2014.3.1現代史研究会レジメ「2.26事件・天皇機関説・北一輝」
- 2014年 2月 17日
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- 北一輝と天皇問題古賀暹
2014.3.1現代史研究会レジメ「2.26事件・天皇機関説・北一輝」 古賀 暹
私の『北一輝―革命思想として読む』(お茶の水書房)が3月の末に上梓されます。今回は、それの配本の前に、その内容を全面的にお伝えすることができませんが、北一輝の天皇制論に限定して、お話させていただきます。以下、今回の話の内容をレジメにしてみました。
『国体論』における天皇の問題
①、美濃部と北一輝の異同
1、 北は天皇機関説論者であったことが知られていますが、美濃部達吉のそれとどう違うのかは、あまり知られていません。この二者の相違は、美濃部が天皇一人を最高機関としているのに対して、北は最高機関は「特権的一人と多数なる国民」が最高機関を形成すると言います。美濃部より北が民主的なのです。
2、 美濃部は天皇説の根拠を西欧近代の憲法に求めますが、北は、「実在の国家」の進化に求める。したがって、憲法の解釈は、この「実在の国家」の進化の程度(我々のことばで言えば『階級闘争』に規定されているということになる。
ここから出てくることは、天皇と議会が対立した場合、どうなるのかということ
であるが、松本清張によると天皇が優先するとあるが、全く逆で、国民が優先ということになる。)
②、内村鑑三と北一輝
1、 北は日本の歴史は「天皇に対する忠義」の歴史であったということに全く反対で「乱心賊子」の歴史であったとする。これは内村鑑三の「時勢の観察」との関連で読まれるべきである。もちろん、北は、乱臣賊子を肯定的に捉え、それが進化であるとしている。
2、 天皇制問題とは直接関係ないが、北が中国に赴いたことは内村との論争が一つの契機になっている。
③北の天皇把握と明治維新
1、「眼前の君主を打倒するの急で」あったがために、維新後の計画が皆無であり、そこに「「民主主義の首領」としての」天皇が担ぎだされたというもの。したがって、天皇は民主主義の首領として存在し続けなければならない。
2、「万世一系の天皇これを相続す」という場合の、万世一系というのは歴史上そうだったことを意味しない。これは、未来に関する規定である。
『国家改造法案』における天皇の問題
① 国家改造法案は上海発の国家改造論
1、 中国革命(5・4運動その他)を支援するという立場から書かれたもので、そのためには日本が「明治の理念」に立ち返る必要があるというものである。(北にとっての明治の理念とはなにか)
2、 そのために政治革命が説かれている(政治革命と社会革命)。その政治革命の第一に挙げられるのは天皇機関説の実質化である。(実在の人格である国家の進化)。クーデターでなければならない理由。
3、『改造法案』で描かれている社会改革と社会主義革命との関連と断絶
二・二六事件と北一輝 (略)
北一輝と天皇制
はじめに
「咄、坤円球上愚人島あり。名けて日本と云ふ」
「足下速に是れを大隈総理に伝へしめよ。、、、、、。鄙人将に帰へりて国民に告ぐべし。日本強兵ありと雖も我が国の海岸線を封鎖し得るに過ぎず。鄙人一息すれば中国一日亡びず。此翁兵を引きて内地に退守すること数年、日本先ず財政破産をもって亡ぶべし。日本何の恐るる所ぞ。」(279)
「「不肖嘗て海軍の責任者に問ふ。対米7割の主張は良し。若し米国海軍に英国の海軍を加え来る時、将軍等は能く帝国海軍を以て英米二国の其れを撃破し得るかと。答て曰く、不可能なり。一死を以て君国に殉ぜしめんのみと。不肖歎じて独語すらく、君国は死を以て海軍に殉ずる能はざるを如何にせんと。
一、内村鑑三の乱臣賊士論と北一輝
1、乱臣賊士論の継承
「上古のことは問わず、藤原氏政権以来、日本人は実に王室に対して忠良なりしか、なるほど将門を誅するに貞盛ありしは相違なし、、、、、、然れども過去八百年の歴史は、王朝衰退、武臣跋扈の歴史ならずして何ぞや、、、楠氏の主従七百騎、七生を冀望を約して陣に望むや、三十万の九州人は乱臣足利直義の旗下に隷属し、義人を湊川のほとりに屠りしにや…、九州一円乱臣賊士の巣窟と化せしにあらずや。、、楠公の名を繰り返すを以て宗教的義務の如く信ずる今日の日本人の多くは、楠公を殺せしものの子孫なることを記憶せよ…、公平なる歴史的観察を以て王室に対する日本臣民の去就を照らして見よ、吾人は勤王を誇るをやめて、不忠を恥じて地の哭すべきである。」(内村鑑三、「時務の観察」 )
「事実を事実をして語らしめよ。実に、久しく専横を恣にせし蘇我を斃したる鎌足の子孫は更に蘇我のそれを繰り返したるに非ずや…清盛は更に其の刃を提げて其れ(禁闕)に迫りたるに非ずや…其の平氏を滅したる頼朝は更に其れを欺きて帝王の実権を奪ひたるに非ずや…反動的王朝政治を一掃すべく起てるクロムエル(足利氏のこと)は其の可憐なる中心を湊川に屠りたり。…――斯の如し。吾人の祖先は渾べて『乱臣』『賊子』なりき。」(北一輝 「国民対皇室の歴史的考察―所謂国体論の打破)
2、内村鑑三批判
「ああ内村鑑三氏。本誌に本紙に寄稿せらるる等の関係によりして諸君の最も多く知り、最も多く知り、最も多く尊ぶ所なるべし。吾人の如き。氏の『警醒雑著』を読み、『小憤慨録』を繙きし幼き時に於ては氏の名は殆ど崇拝の偶像なりき。世が物質文明の皮相に幻惑して心霊の堕落を忘れたる時に於て、氏は教育勅語の前に傲然として其の頭を屈せざりき。」(同右)
二、美濃部の天皇機関説
1、統治権の主体論の否定
「君主は国家と相対する独立の人格たるものに非らす。…、君主が統治権の主体たりというの当然の帰結は臣民を以て君主と相対立する統治権の客体なりとなさざる可からず。…臣民は其全体相合して集合体の一人格を為すと看做すか…然らざれば…数多の人格の雑然たる集合なりと看做すのか何れか一つならさる可からす。何れに従うも国家は統一的の一体に非らす」(「君主の国法上の地位」、「法学志林」第一五号、明治三六年発行、二‐三頁)
君主が統治権の主体であれば国民は客体ということになる。そこで国家機関として位置づけられる。
2、国家有機体説
「美濃部においては、法人としての国家は「全国民の共同団体」という意味であり、法人をもって抽象的擬制人とする見解は強く排斥されているので、その国家はむしろ綜合的実在人としての色彩が濃厚であって、国家と国民はほとんど同一観念に近いものがあったように思われる」(家永三郎)。
3、憲法の根拠
「我が国体が其の歴史上の基礎に於て欧州の諸国と同じからず、国民の忠君愛国の信念が欧州の国民と同日に論ずることを得ざるは固より論なし。然れども…、今日の法的顕象に於て我国の国体は決して欧州の立憲君主国と其模型を異にするものに非らず。独乙の国法学者が統治権の主体に付て説明せる所は、我国の国法に於て亦等しく適用せらるべき所なり」(「君主の国法上の地位」)
「抑憲法は我国歴史の産物に非す、憲法以前の我国の歴史は嘗て国民の参政権を認めたることなし、我国の憲法は専ら模範を欧州近世の憲法に取る、明白なる反対の根拠あらざる限りは、欧州近代の立憲制に共通なる思想は亦我憲法の取りたる所なりと認めさる可からす。」(君主の大権を論じて教えを穂積博士に請う)
4、日本の国体は最高機関を一人にて組織する君主国体
「抑我国の憲法に於て帝国議会か君主と相並て、対等なる国家最高機関を為すものに非さるは、何人も疑はさる所。…憲法改正の発議権を大権に留保したるは其不対等なる第一なり。法律の裁可権を大権に留保し而して外部に対して立法権を発現する所以は独り裁可に或るは其不対等なる第二なり。」(「君主ノ大権ヲ論シテ教ヲ穂積博士ニ請フ」前掲書28頁)
三、北の天皇機関説論
1、近代以前においては、「実在の人格である国家」を君主が所有していた。近代以降は国家が主権を握った。したがって、1、2の論点においては美濃部と同様。
3、「日本国のみ特殊なる国家学と歴史哲学(傍点)とによりて支配さるると考ふることが誤謬の根源なり。謂うまでもなく人種を異にし民族を別にするは特殊な境遇による特殊の変異にして人種民族を異にせる国民が其れぞれ特殊の政治的形式を有して進化の程度と方向とを異にせるは論なきことなりと雖も…、些少の特殊なる政治的形式によりて日本国のみは他の諸国の如く国体の歴史的進化なき者の如く思惟するは誠に未開極まる国家観にして、以然たる尊王攘夷論の口吻を以て憲法の緒論より結論までを一貫するは誠に恥ずべき国民なり。」(二二六)
4、
「平等の多数者と一人の特権者とを以て統治したる民主国体」
「而しながら天皇は統治権の総攬者に非らずと云ふことは、天皇一人にては最高機関を組織して最高の立法たる憲法の改正変更を為す能はずと云ふ他の条文と憲法の精神とに基づきて断定さるべき者にして,美濃部博士の如く日本の国体は最高機関を一人にて組織する君主国体なりと解釈しては斯る断言の根拠なくして明らかに矛盾する思想たるは論なし。」(二三三)
5、北の政体区分
「吾人は在来の国家主権論者の政体二大分類を排して、今日の公民国家と云ふ一体に就きて政体の三大分類を主張するものなり。――第一、最高機関を特権ある国家の一員にて組織する形態(農奴解放以後の露西亜及維新以後二十三年までの日本の如し)。第二、最高機関を平等の多数と特権ある国家の一員とにて組織する政体(英吉利独乙及び二十三年以後の日本の政体の如し)。第三、最高機関を平等の多数にて組織する政体(仏蘭西米合衆国の如し)」(二三六)
四、北一輝における天皇の歴史的位置
穂積八束の国体論
「家国は本と二義ならず、一家は一国を成し、一国は一家を成す、共に父祖を崇拝しその威霊の保護の下に子孫相依りて敬愛の公同の生を全うするなり。家における家長の位は即ち祖先の威霊の在ます所…、国における皇位は即ち天祖の威霊の在ます所、現世の天皇は天祖に代り天位に居り…、国は家の大なる者、家は国の小なる者、之を我が建国の大本とす、国家の淵源茲に在るなり」(「憲法提要」穂積八束一〇四、長谷川正安『日本憲法学の系譜』より)
北一輝の批判と日本史
「
「吾人は断言す――王と云ひ冶らすと云ふ文字は支那より輸入せられたる文字と思想にして原始的生活時代の一千年間は音表文字なりや象形文字なりや将た全く文字なかりしや明らかならざるを以て神武天皇が今日の文字と思想に於て『天皇』と呼ばれざることだけは明白にして、其の国民に対する権利も今日の天皇の権利或は権限を以て推及すべからざる者なりと(吾人は文字無き一千年間の原始の原始的生活時代は政治史より除外すべきを主張するものなり…、)。」(二九六)
「所謂国体論の脊椎骨は、如何なる民族も必ず一たび或る進化に入れる階段として踏むべき祖先教及び其れに伴う家長制度を国家の原始にして又人類の消滅まで継続すべき者なりと云ふ社会学の迷信に在り。家長制度や祖先教は何ぞ独り日本民族の特産物にして日本のみ万国無比の国体なりと云ふが如き性質の者ならんや、今の欧州諸国も皆悉く一たびは経過したり。」(二六〇)
「問ふ――祖先教とは多神教のことなるが足下は多神教の信者か。恐らくは氏は傲然として然り八百万の神を信ずるのみと答へん。…而しながら祖先教と云ふ多神教は其れ以外に多くの拝すべき神を有す。…もっとも極端なる印度に於てはいま尚祖先の霊魂を祭る多神教在りて其の多神教には大蛇、木石、鳥獣、甚だしきは生殖器等が礼拝されるる如く、基督教伝播以前の欧州人も種々の動物奇石怪木を祖先の霊魂と共に拝りたる…。氏は動物園の大蛇を神社に祀るべく主張し、木造の生殖器の前に朝夕合掌稽首しつつありや。」(二六一)
「等しく天皇と云ふも神武天皇と後醍醐天皇と明治天皇との全く内容を異にせる者なるべきに考え及ばざるか。彼等は文字の発音が類似すればミゼレベルと云ふ英語の悲惨もミゾレフルという日本語の霙降るも…同一意義なり…と考ふるに似たり。」(二一九)
「三韓よりの移住者は多く九州、中国に独立し若しくは独立せる部落に属して未だ近畿に入りて帰化人となるほどに至らず、九州も東北も、又神武の経過せしと伝説される中国も全くの独立の原始的部落にして、雄健なる皇室祖先の一家が純潔なる血液によりて祖先教の下に結合して以て近畿地方と被征服者の上に権力者として立てる者なりき。」(三一六)
「進化律は原始的宗教の祭主たりし『天皇』の内容を進化せしめて第二期に入れり。即ち日本社会其れ自身の進化と、更に進化せる社会と交通せる三韓文明の継承以後の天皇は(註)、凡ての権利が強力によりて決定せらりし古代として最上の強者としての命令者と云ふ意義にすすめり。――吾人はこれ以後の古代中世を通じて『家長国体』となし、藤原氏滅亡までに至る間の君主国時代を法理上『天皇』が日本全土全人民の所有者として最上の強者と云ふ意義に進化したる者となす。」(三一七)
「日本民族は歴史的生活時代に入りしより以降一千五百年間の殆ど凡ての歴史を挙げて、億兆心を一にせるかの如く連綿たる乱臣賊子として皇室を打撃迫害しつつ来たれり」
「日本民族は系統主義を以て家系を尊崇せしが故に皇室を迫害し、忠孝主義を以て忠孝を最高善とせるが故に皇室を打撃したるなり。系統主義の民族なりしと云ふ前提は凡ての民族の上古及び中世を通じての真なり、而も其故に万世一系の皇室を扶翼せりと云ふ日本歴史の結論は全くの誤謬なり。」
五、実在の人格である国家論-北一輝とスペンサー
① 、北一輝の原始共産制
「野馬が其の団結を乱さざる間は一頭と雖も他の猛獣に奪わるること無しと云ふが如き無数の現象を説明する能はざるべく、牙と爪と有せざる人類は原人時代の遠き昔に於て消滅したるべき理にあらずや」「最も原始的なる共和平等の原人部落に於ては全く社会的本能によりて結合せられ政治的制度なき平和なりしを以て政権者なるものなかりき」
「国家は長き進化の後に法律上の人格たりしと雖も、実在の人格たることに於ては家長国の時代より、原始的平等の時代より、類人猿より分かれた時代より動かすべからざる者なりき。」
原始共産制の段階での団結は、「原人の無為にして化すと云はるる無意識的本能的社会性」に基づく。
❶、スペンサーの原始時代論
「最初の、そして最低度の段階に於いては、同似的な権力と同似的の機能とを有する諸個人の同質的集合である。、、、総ての男子が武士であり獵人であり漁夫出あり器具製造人である。、、、総ての家族は自給自足である。、、、、、しかしながら、社会進化の経過のごく初期間に於て、我等は、統治者と被治者との間の萌芽的分化作用を見出すものである。、、、、最も強力にして最も敏捷なるものの権威が、野蛮人の間に感得せらるるのは、恰も動物の群れとか学童の兵隊ごっことかに於けるのと同様である。特に戦争の時において然りである。しかしながら、最初の間は、この事はまだ不定限にして不確実であった。」
② 北の権力発生論
「然るに長き後の進化に於、大に膨張せる部落の維持を祖先の霊魂に求めて祖先教時代に入るや(如何なる民族も必ず一たび経過せり)祖先の意志を代表する者として家長がまず政権に覚醒し、更に他部落との競争によりて奴隷制度を生じ土地の争奪の始まるや、実在の人格ある国家は土地奴隷が君主の所有たる如く、(君)主の所有物として君主の利益の為に存するに至れり。」(243)
「各員の独立自由は一切無視せられて部落の生存発達が素朴なる彼等の頭脳に人生の終局目的として意識せらるるに至れり。― 斯の意識は原人の無為にして化すと云はるる無意識的本能的社会性が、生存競争の社会進化によりて実に覚醒したる道徳的意識として喚び起されたる者に非ずや。漁労時代遊牧時代の殺伐なる争闘を以て道徳なき状態なりと速断する如きは幼稚極まる思想にして、この部落間の争闘の為に吾人は始めて社会的存在なることを意識するを得たるなり。」(118)
❷スペンサーの権力発生論
「征服と諸部族の集合とに従って、統治者と被統治者との間の対照は、より決定的になって行った。優越的な権力は或る家族の世襲となってくる。首長は最初軍事的であるが、後には政治的となって来て自分で、自分の欲望に応じて獲得する事をやめて,他のひとびとから支給を受けるやうになる。そして彼は統治なる唯一の役目を襲い始めるものである。これと同時に、従属的な種類の統治――「宗教」の統治が――が発生しつつあったのである。」(前掲書、428)
「数時代の間王者は主長僧侶として継続していた。、、、多年の間宗教上の法則は多少の俗界規則を含むものとしてして存続していた。又俗界の法律も、多少の宗教的制裁をもっていた。、、、、、、時代を経過するに従って君主や、内閣、貴族、平民などの高度に複合的な政治組織が、、、出現する。、、、、、それと並んで複合的なる宗教的組織は発達する。」
③ 北の同化-分化論
「小社会単位に分化して衝突競争せる社会単位の生存競争は、衝突競争の結果、征服併呑の途により同化せられ、而して同化によりて社会の単位の拡大するや、更に個人の分化によりて個人間の生存競争となり、人類の歴史は個人主義の時代に入る。彼の希臘羅馬の末年に於個人主義の萌芽は、、、、、其偶々社会単位の生存競争を為しつつありしゲルマン蛮族に亡ぼされて偏局的社会主義の中世史を暗黒に経過せしと雖も、更に、其の封建的区画の小社会単位に於てする生存競争が羅馬法王の教権の下に同化せらるるや、茲に個人主義の大潮流となりて個人の分化作用を以て社会を進化せしむる時代に至りしなり。」(120)
❸スペンサーの同化‐分化論
「一方に於いて統治者側が、複合的発達をなしたると同時に被統治者側に於いてもより複合的な発達を遂げて、その結果として進歩的国民の特色をなすところの、かの微小なる分業が生じたものである。、、、、産業的進歩なるものが、労働の分業の増加に通じて、、ついに各成員がそれぞれ相互のために各別行動を行ふといふやうような文明共存社会に至るものである、、、、この同質性より異質性の進歩において、、、」
六、同化と分化による進化と実在の人格である国家
1、同化と分化が社会の発展の基本法則である
2、この基本法則が、個人を生み出す。
3、日本歴史もそれの例外ではない(明治維新)、民主主義の大首領
4、天皇と「実在の人格である国家」(万世一系は未来規定)
5、天皇と議会の衝突
6、実在の人格である国家が主権を取り戻す
7、しかしながら、明治維新は法的に国家に主権がもたらされただけであり、事実上の国家はそうではない。
8、事実上の国家を完成させるのは純正社会主義である。
9、「実在の人格である国家」相互の関係と世界連邦
第282回現代史研究会
日時:3月1日(土)1:00~5:00
場所:明治大学駿河台校舎・研究棟第9会議室
テーマ:「2.26事件・天皇機関説・北一輝」
講師:古賀 暹(元『情況』編集長)
コメンテーター:菅 孝行(評論家・ルネ研)
参加費:500円
*古賀暹著『北一輝-革命思想として読む』(御茶ノ水書房2014.3月末刊行予定)
古賀暹さんは、「東京大学新聞」の編集長を経て、雑誌『情況』を創刊、第一次と第二次『情況』の編集長をやって来ました。亡父(「専守防衛」論の提唱者)が北一輝の思想に心酔していたため、北一輝の研究に手を染め、この度その成果を一冊にまとめ出版することになりました。今回の報告は、その前予告を兼ねてのものです。社会的格差がとてつもなく拡大している今日の状況は、1936年の2.26事件勃発時の不安な時代と相似しています。再び「愚かな戦争」を起こすことのないよう、彼我の歴史への目配りをし、今何をなすべきなのかを考えるためにも、皆様方の積極的なご参加とご意見をお願いしたいと思っています。
現代史研究会顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、塩川喜信、田中正司、(廣松渉、栗木安延、岩田弘)
*なお、今年は哲学者・廣松渉の没後20年目にあたります。先生は現代史研究会の提唱者でもありました。4月か5月ごろに、廣松渉の思想をテーマにした研究会を催したいと考えています。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study610:140217〕
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