天皇夫妻発言の「重さ」(2) ―戦後総括どころの話ではないのだ―
- 2014年 1月 23日
- 時代をみる
- 半澤健市天皇
2014年1月5日の拙稿「天皇夫妻発言の「重さ」」に対して4人の読者から5つのコメントが寄せられた。感謝申しあげる。それに対する私の反応を書く。コメント欄には長すぎるので本文とする。
私は読者コメントが提起した問題を三つほどに整理した。
(1)「天皇夫妻の戦後民主主義擁護」論への批判
(2)天皇制を巡るいくつかの論議
(3)政治状況との関連について
(1)「天皇夫妻の戦後民主主義擁護」論への批判
天皇夫妻の戦後認識は次の視点が欠落しているのに、半澤はそれを指摘していない。そういう批判と受け取った。すなわち
・昭和天皇の戦争関与とその結果を他人事とみている
・昭和天皇の戦争責任に言及していない
・戦後総体の意味が不明である
・戦後レジームの擁護という認識は大甘である
・「国民の総意に基づく天皇」の意味は何か
誤解を恐れずにいえば、明仁天皇には昭和天皇の戦争は「他人事」である。明仁は1941年開戦時に7歳であった。それでも彼は、「前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましいことです」という表現で死者を鎮魂しているのである。私はこれをプラスと評価したのである。なるほど、「大東亜戦争」を否定していない。反省の言葉を明言していない。戦争の性格を明示的に語らない。しかし同時にあの戦争を美化もしていない。ここは安倍と違うのである。
「反戦思想」や「押し付け憲法論に対する静かな反論」をみるのは、突き詰めれば私の主観である。しかし皇后の自由民権論議の紹介も含めて、私の主観は勝手な幻想ではなく一定の説得力をもつと考える。戦後史と現在の政治状況を考えれば天皇夫妻の言語は、制約の多い環境で、精一杯に抵抗の表現をしている。私はそうみるのである。
「戦後総体」とは「戦後レジーム」である。「戦後レジーム」 とは何か。主権が天皇から国民に移った。天皇の赤子(せきし)は基本的人権をもつ個人となった。男女同権になった。思想・言論が自由になった。戦争はしない国になった。すなわち現行憲法を「国のかたち」とする体制(レジーム)である。体制が実質を伴わぬことはいくらでもある。しかし、その体制を天皇夫妻が擁護しているとみるのを、私は「大甘」とは思わない。「大甘」でない認識とは「辛い」「厳しい」認識である筈だ。その認識基準に照らすと、天皇発言は、どうであれば合格点を貰えるのか。あるいはどの点で「擁護」していないと判断できるのか。または天皇発言自体に意味がないのか。評者に質問したい。
「国民の総意に基づく天皇」の意味は、日本国憲法第一条のことである。全文は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。論理的には天皇制の改廃も民意で決まる。そういう立場にある天皇と国民が、双方向に意見や批判を述べ合う回路をもたない。このことこそ問題である。
(2)天皇制を巡るいくつかの論議
そういう天皇制で戦後68年を経過したことをどう評価すべきか。「本当に国民の総意だったのか」といえば、たしかに総意集約の具体的な法律的行為はなかった。しかし一方で、2004年に日本共産党が実質的に天皇制を容認―最終目標たる「民主共和制」を棄ててはいないが―して以降、真っ向から天皇制反対を掲げる政党は国会には一党もない。それは手続きなき総意の形成といえるであろう。
結局、我々は戦後、天皇の地位や役割について深刻に考えてこなかったのかも知れない。その間に何層にも張り巡られた官僚機構による「回路のない体制」が既成事実になったのである。
「今、必要なのは天皇制の在り方への議論」,「今こそ、日本人の手で大東亜戦争の責任を明らかにすべき」という提案があった。一般論として、またアカデミックな主題として、私はこの考え方に反対ではない。戦後の社会科学、人文科学、文学、演劇が、必死に挑戦しながら、この近代日本最大のテーマに、定説を導き出せなかった。1927年テーゼ、32年テーゼを起点とする、共産主義者から発信された天皇制論議は、現実政治の上で数々の悲劇を生んだが、オモテの言説の世界では1955年の『昭和史』(岩波新書)の方法論を巡る「昭和史論争」で一つの頂点に達した。その結論は、共産主義者の「テーゼ」依存だけでは「戦争と天皇制」がうまく解けないことを示した。私はそう思っている。それからの天皇制論議には、歴史修正主義、実証主義、ナショナリズム、学際的接近、社会史、王権論、日本人論などが流入し入り乱れテーマは広がった。同時に問題の輪郭が不明瞭になった。そしてなお問題も回答も出尽くしていない。
(3)政治状況との関連について
今、起きている状況はむしろ反対である。端的にいえば「在り方」や「大東亜戦争の責任」という戦後総括が、出尽くしてもいないのに、そのテーマはすでに「周回遅れ」となったのである。
今は「戦後」ではなく「戦前」なのではないか。いつの間にか、日本国民の愚かな選択が、この状況を招いたのである。「積極的平和主義」と称して、戦争をしたいと公言する者たちが政権の中枢にある。議席数も支持率も大きく高いのである。
「過ぐる戦争」がどう始まったかをよくよく検(あらた)めなくてはならない。
1930年代の「戦前レジーム」の中で、我々の先達はどのように、戦争に巻き込まれたのか。否、自ら進んで戦争に飛び込んでいったのか。その再検証が喫緊の課題である。遅すぎるほどである。日本国憲法の運命はワイマール憲法の運命を辿る危機にある。30年代がそのまま再現することはないだろう。国際環境は様変わりしている。とはいえ戦前風にいえば「資本主義の全般的危機」が、世界最大の工業国家中国と世界最大の軍事・金融国家米国を含む地球を覆い、日本はその一端を担うだけでなく、原発事故によって「国家存亡」の危機に直面している。私の独断をいえば「グローバリゼーション」とは、ドル札のバラ撒きによる過剰生産恐慌の緊急止血でありその反復である。私的・公的バブルの発生と崩壊である。その無限の連鎖である。経済格差の拡大と生活の安定の崩壊である。
この課題解決のなかで、天皇制は日本人に突きつけられる課題の一つに過ぎない。天皇制問題が易しいというのではない。「国体護持」なる呪術的言語によって昭和天皇は巧みに転向した。そして連合国(=米国)の僕(しもべ)となった。この僕は「赤子」を裏切り、沖縄を米国へ売り渡して忠誠を示した。対米従属が戦後の基底構造となりそれが日米両国の共通の利益であるという言説が日本の常識となった。
今、米国はすでに日本を従属させるよりも、対中関係の維持、競合、共生を優先すべき国益と考えている。彼らは1930年代以来の「連合国」を大義として再結合している。中国が新自由主義の先進国となったいま―クローニー・キャピタリズム気味だが―、米国にとっての最大の危険は、米ソ対立時代のような軍事力対決での敗北ではない。総合力での敗北である。最大の好機は、二大国による覇権維持の継続である。その帰趨は容易に予測し難いが「最大のイッシュー」であることは間違いない。
安倍政権はこの世界情勢に目を閉じて逆噴射している。私には彼の言動が30年代の「国際連盟脱退」、「蒋介石を相手とせず」、「バスに乗り遅れるな」に酷似して見える。
本文の後半は独断の開陳になった。読者による内在的な批判や議論を歓迎する。(2014年1月16日記)
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