青山森人の東チモールだより 第258号(2014年2月7日)
- 2014年 2月 7日
- 評論・紹介・意見
- チモール青山森人
曇りの日はなんとなく静か
毎日、毎日、曇りの天気が続いていますが、それにつられて人もなんとなくちょっと静かになっている気がします。
不必要な低音のきいた大音量にわたしはいつも顔をしかめざるをえませんが、そんな音楽をかけている人があまりいません。これが静かに感じる第一要因です。近所や町内の家から、そしてミニバスや車から、ドンドン……ズンズン……、音楽というより騒音ともいうべき音がそれほど聞こえてきません。どんよりとした曇りの天気で音を鳴らす気分がのらないのかな。中心地コルメラの商店街ではこのような騒音がかかる際立った所ですが、曇りの日は1件程度の店が大音響の音楽を鳴らしているだけです。
2月5日、雲の切れ間から陽がさし、久しぶりに日差しが強かった。するとちょっと騒がしくなったような気がするから不思議なものです。我が下宿先でも大音量の音楽が鳴りました。気分がのったのでしょう。
子どもたちの遊び方もなんとなく静かになったような気がするし、子どもに叫ぶ親や大人の大声もあまりしなくなり、近所の若者が不必要に大声を出してあってカラ騒ぎをする光景もあまり見かけなくなりました。音からうけるこのような印象は、社会制度がしだいに人びとに浸透し板についてきた反映であってほしいものです。
写真1
今月2月28日に催されるカーニバルの宣伝看板。今年で第6回目となる。まだ東チモールを訪れたことのない人は、東チモール・カーニバルを観に来たらいかがでしょうか。東チモール人の独特のリズム感を楽しむことができる。
政府庁舎前にて。2014年2月7日。ⒸAoyama Morito
子どもをめぐる厳しい環境
しかしその反面、わたしは東チモールでは知人または知人の家の子ども・若者たちの訃報によく遭遇してしまいます。若い人が亡くなったのを知るたびに、ガックリしてしいます。1月から今日にかけて、もう二件ありました。例えば、ビラベルデ町内ではわたしの最初の下宿先の向かいの家(私のよく知る家族だ)の14~15歳の男の子が内臓疾患で今月5日に亡くなってしまいました。わたしの周りのこうした状況から察するに、東チモール人をとりまく衛生・保健環境はまだまだ余談を許さない状況にあるようです。侵略軍が撤退した1999年と比べれば、生活の質は物資面でも精神面でも飛躍的に向上していることは紛れもない事実ですが、子どもたちにとってはさまざまな面で依然として厳しい生存環境にあることもまた間違いないようです。
例えば、最近、子どもをめぐる厳しい環境として性的虐待が深刻化しているといわれています。東チモールの市民団体は、実態は正確に把握していないが子どもへの性的虐待は深刻な問題になりつつあると警告しています。さらに、学校もまた子どもにとって安全な場所でないとも言われだしました。教師による生徒の性的虐待がある学校で起こった疑いがあるとして、さかんに新聞記事に書かれています。これは特殊な事件かもしれませんが、この件で子ども、とくに女性にたいする性的虐待を懸念する声がより高まってきたことはたしかです。
去年の9月、東チモールで心の傷を癒す活動する人のために、日本人の支援グループが開設した心理カウンセリング講習会の様子を見学させてもらいましたが、そこに参加した東チモール人の市民活動家たちは、近親相姦の多発にうんざりしていた様子でした。東チモールにおける癒されない心の傷とは、インドネシア時代に受けた拷問などによる傷を意味するよりも、いまや最近の出来事として近親相姦で性的虐待をうける子どもの心の傷を意味するようになってきたといえます。いま起こっている虐待の原因を追及すれば、あるいは根っこは残虐なインドネシア軍事支配にいきつくかもしれません。ともかくもし学校も子どもにとって安全な場所でないとすれば、子どもたちはますます追い詰められてしまいます。
ガス・石油の開発施設の建設や道路工事など基盤整備の拡充で大金をはたくのもけっこうですが、シャナナ連立政権は子どもの虐待問題を最優先に(今年のいつシャナナ首相が辞任するかはわからないが)、国をあげて解決に取り組んでほしいものです。
愛憎のもつれの犠牲になった女の子
7歳の女の子の命を奪った事件が先週末から今週にかけて大きく報道されました。2月1日(土)、7歳の女の子Kちゃんの遺体が浜辺で発見されました、その前日、その母親Mさん(40歳)も別の浜辺で発見されましたが、命はとりとめました。最初、Mさんが8000ドルの大金を銀行から引き出した後の失踪と悲劇的な結果に、Mさんが8000ドルを持っていること知る者による犯行であるとか、母子ともに性的暴行を受けたとか、報道されましたが、Mさんの愛人Nが容疑者として逮捕されました。
新聞に報道された容疑者Nの自供は以下のとおりです。MさんとNはともにそれぞれ夫/妻そして子どものある身でありながら愛人関係にあり、いつか一緒になることを誓い合った仲で、これまでMさんはNに相当の金額を貢いできた。その日、MさんはKちゃんを連れてNと浜辺で逢引をしていた。Mさんは、Nに約束どおり妻と別れて自分と一緒になるように迫ったが、Nはまだふん切りがつかず、このままの関係を続けようというと、いままで貢いだ金を返せとMさんがいい、もう使ってしまったからすぐには無理だとNがいいかえすなどのやりとりのあと、MさんはNの奥さんに電話してやるといい電話しようとしたので、Nは木でMさんを殴った。お母さんが殴り倒されるのをみて泣き出したKちゃんをもNは殴り倒してしまった。漁師がいる気配がしたのでNはその場を去った。要約するとだいたい以上のようになります。Kちゃんの遺体が発見されたのは犯行現場よりかなり離れた浜辺です。波がKちゃんとさらったのかもしれません。また、Nがその場を去ったあと、別の事件が母子の身に起こったかもしれせん……? Mさんは重体で国立病院に搬送され治療中とのことです。
この事件は新聞・テレビで大きく報道されました。日本ではワイドショーの格好のネタになりそうな事件ですが、東チモールではこの事件を情事の悲劇というよりは、子どもが犠牲になるいまの社会状況を投影している事件として捉えられています。
各市民団体は、家庭や学校で子どもたちが性的虐待などの被害をうけているうえ、7歳のKちゃんが亡くなってしまった、子どもたちを守るために政府は早急に対策を講じるべきだという内容の声明を出しました。大統領のイザベル夫人や国会議員らもKちゃんの死を悼み、バウカウ教区のバジリオ=ナシメント司教は7歳の女の子の殺害は世界に東チモールを辱しめたと語るなど、この事件は社会的に大きな反響を呼んでいます。
またもや首吊り自殺
『チモールポスト』(2014年2月5日)によると、2月1日、首都のコモロ地区で女性が首吊り自殺をしました。この女性の年齢は同紙には記載されておらず、また動機についてもまだ不明と報じられただけです。具体的に何が起こったのか知るよしもありませんが、「またか」という印象は拭いきれません。なぜ東チモール人女性は自殺するのでしょうか、社会学者がきっちりと分析をして対策を講じてほしいと願います。ビラベルデのわたしの最初の下宿先の家族の20歳になったばかりの女の子が去年9月に首吊り自殺したことはこの家族と周囲の人びとに重い十字架を背負わせました。その子がそこで首を吊る前まではたわわにマンゴーが成る兆しを見せていましたが、家族はそのマンゴーの木の枝葉を切り取ってしまいました。「思い出すから……」といいますが、忘れられるわけもありません。身内から自殺者がでる悲劇にまた一つの家族が巻き込まれてしまいました。
~次号へ続く~
記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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