3年目の小高区感想
- 2014年 1月 19日
- 交流の広場
- 長船青治
昨日、単独日帰りで南相馬市を再訪してきました。
以下「件名」をTwitterに連投したものを列挙しておきます。
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小高区で上下水道が本管に水が来ていても宅地内配管が3年前に壊れたままで使えないらしい。
「飲料水を!」と思ったが(国の直轄地となったため)竹中工務店が市内数カ所で飯場や現場事務所を構え除染工事やっている。
無人の町でですが・・・。
「警戒区域解除の小高区 」
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-58.html …
1ヶ月ほど前、NHKテレビニュースで「小高区内の小学校が再開された」と聞いて驚いたがそれは避難先の鹿島区にある
500世帯ほどの仮設住宅から今まで鹿島区の小学校に通う50人ほどの小高区の小学生を対象に
仮設で小高区専用教室を造ったという風に私は理解している。
1年間で鹿島などゼネコンが消費した国の復興予算はあまりにゼロが多くて何兆円にのぼると思われる。
それにしても1年間でですからすごい機動力です。
たぶん4割強は鹿島でピンハネしていると思う。
でも疑問なのはなぜ民主党政権時にはまったく手を付けなかったかということです
常磐道「広野IC」を降り6号を「富岡町警察」の先の検問所「帰還困難区域」の立て看前でUターンし山越え迂回路を行く
除染完了の赤色の看板の立つ民家や落ち葉のない山肌が目立つ。
政権交代し一気に除染工事が始まって昨年の第一期はもう7割がた終了したと
五洋・鉄建・大成などJVの現場監督と立話をする。
小高区ボラセンで以前に住民の依頼で倒壊した家屋の解体をやったことがある。
現在、国の予算で同地区内の中里工務店が元請けで1000軒の家屋解体に着工している。
護岸・海浜工事用テトラポット作成も始まっているが飲料水や食事は20キロ圏外の南相馬市市街地まで足を伸ばすようです。
だけど17000人程いた小高区市民で帰ってくるのは3000人程ではないかと言う。
それにしても帰って来てどうなるのだろう。
「現在も夜は立ち入り禁止だと言われているがそれは嘘だ。ただ水道も出ないところに帰って来てもしょうがないから、」と言う。
3.11から13日目にyoutubeで世界に発信した南相馬市市長の桜井勝延さんは最高にカッコ良かった。
1ヶ月後にぼくらの第4次トラック隊も行くのだが市役所の回りを自衛隊の戦車が取り巻いている光景は何だか理解に苦しみましたが・・(笑い!!)。
3年前の「3.11東日本大震災および福一原発事故で南相馬市の桜井市長」から全国および世界へ
県外へ避難した5万人の市民の安否や
「自宅退避」の2万人の市民や(一時避難所の小学校など)へ配達する食料や配達するための車のガソリンなどが
不足していることを訴えている。
1.5マイクロシーベルトアワーの中、政府もマスコミもメデイアも現場に来ないけれど、
南相馬市に自己責任でボランテイアに来て欲しいと訴えている。
SOS from Mayor of Minami Soma City, next to the crippled Fukushima nucle…:
http://youtu.be/70ZHQ–cK40 @youtubeさんから
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