「伊方の家」通信No.3
- 2014年 1月 9日
- 評論・紹介・意見
- 「伊方の家」通信
新年が明けてはや1週間がたった。東京では「明けましてアベだとう」が新年の挨拶の合言葉になっているそうだが、暮れ~正月はのんびりした時間をすごした。年末の27日、28日は雪がちらつき、南の宇和島では薄っすらと雪が積もり、松山道も大洲インターから西が通行止めになるなど、愛媛の南域で雪と、ちょっと驚かされた。だが、30日から新年この方は好天が続き、穏やかで暖かな日々で、さすが四国と実感することができた。
正月明けの5日は、原発さよなら四国ネットワークの新年最初の街宣とミーティングがあり、それに参加した。午前11時から松山市の最中心街・市駅前で、10人ほどでチラシまきとマイクアピールをおこなった。チラシはエネルギー基本計画に対するパブコメを訴える何人かの似顔絵入りのメッセージが載っていたりするユニークなもので、東京での街宣とは比べようもなくチラシの受け取りがいい。中には長く話し込んで行く人も。マイクアピールは「瀬戸の花嫁」や「イムジン河」の替え歌も入り混じって賑やかなものだ。
午後からのミーティングは、今年いよいよ迫ってくる再稼働阻止へどう闘っていくか、真剣さと重苦しさの中、模索するように議論は続く。3月議会や更田の最終現地調査を焦点としたいくつかの行動が決まった。
6日には、半島全域で戸別配布する伊方原発50km圏内住民有志の会のチラシも入稿し、八幡浜市での議会決議を求める請願署名の用紙も作成し、1・11ゲート前行動を皮切りに始める活動の準備も着々と整っていく。夜、何人かで話していると、ああいうことも、こういうことも、とイメージが膨らんでくる。この「伊方の家」を基地としていろいろな人が各地から集まりながら、それぞれの創意を生かした活動が広がっていくような予感を感じることができた。
暮れ~正月はできるだけ八幡浜市の中を出歩いてみた。JR八幡浜駅の近辺には駅前のホテル以外に、小さな旅館がいくつも点在している。それは原発関連で働く人の宿泊用なのだろうか。そう言えば八幡浜市の商工会は、伊方原発について、1・2号機は廃炉にして3号機は稼働させて良い、というのがその態度だそうだ。愛宕山に登って市を見下ろすと、八幡浜市は海にすぐ山が迫っており、狭い平地に市街地が密集している。明治から商人の町として発展してきそうで、昔からの軒並みも多く見られる。他方、八幡浜港はトロール漁業の基地であり、市街地のまわりは柑橘類の一大産地として段々畑に取り囲まれている。
八幡浜市は伊方原発から10km~20kmの間に全体が入っているから、ひとたび福島のような事故があれば放射能が降り注ぎ、被爆を強いられ、全てを失ってしまう。なんとか、八幡浜市民・自治体・漁協・農協に伊方原発を再稼働させてはいけないということを訴えていきたい。正月にはどこに行っても若い人達や子供たちが多かった。何故かほっとした気分になると同時に、このことを痛感させられる。
元旦の愛媛新聞は原発事故の際に離島が置かれる状況を特集していた。八幡浜市の大島では逃げられず、救助もない中で、数日間、旧小中学校の4教室に閉じこもるということで、放射線防護の改修工事中ということだ。市は3日くらいで救助がくるという希望的観測に基づくお守り的なものという位置づけらしい。「原発さえなければ、こがいなもんつくらんでええがやけどな」というのが、説明会に参加した住民の感想だったという。
正月3日は、路線バスに乗って亀ケ池温泉に行ってみた。なかなかの賑わいで若い人の姿が多かった。路線バスは伊方町役場の前を通った後、宇和海の海岸沿いのくねくねした1車線の道を進んでいく。(途中いくつものヘアピンカーブで山に上り下りもするのだが) そしてところどころ入江が現れ、その入江伝いにこの半島にへばりつくかのように集落がある。近々これらの集落を一つ一つ訪ね歩き、チラシを個別配布し、対話して回るのだ、と目に焼き付けた。さあ、いよいよこれからだ。
最後に、Hさん、Iさんからは、雑煮やおせちのセット、多大の海の幸を持ち込んでいただいた。深い感謝をもってお礼を申し上げておきたい。
(Y・T)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
経産省前テントひろば代表 淵上太郎の声明
資源エネルギー庁の総合資源エネルギー調査会総合部会(後、基本政策分科会)は、新たなエネルギー政策について、2013年12月に「意見」として約10ヶ月に亘る会議を纏め上げた。
このまとめ意見について2013年12月6日から、いわゆるパブリックコメントが求められてきたが、本日がその締め切りの日となっている。
この「意見」は、2010年の「エネルギー基本計画の第2次改定」と基本的に全く同じものである。
2012年には、東電福島原発事故を受けて、民主党政権下において、革新的エネルギー・環境戦略として「2030年代に原発ゼロを可能にするよう、あらゆる政策資源を投入する」という決定をしているが、極めて不十分であったこともあり閣議決定には至らなかった。
昨年末登場した自民党安倍総理は、この間、「国民生活や経済活動に支障が出ることのないように、エネルギー需給の安定に万全を期す」「エネルギーの安定供給」「コストの低減」「規制委員会により規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重し原子力発電所の再稼働を進める」といった発言を繰り返してきた。
今回の意見は、この総理の発言等と軌を一にするものであって、2012年の革新的エネルギー・環境戦略の決定を容赦なく踏みにじったものである。経産官僚が、原発推進・再稼働ありきの規定方針のもとで、17回に亘る会合を強引に取り仕切ってきた結果でもある。
もとより総合部会・分科会委員15名は、総合エネルギー調査会の会長である三村明夫(元鉄鋼連盟会長、新日鉄住金相談役・名誉会長)が茂木大臣と相談して決めたものであるが、原発反対派は圧倒的少数である。
経済成長のためには、原子力を「基盤となる重要なベース電源」として位置づけることこそが、今回の主要な狙いであったことだけは明確である。その限りにおいて、「シビアアクシデント対策を講じることが出来ず、深刻な事態を防ぐことができなかったことを深く反省し、このような事態を二度と起こさないようにするため、事故原因を徹底的に究明し、安全性向上のための努力を不断に講じなくてはならない」などと言っても、彼らにとっては枕詞にしかなっていない。
私たちは、今回の総合資源エネルギー調査会基本政策分科会のまとめた「意見」について、全く認めることは出来ない。ましてや、パブコメ募集1ヶ月の締め切り直後に、閣議決定をしようとは、断じて許すことはできない。
原発に反対する福島の人々は、「経済より命」と言っている。今日でも国民の大部分は「原発ゼロ」を期待している。ここにこそ真摯に耳を傾けるべき国民の意志があると私たちは、確信する。
私たち「経産省前テントひろば」は、新年を迎えて、「脱・反原発」の闘いとその全国的運動の1つの拠点として、引き続き奮闘する決意を改めて明らかにするものである。
2014年1月6日
経産省前テントひろば代表 淵上 太郎
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4710:140109〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。