1・18現代史研究会:時論・理論・史論」としての資本主義論 -和田重司『資本主義観の経済思想史』へのコメント-
- 2014年 1月 11日
- スタディルーム
- 内田弘現代史研究会
現代史研究会2014年1月18日(土)13時~17時
明治大学リバティタワー1064教室
内田 弘
[始めに] 和田重司氏による本書は、資本主義の歴史を経済思想史の観点から,スチュアート(1713-1780)・スミス(1723-1790)・ミル(1806-1873)・マルクス(1818-1883)・マーシャル(1842-1924)・ケインズ(1883-1946) ・アメリカ経済学という大変長期な資本主義についての考察を、単に概観するだけでなく、その内容に深く立ち入った考察でもって総括する力作・問題作である。この観点は和田氏自身の自覚的な観点でもある。「近来、経済学史の分野に限らず、経済史の分野でも経済学一般においても、細部の個別研究が盛んで、大きな流れを論じたり全体的な構造を分析したりする論策は、大変少ない」(本書iii頁)。
詳細な個別研究に携わっているときにも、いやそのときにこそ、その部分が全体のどのような位置にあるのか、全体像を個別研究が如何に深めるのか、あるいは従来の全体像を根本的に変換するのか、という自覚的な問題意識が希薄になっている。個別研究それ自体が自己目的になっている。しかも、そのことを自覚しない。他方で、自己の全体像を支える核心に理論問題が無いのかを点検することなく大風呂敷を広げる場合もある。和田氏の本書の研究法は、その《視野狭窄の個別研究》と《根拠薄弱な総論》を両面批判するものである。
以前、和田氏はアダム・スミスに集中する研究家であった。その研究成果は『アダム・スミスの政治経済学』(ミネルヴァ書房・1978年)に集大成されている。「分業」範疇こそ、『国富論』全体系を編成する原理であるとする観点は学会の共有財産である。その和田氏がスミス研究を拠点にして、スチュアートに遡り、J.S.ミル、(マルクス) マーシャル、ケインズへ、このイギリス経済学の枠を超えて、アメリカ経済学にまで視野を広げ、現代資本主義の動向と対比しつつ、その内在的にして批判的な研究まで及んでいる。誠に賛嘆に値する。
以下では、主にマルクスの『資本論』形成史を研究してきた評者の観点から、和田氏のこの力作に若干のコメントをおこなう。
[1] 「時論・理論・史論」としての経済学
評者は、マルクスの『経済学批判要綱』という、『資本論』を胚胎しつつも『資本論』への道だけでなく他への発展可能性をはらみ、内面的に多元的に連鎖する諸問題を凝縮して執筆されたこの問題的草稿を解読して、『経済学批判要綱の研究』(新評論・1882年)を刊行したことがある。その際の問題枠はこうである。『要綱』は『資本論』形成史の中期段階を記す草稿であるとの観点だけではなく、1850年代後半のマルクスが①同時代を如何に観ていたか、その観察を②如何なる理論に編成したのか、その理論は③同時代の資本主義を如何に歴史的に位置づけたのか、という内面的に関連する3つの観点《①時論・②理論・③史論》を採用した。その複合的観点から『要綱』を読むという作業を行った。というより、『要綱』執筆時およびそれまでのマルクスを内在的に追跡してきた結果、この観点が焦点を結んできたのである。この観点はマルクス研究に限られず、おおよそ資本主義の理解にとって有効ではないかと考えている。
[2] 本書へのコメント
[2-1スチュアート] この観点は本書でも観られる。和田氏が作成した要旨の冒頭にあるように、ジェイムズ・スチュアートの①時事問題は政策論に緊密に関連しその課題を解明する装置として②スチュアート経済学が成立する。土地貴族の消費こそ経済循環のコアである。スチュアートの時代が③重商主義段階の資本主義の過渡的な歴史的性格も指摘される。しかもスチュアートの問題視野はスミスを胚胎する可能性をもっていたという。評者は土地貴族の利害がスミスの時代だけでなくリカードウ、ミル、マーシャル、ケインズの時代まで存続し、①経済学の時事問題となってゆくと判断し「レントナー国家資本主義(rentier-state capitalism)」という概念で表現した(cf. Marx for the 21st Century, Routledge 2006)。現存(した)「社会主義国」もレントナー国家資本主義であろう。
[2-2スミス] アダム・スミスは和田重司氏の檜舞台である。『国富論』はそのタイトル、An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations に明示されているように、英国だけでなく諸国民の豊かな生活(wealthy life)とは何か、それを生み出す原因は何か、(王室)重商主義でそれは実現するかという時事問題を解くために(①時論)、分業を原理として市民社会の経済構造の仕組と発展の可能性を展望し(②理論=第1・2編)、それに至るヨーロッパの歴史を回顧する(③史論=第3編)。その二段階の議論を尺度に、重商主義政策を批判し(①時論=第4編)、最後に市民社会に財政的に支えられる市民政府が市民社会に如何なる使命を果たすべきかを展望する(②理論=第5編)、という体系になっている。『要綱』に潜在する「①時論②理論③史論」は『国富論』に示唆されたのであろう。マルクスは1844年に『国富論』ノートを取り、それを終生活用した。
和田重司氏はスミスの『道徳感情論』・自然法学・自然神学にまで視野を拡大し、『国富論』の思想的根拠を明示する。スミスは、神が賦与した本能が発揮しやすいような社会では「自由の自然的体系」が自生するという。そのときの「自然的(natural)」とは、日本で通常いう「自然の」という意味ではない。コペルニクス・ケプラー・ガリレオ・ニュートンの天文学によって、中世神学的な世界像が壊れ、遙か無限に広がる天空に浮かび太陽を中心に自転公転する球体(地球)に人間は生まれ地上を文明化していることが分かるようになった。その秩序は人間が創造したのではない。それを創造した超越的存在を指して「自然(NATURE)」というようになったのである。「科学革命」の衝撃である。この「コペルニクス的転回」がスミスの(新修辞学を含む)学問創造の前提になる。カトリシズムに対するプロテスタンティズムは、万象を神の業の結果とみることを厳しく制限し(カント認識論)、可能な限り人間の経験界に内在して世界構成を理解しようするように転換する。この転換を念頭に、和田重司氏もスミスが神の役割を出来るだけ最小限に前提し主に経験に依拠したと指摘している。
[2-3 勤労本能] ここで星野彰男氏のコメント=「才能(talent)」問題に関連する問題を提起する。従来、『国富論』研究では、神が人間に賦与した本能は、「交換本能と蓄積(節約)本能の2つ」であると理解されてきた。しかし、市場での交換に供給できるのは剰余生産物であり、それは勤労の成果である。「蓄積すべきもの」は「蓄積できるもの」を前提にする(飢餓節約批判)。剰余生産物は勤労本能が生む。このことをスミ自身が第1編第8章「労働の賃金について」で指摘する。「労働の豊かな報酬は、繁殖を刺激するように庶民の勤労も増進させる。労働の賃金は勤労への刺激剤である。勤労は、人間の他の性質と同じように、刺激を受けるのに比例して向上する」。マルクスはこの個所を『国富論』ノートに記録した(1844年)。神の賦与した本能=性質としてスミスが前提したものは「①交換本能、②勤労本能、③蓄積本能」の3つではなかろうか。
[2-4 マルクスとミル] 和田氏は本書ではマルクスに一章を割いている。報告要旨では省略している。本書のマルクス論とジョン・スチュアート・ミル論を比較対照すると、従来のマルクス研究やミル研究に存在しなかった重要な論点が指摘されていることが分かる。マルクスの社会主義論とミルの社会主義論との類似性である。焦点は両者の「協同組合の積極的な評価」である。
マルクスは『共産党宣言』を出した1848年にミルが『経済学原理』を刊行したことを重視していた。そのライヴァル意識が『要綱』の冒頭「序説」の第2節でミルが「生産・消費・分配・交換」の4つの範疇の有機的関連を解体したとして、その諸範疇の有機的関係を再現してみせた。マルクスが「古典経済学」をリカードウとシスモンディまでとし、ミルを「俗流経済学の始祖」としたのはそのライヴァル意識が作用しているかもしれない。なお、マルクスの経済学批判の観点からは、ミルは「古典経済学」に入らない。限界革命以前をもって「古典派経済学」とする観点とは根本的に異なる。マルクスのいう「古典経済学」を「古典派経済学」と呼び、訳すのは、最近頻発している誤りである(『資本論草稿集』や張一兵『マルクスへ帰れ』でも誤訳されている)。
マルクスは『資本論』第1部の最後に近い個所で、将来社会を「生産手段の共通占有(Gemeinbesitz)」と「勤労者のその持分=個々人的所有(das individuelle Eigentum)」(両方とも広西元信『資本論の語訳』の訳語)との統一で構想した。マルクスのこの構想は『哲学の貧困』(1847年)で批判の対象に据えたジョン・ブレイの『労働者の困難と労働者の救済』(1839年)の将来社会像である。マルクスはブレイの名をあげないで、ブレイの構想を『資本論』で継承したのである。一方、『社会主義論』を書いたミルもリカードウ派社会主義を「資本主義の体制内改革」に限定して評価した。こうして、マルクスとミルは将来社会像で重なっている。ここで杉原四郎の『ミルとマルクス』が想起される。
なお、その問題的背景として、イギリスの政界・財界・学会・貧民救済活動家などが組織したイギリス資本主義体制内改革運動、「イギリス社会科学振興協会(National Association for the Promotion of Social Sciences 1857~1886)」がある。ミルも有力なメンバーであった。マルクスも『資本論』でその協会の「年次報告書(Transaction)」(雄松堂の復刻版あり)に2回、言及している。
[2-4 マーシャルとケインズ] 和田氏は報告要旨で「私的企業を損ねないで、私的企業ができないが社会によって有用なこと=市場と国家の相互作用の進化で資本主義は修正・持続」と指摘する。イギリス経済学史の貫徹する「レントナー名望家支配の特性」は、ミルの「社会主義論」にも、19世紀末長期不況を経験したマーシャルの「騎士道精神」にも、同時代のロシア革命(1917年)を目撃したケインズの「有効需要創出による雇用増進政策」にも観られる。
和田氏はムーアの確率論とケインズの関係に注目し論じている。同時に、青年ケインズ「自由放任の終焉(The End of Laissez-Faire)」(1926年)にも言及しているが、評者はより立ち入った点を指摘する。若きケインズは、ロシア革命の「ショック」でスミスのいう「自由の自然的体系」を大幅に修正する。海外投資に出ているレントナー(地主・商人・金融業者)の資金を国内産業投資のために還帰させよと主張する。この主張は、マルクスが1850~60年代の時事論文や『資本論』第3部利子論が指摘する事実に対応する。レントナーから英国政府保障付債券発行で集められた巨額な資金がインド棉花・軍隊などの運送のために鉄道建設に投下され、インドから膨大な経済剰余を吸収し、レントナーを潤している事実である。ケインズは海外に向かってきた資金を国内投資に転換し、当面はレントナー利害よりも労働者雇用を優先し、イギリス資本主義本国の秩序安定を計りソヴィエト型社会主義の進入を防止せよ、と主張したのである。
[2-5 アメリカ経済学と《ショック・ドクトリン》] ここで評者が注目するのはシカゴ学派・スタンフォード学派である。ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン-災害便乗型資本主義の正体を暴く-』は資本主義の現代的動向を観る上で重要な文献である。その教義はハリケーン・地震・津波などの自然災害がもたらす「災害ショック」の直後の「空白」に乗じ、当地の住民を排除し新開発策を導入させ以前と異なる生活の空間を創る。インドネシアやチリの「政治ショック」のあとに「シカゴ・ボーイズ」や「スタンフォード・ボーイズ」が当地のクーデタ政権の顧問になり指揮した。映画「地獄の黙示録」の暗闇のジャングルの中に創られた燦然たる王国のように、「ショッピング・モール」「リゾート」「カジノ」ができる。「五輪」「万博」の日常化世界化である。クラインによれば、フリードマンは鄧小平などに2回会見しチリと同じ政策を提案した(1980年1988年)。文革=改革開放の衝撃も「ショック・ドクトリン」の対象である。レントナー資金が「ショック」を求め、各地から経済剰余を吸着している。これが現代資本主義の「①時論的課題」ではなかろうか。ところで、2011年3月11日の「ショック」と「アベノミックス」は無関係であろうか。 (以上)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study606:131211〕
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