々に迫っている。
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