沖縄の風景が変わる
- 2014年 1月 15日
- 時代をみる
- 宮里政充沖縄
昨年12月27日、仲井真弘多沖縄県知事は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、政府が提出した沿岸の埋め立て申請を承認した。報道によれば、「基準に適合している」「安倍内閣の沖縄に対する思いが、かつてどの内閣にも増して強いと感じた」「安倍首相は、沖縄の要望を全て受け止め、米国と交渉をまとめていく強い姿勢を示した」点などが申請承認の理由であるらしい。おそらくこの結論が出るであろうということは、2日前首相官邸で行われた安倍首相との会談の席で「驚くべき立派な内容を提示していただいた。お礼を申し上げる」と述べていたことから、容易に想像できた。
これで、1996年の日米合意から17年目にしてようやく移設が実現することになる。ただ、この問題に関しては地元の強い反対があり、1月19日に行われる名護市長選の結果、移設反対派が当選することも考えられ、そう簡単に事が進むとも思えない。
仲井真知事の記者会見の様子をテレビで見ていてまず思い出したのは、「ムヌクユシドゥワーウシュー(物を恵んでくれるお方こそ私のご主人だ)」という言葉だった。この言葉は沖縄に古くからあることわざで、経済的な自立に苦しんできた沖縄の歴史を物語っているが、その歴史は今も続いており、おそらく今後も続くであろうと思われる。悲しい事大主義の歴史だ。
沖縄のそういう弱点を見透かして、ワシントンの保守系シンクタンク「ヘリデージ財団」のブルース・クリングナー氏は、その評論のなかで「もし沖縄県知事が移設を承知しないなら、日本政府は2014年度の交付金を取り消すべきだ、そうすれば沖縄は経済的苦境に陥るだろう」と指南している(琉球新報2013.12.22)。
ところで、私は今度の移設承認の陰に沖縄選出国会議員たちの移設容認への変節の動きと、もう一つ、高良倉吉副知事の存在があるとみている。彼は琉球大学名誉教授であり、歴史学者、特に琉球王朝の内部構造の研究が専門である。岩波新書『琉球王国』の著者で、首里城復元の委員、NHK大河ドラマ『琉球の風』の監修なども務めた。昨年3月に定年退職し、4月から副知事に起用されて現在に至っている。
私が特に彼の存在を重視するのは、彼が2000年3月に琉球大学の教授2人とともに発表した「沖縄イニシアティブ」の記憶があるからである。それは沖縄で開かれた「アジア・パシフィック・アジェンダ・プロジェクト沖縄フォーラム」で「アジアにおける沖縄の位置と役割-沖縄イニシアティブのために」として提案された。
その提案は、日米安全保障における基地の存在意義を認めるべきこと、米軍基地は歴史や基地被害、平和の理念といった点だけから論じられるべきではないこと、問題は基地負担の過剰なのであり、「基地が存在することの是非」の問題なのではない、というものであった。フォーラムに参加した産経新聞の関係者は「良識ある知的集団が沖縄にも誕生した」と喜び、歓迎した。
しかし、沖縄では言論界からブーイングの嵐が起こった。新川明氏は「奴隷の思想」「日本国の〃先兵〃になることを日本国政府に誓い、沖縄人には〃大政翼賛〃を督励するスローガンでしかないことが、ここに明らかにされている」と批判し、新崎盛暉、仲里効、川満信一、比屋根照夫、石原昌家、目取真俊などの各氏からも「権力への奉仕者」「現状追認論者」などと批判された。批判された本人はつくづく沖縄がいやになり、インドかどこかへ亡命したいと友人に漏らしていたという。
ところがそれから13年目にして彼は副知事に起用され、権力の中枢に躍り出た。歴史の被害者意識をいつまでも引きずっていないで、「新しい沖縄」を求めて先へ進もうという彼の主張は、一見説得力があるようにも思えるが、しかしその内実は本土政府とアメリカ政府への追従である。安倍首相にとっては「渡りに舟」「ネギを背負ってやってきた鴨」だ。彼が唱える沖縄の独自性は安倍首相の国家主義、憲法改定、教育再生等々の中にむしろ雲散霧消して行くであろう。それはまたアメリカの対外政策に積極的に貢献していくことでもある。彼に対する批判者の多くが指摘しているのは、たとえば、彼の主張の中にベトナム戦争への検証がまったく欠落しているというものだった。ベトナム戦争で沖縄の米軍基地が果たした役割を熟知し、基地の町コザ(現在の沖縄市)のAサイン(米軍許可)のバー街で米兵たちが戦場へ赴く恐怖をかき消そうと飲み狂っていた姿をよく知っていたはずの彼が、そのことに全く関心を示していないことが、つまりは彼の立ち位置なのである。
安倍首相の「戦後レジームからの脱却」が結局の所、限りなく明治憲法体制へ回帰しようとすることであることが明らかになりつつある現在、沖縄が積極的にそれを後押しする存在になろうとしていることは、少なくとも私の想像力の範囲を遙かに超えている。
高良倉吉氏は副知事の本土デビューは彼が副知事になったばかりの4月28日に開催された『主権回復の日』式典への代理出席だった。彼は式典に抗議する沖縄の人々を尻目に「沖縄県の席が空いているというのはあり得ない」として東京へ飛んだのである。
私は彼が次期沖縄県知事を狙っているということを、ほぼ確信している。彼が知事になれば、おそらく仲井真知事のように逡巡したりはしないだろう。彼は沖縄の風景を変えようとしているのだ。
私は売れない原稿、いや、書けば書くほど金のかかる原稿を書いている年金生活者である。その私に今何ができるかと言われれば、返す言葉がない。単なるグチなら誰にでも言えるぞ、という声が聞こえてくるが、曲がりなりにも私はこの国の主権者だ。主権者は自分が選んだ代表のクビをすげ替える権利を持っている。残念ながら私は沖縄県出身者でありながら沖縄県知事を選ぶ権利はないが、それは沖縄の有権者の選択を待つしかない。
今年、安倍首相は現憲法に手をつけ始めるだろう。彼は短期間に手際よく事を進める。国民が「え?」と思ったときにはすでに風景は変わってしまっているのだ。
石垣りんの『挨拶-原爆の写真に寄せて』という詩の中に次の一節がある。「一九四五年八月六日の朝/一瞬にして死んだ二五万人の人すべて/いま在る/あなたの如く 私の如く/やすらかに 美しく 油断していた。」
「平和」やら「愛国心」やら「正義」やら「国家」やらの言葉が、私たちの暮らしをそれらの言葉とは真逆の事態へ陥れた過去の記憶を、いま、呼び覚ましたい。
私はこの『リベラル21』に関心を寄せておられる方々に期待している。
(2014.1.8)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2515:140115〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。