イスラエルの「脱シオニズム化」:アラブ=イスラエル紛争のイデオロギー的源泉を枯渇させること
- 2014年 2月 18日
- 時代をみる
- 松元保昭
「人種主義と植民地主義の源泉となっているイスラエルのシオニズム」、あるいは「シオニズムとユダヤ教はまったく別物」「ユダヤの戦争と呼ばれているものは正しくはシオニストの戦争」と指摘されていながら、日本人の 多くがシオニズムの理解は難しいというと聞きます。シオニズムについては多様な角度からの情報があった方がよいように思います。昨年11月には、アメリカのシオニスト権力機構の米国政策への影響力を論じたジェームズ・ペトラスの論考をお届けしました が、今回は、同時期にパレスチナ人が論じた「脱シオニズム化」の論考を拙訳ですが紹介させていただきます。
著者のニコラ・ナースィル氏は、主に欧米諸国 の読者対象に活躍する西岸ビルゼイトのパレスチナ人ジャーナリストです。イスラエルはもとより米国・ヨーロッパの「脱シオニズム化」こそが、「この地域における平和を正夢にさせ、歴史を正常なコースへと回復させるであろう」と論じています。欧米人に対する切実なパレスチナ人の期待と読むことができます。ま た、文中で触れられているエルサレム諸教会の指導者による「キリスト教シオニズムにかんするエルサレム宣言」もご参考に拙訳を添えてみました。
シオニズム理解については、先回もヤコヴ・ラブキン氏の『イスラエルとは何か』(平凡社新書)を紹介しましたが、イスラエル/パレスチナ問題をめぐる現代史および世界史におけるその意味と位置づけについては、中東・イスラーム研究者の板垣雄三氏の独自の歴史理解に学ばれることをお勧めします。(板垣雄三著『歴史の現在と地域学―現代中東への視角』、『イスラーム誤認』、ともに 岩波書店、他多数)
また不十分ながら、いくつかの訳注を付しましたが間違いもあるかもしれません。くれぐれも上記二氏の諸著を参考にしていただきたいと思います。
なお、このニコラ・ナースィル氏の論説について、板垣雄三氏から寸評をいただきましたので紹介させていただきます。現在のパレスチナをめぐる情況も浮き彫りにする以下の鋭い洞察は、パレスチナ問題を考える私たちに、 さらに日本におけるさまざまな言説評価にさいしても、重要な指摘が含まれていると思います。(2014年2月16日記)
【「…原文も乱れているうえ、筆者は聖書の知識でも欠陥があり、アブラハムやヤコブへの約束を無視したり、バルフォア宣言について誇張した新(珍)説を持ち出したり…またアラブ社会の中のユダヤ教徒という問題を ヨーロッパの「ユダヤ人問題」に安直に連結してしまう筆者の頼りなさに注目する必要があるでしょう。…」
「筆者ニクーラー・ナースィルが欧米の外交政策ないしオート・ ポリティークとしての国際政治の変化の側からイスラエルの脱シオニズム化を進めようとして、欧米世論に訴えかける戦略をとっていることを 見抜く必要については以前指摘したことですが、むしろ大事なことは、欧米読者向けに書く、というより欧米メディアを顧客として売り込む、そのために、彼が採らざるを得ない 戦略戦術として、パレスチナ問題をイスラエル・パレスチナ紛争そして中東の平和をめぐる問題と捉え、正面から植民地主義とそれへの抵抗・ それからの解放の問題だという本質を打ち出すことを控え、自制して、欧米メディアと欧米読者とに通用する用語と論理構成とを借りながら、国際的植民地主義 において欧米とシオニズムとが一体的に複合する構造を半面適応的・半面教育的に掘り崩せないかという前記のような迂回戦略をこれでもかこれでもかと試みているうち、ミイラ 取りがミイラになる式で、彼自身がその思考法や論理の運びに慣れきってしまった観がある、という問題です。パレスチナ人同胞やアラブや世界のムスリムに向けてでなく、さらに日本人に向けてでもなく、欧米相手の言説の「たたかい」において、パレスチナ人ジャーナリストをしてそのように討死させるような、そんなパレスチナ問題なのだということを観なおさせる材料でしょう。…」
「植民地主義批判という本質論は抑制して「衣の下の鎧」として隠し、あくまで〈紛争〉解決・〈平和〉回復という欧米メディア・読者に合わせた議論の仕方で、メッセージを送ることを通じて、欧米の世論 や政策が変化することを期待し、そこからイスラエルという国のあり方を変化させる突破口が開けないものか、という筆者の試みから、私たちはあらためて八方 塞がりのパレスチ ナ問題の性質や構造を考えなおす機縁ともすることができるのではないでしょうか。」(板垣雄三)】
The “De-Zionization” of Israel: Drying up Ideological Wellsprings of Arab – Israeli Conflict
イスラエルの「脱シオニズム化」:アラブ=イスラエル紛争のイデオロギー的源泉を枯渇させること
ニコラ・ナースィル(Nicola Nasser)(松元保昭訳)
2013年10月30日
グローバル・リサーチ誌
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http://www.globalresearch.ca/the-de-zionization-of-israel-drying-up-ideological-wellsprings-of-arab-israeli-conflict/5356184
イスラエル国家の対内政策ならびに米国およびヨーロッパの 外交政策の脱シオニズム化こそが中東における平和の必須条件になってきたという認識が、徐々にではあるがイスラエルと世界の世論およ び公衆意識の中に着実に定着しつつある。
しかしながらこの認識も、欧米の外交政策をシオニズムへのイデオロギー的執着から解放させイスラエルが脱シオニズム化するまでは、アラブ=イスラエル紛争におけるシオニストのイデオロギー的水源を枯渇させることも、あるいはそれを現実政治に反映させることも、いまだ時を待たねばならない。
ジェイムズ・トゥローブ(James Traub:ニューヨーク・タイムズ・マガジンを中心に批評活動で練達のジャーナリスト)は、今年10月25日『フォーリン・ポリシー』誌が掲載した彼の論文で、去る5月にバラク・オバマ大統領が「対テロ戦争の再定式化を公表」した演説を引き合いに出し、「われわれは 過激なイデオロギーが根付くあらゆる場所で軍事力を行使するわけにはいかず」、「永久戦争」に唯一代わるものは「過激主義の水源」を減らす努力を継続することだ、という 一節を引用した。
過去20世 紀の大部分をつうじ現在にいたるまで、中東における「永久戦争」と「過激主義」の「水源」は、(本来の)世俗的(シオニズム)が転じた宗教的シオニズムの 「過激イデオロギー」と現実政治とが野合する不自然きわまる邪悪な組み合わせのなかに容易に見出すことができたはずである。
【訳注】文中の「世俗的転じて宗教的シオニズムthe secular – turned – religious Zionism」については、シオニズム変遷の理解が必要。シオニズムは本来、伝統的ユダヤ教 から袂を分かちユダヤ教信仰の日々の実践を無視して自らを民族主義(ナショナリズム)と一体化する非宗教的な世俗的シオニズムとして台頭した。しかし、バルフォア宣言を機にパレスチナの「領土」獲得が日程に乗ぼるようになると、聖書の言説「約束の地」を後ろ盾にした植民地的侵略を正当化する過激な宗教的シオニズムに転じた、と考えられる。その前史として、「シオニズム運動のプロテスタント的な源泉」があるが、前文紹介のラブキン氏の論説を参考にされたい。
この組み合わせは、母国で圧迫され反ユダヤ主義・ポグロム・ホロコーストの犠牲者にされていた西洋諸国のユダヤ人を人工的に寄せ集めた多国籍集団 に取って代えたため、パレスチナ・アラブ先住民の倫理に反する住民追放を容認し正当化することを可能にさせ、かつ欧米人にとってはあたかもうわべだけ倫理 にかなったことのように思わせた。
米国およびヨーロッパのシオニスト・イデオロギーに対する一貫した執着が、彼らがこのイデオロギーの落し児=イスラエルこそ中東における最大の「死活的利害」のひとつとみなす処遇の核心にある。そしてこうした処遇がこんどは、反米主義その他アラブの「西洋」に対するさまざまな形の紛争の心 臓部に横たわっている執着と化すのである。
アメリカの「新世界」という安全な避難所は、ヨーロッパ人にとっては、彼らの「ユダヤ人問題」を厄介払いして解決するため時機を得た実際的な解決であった。この「避難所」は今やイスラエルが吸収したより多数のユダヤ人を吸収している。
共産主義者は彼ら自身の解決策を提示した。それは旧ソ連の中国との国境近くのビロビジャンに[最初は共和国とする計画もあったが]ユダヤ人自治オブラスト(州)として実現した。そこはおよそ300万人のユダヤ人の居住地ともなった が、共産帝国崩壊後その約3分の1はイスラエルに移住した。
国民国家が市民権の基礎として法の支配を重んじることは、こんにちヨーロッパの当世風の規範であり、そこではユダヤ人は他の同国民が享受する憲法上の宗教的・市民的・政治的その他のすべての諸権利をひとしく十分に享受している。
もはや「ユダヤ人問題」なるものは、ヨーロッパに特定しても、西洋一般に 拡げてみても、存在しない。もし、そんな問題がいまなおしぶとく続いているとしたら、むしろ政治や金融やメディアの分野で決定権を有する者に及ぼすユダヤ人市民の不釣り合いな影響力に関係した問題であろう。
にもかか わらず、イスラエル内外のシオニスト・プロパガンダは依然として熱烈な調子で、ユダヤ人はイスラエルの外では危険に晒された一生物種であると煽り立て、ユ ダヤ人の移住を誘い、彼らの間に二重国籍と二重忠誠とを奨励し、さらにイスラエルの外にいるすべてのユダヤ人を「難民」と見做しているのである。
パレスチナ人の一指導者でパレスチナ の国会議員でもあるハナン・アシュラーウィ(Hanan Ashrawi)は、彼女が昨年9月6日http://www.huffingtonpost.comに寄せた一文の中で、イラク出身の有力シオニストでイスラエルの閣僚の一人でもあるシュロモー・ヒッレル(Shlomo Hillel)が語った言葉「私は、ユダヤ人が難民 としてアラブの土地を立ち去ったなどとは思っていない。彼らはシオニストとして来ることを望んだからここへ来たのだ。」を引用し、またイラク出身の移民でイスラエルの元国会議員ラン・コーヘン(Ran Cohen)の「私は言わねばならない。私は難民ではない。私はシオニズムの指令に基づいて来たのだ。」と語った言葉も引き合いに出している。
結果的には、抑圧されたヨーロッパ・ユダヤ人が中世ヨーロッパの異端審問の文化を避けて生き延びるため命からがら逃げ込んでいった先の、まさにそのアラブの安全な避難所の方に、皮肉にも「ユダヤ人問題」が移動したということなのである。今日、最大規模のユダヤ人マイノリティがモロッコのアラブ社会の中に見出されるのは、そうした歴史を物語っている。
このアラブの安全な避難所は、そのシオニスト・イデオロギーの結果、打ち続く戦争地獄・不安定・つねに進行形の紛 争・「ユダヤ人問題」再演の本拠地へと化してしまった。かつてはヨルダンを除く22のアラブ諸国の首都のすべてでユダヤ 人が繁栄するマイノリティをなしていたアラブ世界の中心に、65年前、イスラエル国家が人工的に創設されたからである。
【訳注】実際に「アラブ諸国」がつくられたのは、第一次世界大戦後の1920年、英国委任統治領パレスチナの範囲設定に合わせて英・仏が旧 オスマン帝国の領 域を分割する取り決めを決定した連合国のサンレモ会議に始まる。英・仏に加え日本・イタリアなど参加。ここから、アラブ諸国やトルコやイラン、そしてのちにイスラエルも加わる中東の「国分け」システムの形が出来てきた。ここで筆者が、パレスチナ問題を中東諸国体制という分断体制(オスマン帝国分割の国分けシステム)の視点から見ず、アラブ諸国がはじめから存在したという軽率な話にした点は批判されよう。(前文で紹介した板垣氏の諸論稿を参 照されたい。)
シオニズムは、二つの基本的な論点を論争的に持ち出すことによってパレスチナにおけるイスラエル国家の創設を正当化している。すなわち、まず神がユダヤ人に その土地を約束したという論点であるが、ここでは、ヨシュアと彼の軍勢が「神の命令」でヨルダン川を渡りイェリコの町を破壊し、男・女・子 ども・動物を皆殺しにしたときより、はるか以前からそこに久しく住んでいたアラブ住民に一体何が起きたかは問題外となっている。
つぎなる論点は、1917年11月2日、時の英国外務大臣バルフォア卿 が、神の意志を伝えるべく遣わされた使者と自任して行動し、ユダヤ人がパレスチナに「ホームランド」を得るという現代の神の約束を発布したことである。
【訳注】この「神の約束」は、アブラハムとの契約では「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで」(創世記:15章)となっているが、ヤコブの場合、「あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり」(創世記:28章)と神の約束が全地に拡大されている。またその契約は、「地の約束」だけでなく「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え」(創:15-13)と、その在り方にも及んでいる。ユダヤ教徒の流謫、寄留の民 という在り方は、 戒律遵守の実践によってひたすら「贖い」を待つという「神の約束」によるものである。シオニストはこの「神の契約」を土地の所有と考えて パレスチナの領土 の獲得、「イスラエル建国」を正当化しているが、ヤコヴ・ラブキン氏は、これは「『約束の地』を占有する権利を断じて意味するものではなく」、「その地が「約束」を受ける側ではなく「約束」を与える側に帰属しているということであり」「人為によって『聖地』を奪取することはしないというの が『神との約 束』」だ、と明言している。筆者は、シオニストたちが領土を強奪するときの正当化に持ち出すヨシュアのイェリコ侵攻だけを援用し、自らの在り方も顧みず聖書の 逐語理解を借用するシオニストの「約束の地」プロパガンダを批判的に扱っていない点は読者に誤解を与えよう。また「神の約束」説話は、聖書だけでなく当時の他の諸民族の説話にも登場していると考証されている。
さらに筆者は、「バルフォア宣言」の発布をバルフォア卿の主観的(信仰的)信念 に帰しているが、当時、オスマン帝国と交戦状態に入ったイギリスがパレスチナの軍事的掌握のためにシオニスト指導者の懇請あるいはロスチャイルドの資金援助付き要請を受け入れる必要があったこと、さらに19世 紀からユダヤ人国家を想定してきた植民地主義的構想の実現であったことなどに言及せず、まったく客観性を欠く論述になっていることは読者 を惑わせることに なろう。またシオニズム受容のプロテスタント的下地のあった帝国イギリスが、「パレスチナの地に民族的郷土を樹立する」として、さきの聖書説話の「約束の地」を現実政治の日程に乗せたことの罪はかぎりなく大きい。
ホロコーストという現代風の正当化は、他者すなわちアラブ・パレスチナ人が、彼らが犯したわけではない罪の代償を支 払わされている事実に注意を払うことはない。
さらに皮肉であるが啓発的でもある事実は、シオニズムがそもそもユダヤ人のオリジナルな創作ではなかったということ だ。
『キリスト教シオニズム:ハルマゲドンへのロードマップ?』(Inter-Varsity Press, 2004)の著者スティーブン・サイザー(Stephen Sizer)博士/師(シオニズム批判者として知られる英国の牧師・伝道者)は、去る8月1日の『ミドルイースト・モニター』紙上で「その運動[キリスト教シオニズム]の起源を尋ねれば、19世紀初期まで遡ることができ、その出発は、英国国教会の中の常 軌を外れた一部聖職者グループがキリストの再臨を必然ならしめる前提条件としてユダヤ人のパレスチナ帰還を求める働きかけを開始したことだった。…したがってキリスト教シオニズムはユダヤ人のシオニズムより50年以上も先行していた。テーオドル・ ヘルツル(シオニズム運動の指導者、『ユダヤ人国家』[1896年]の著者)の最も強力な支持者の幾人かは、キリスト教の聖職者だった。」と書いている。サイザー博 士は、その論説のタイトルを「キリスト教シオニズム:中東の平和を蝕む新しい異端」としている。
彼スティーブン・サイザー博士は、エルサレムのキリスト教諸教会の首長たち、すなわちラテン教会 (ローマ・カトリック)エルサレム総大司教ミシール・サッバーフ(Michel Sabbah)、シリア正教会エルサレム大主教スウェリオス・マルキー・ムラード(Swerios Malki Mourad)、英国聖公会エルサレム主教リヤーフ・アブー・ル・アサル(Riah Abu El-Assal)、福音ルター派教会エルサレム監督ムニーブ・ユナーン(Munib Younan)とともに、2006年「キリスト教シオニズムに関するエルサレム宣言」に署名し公表した。同宣言は、「われわれは、キリスト教シオニストの教義を、愛・正義・和解という聖書のメッセージを腐蝕させる誤った教説として、 全面的に拒絶する。」と結論づけている。
【訳注】サイザー博士は、署名した4名の在エルサレム諸教会指導者に招かれ、ドナルド・ワグナーとともに宣言文の起草にあたった、というのが実態のようだ。なお本文末尾に、同宣言文の拙訳を添えた。
シオニストが作り上げた物語は、イスラエルの「新しい歴史家たち」から異議申し立てを受けた。ベニー・モリス(Benny Morris)、イラン・パペ(Ilan Pappe)、アヴィ・シュライム(Avi Shlaim)、トム・セゲブ(Tom Segev)、ヒッレル・コーヘン(Hillel Cohen)、バルーフ・キンメルリン(Baruch Kimmerling )、その他の歴史家たちは、すでに「ポスト・シオニズム」の構想について考察を重ねそれを創り上げて いた。パペの結論は、シオニスト指導者らが計画し実行したのはアラブ・パレスチナ人の大部分を追放するための「民族浄化」だったというも のである。
シュロモー・サンド(Shlomo Sand)(イスラエルの歴史家、テルアビブ大学教授)の三部作―『ユダヤ人なるものの発明』、『〈イスラエルの地〉という発明』、および未発表の第3巻『神なき世俗ユダヤ人なるもの の発明』―は、まさにシオニズムの土台に大きな打撃を与えている。
【訳 注】三部作の最初の作品は、高橋武智監訳『ユダヤ人の起源―歴史はどのように創作されたのか』(ランダムハウス講談社、2010年)で邦訳されているが他は邦訳未刊行。また、ユダヤ人アイデンティティに焦点を当てたサンドの新作『いかにして私はユダヤ人であることをやめたか』も2013年、ヘブライ語から英訳されている。
シオニズム運動の初期段階では世俗的シオニズムは宗教的な「世界のユダヤ人」一般から嫌われていたこと、またそれが強力なユダヤ教徒少数派から現在もなお依然として反対されているイデオロギーだということは、シオニストたちが必死に覆い隠したがっている事実である。
ハイファ、エルサレム、およびテルアビブにあった「国連通り」は、「シオニズムは人種主義および人種差別の一形態である。」とした1975年11月10日の国連総会決議3379の採択に対抗して「シオニズム通り」 と改名された。
75年の決議は、1991年の国連総会決議46/86によって無効にされる。しかし、現在 もなお進行中のイスラエル・シオニストのイデオロギーおよび常習行為は、1975年の国連総会決議を復権する方向で再 審議すべきであって、その破棄が時期尚早であったことを表している。
国連が代表する世界共同体は、1947年の決議181を 採択することによって、先住民アラブ・パレスチナ人と侵入したよそ者シオニスト植民者との間でパレスチナを分割し、またキリスト教シオニ ズムおよびユダ ヤ・シオニズムに操られるまま行動し、中東の平和の命運を断って来たるべき将来長きにわたり人道主義的希望を達成困難なものにするという 歴史的過ちを犯したのである。
かつてユダヤ人は地域の歴史と社会編成の不可欠の一部をなしていたのに、シオニズムが現れるに及んでこの連係の実態は断ち切られてしまった。イスラエルおよび世界政治の脱シオニズム化という必要条件さえ整えば、この地域における平和を正夢にさせ、歴史をその正常なコースへと回復させるであろう。十字軍がこの 地域の歴史の遮断を惹き起こしたことは豊かな知識を与える先例であり、そこから教訓を引き出すことがあらゆる関係者にとって可能ではない だろうか。
Copyright © 2013 Global Research
(以上、本文翻訳終り)
【ご参考】
The Jerusalem Declaration on Christian Zionism
キリスト教シオニズムにかんする エルサレム宣言
http://imeu.net/news/article003122.shtml
http://int.icej.org/media/jerusalem-declaration-christian-zionism
「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)
キリスト教シオニズムは、シオニズムのもっとも過激なイデオロギー的立場を信奉する現代の神学的、政治的な動向であり、それゆえパレスチナとイスラエルの公正な平和にとって有害となっている。キリスト教シオニストの計画予定表では、帝国、植民地主義、および軍国主義のイデオロギーに福音が結び付けて考えられている。その過激な形態では、キリストの愛と正義が現在に生きているよりも、むしろ歴史の終末を導く黙示録の出来事を強調して考える。
われわれは、愛、正義、および和解という聖書の指針を堕落させる誤った教えとしてキリスト教シオニストの教義をきっぱりと拒絶する。
さらにわれわれは、パレスチナを全面的に支配し無意味な国境を現在一方だけに負わしているイスラエルおよびアメリカ合衆国政府の構成員とともにあるキリスト教シオ ニストの指導者たち、および組織の現代の同盟を拒絶する。これは、中東および他の世界のすべての人々の安全を脅かす終わりなき暴力の循環 を必然的に導いているからである。
われわれ は、あまねく存在するイエス・キリストが教えた愛、贖い、和解の福音よりも永続する戦争と人種主義的排他主義を進めるような政策を支持し 促進するキリスト教シオニズムの教えを拒絶する。ハルマゲドンの破滅へ向かうと世界を運命づけるよりも、むしろわれわれは軍国主義と占領政策のイデオロ ギーから自らを解放 するようひとり一人に呼びかける。むしろ、国々の和解を追い求めようではないか!
われわれは、占領政策と軍国主義の犠牲を被っているパレスチナ人とイスラエルの双方の人々のため、すべての大陸の教会のキリスト教徒に祈ることを求める。これらの差別的な行為は、イスラエルの排他的な入植地に囲まれてパレスチナを疲弊したゲットーに変えている。没収したパレスチナ人の土地の上に不 法な入植地を創設 し分離壁を建設することは、このすべての地域の平和と安全はもとよりパレスチナ国家の実現可能性をも妨害している。
われわれは、沈黙を破り聖地における公正な和解を語ることを沈黙しているすべての教会に呼びかける。
それゆえ、もうひとつの道として以下の行動基準をわれわれ自身の立場として誓約する:
われわれは、すべての人々が神の似姿として創られていると確信する。同様に、他者の奪うことのできない権利を尊重すること、すべての人間存在の尊厳を尊ぶことを、われらは求められている。
われわれは、イスラエル人とパレスチナ人が、平和、公正、安全の中で共に生きることが可能であると確信する。
われわれは、パレスチナ人はイスラム教徒とキリスト教徒と共にひとつの民族であると確信する。われわれは、彼らの一 体性を分裂させ破壊するすべての企てを拒絶する。
われわれは、他者の犠牲をある人々に許すというキリスト教シオニズムおよびその他のイデオロギーの狭量な世界観を拒 絶するようすべての人々に訴える。
われわれは、公正で永続的な平和を達成するため違法な占領を終結する最も効果的な手段として非暴力抵抗運動を果たす ことを誓う。
われわれは、キリスト教シオニズムおよびその同盟者たちが、植民地化、アパルトヘイト、さらに帝国建設を正当化していることを差し迫って警告する。
神は正義(公正)が行われるよう要求している。正義(公正)の基盤なしに、平和、安全、和解を保持することはできな い。正義(公正)の要求が見えないのではない。正義(公正)に取り組むことは、一生懸命、持続的に、かつ非暴力で続行されなければならない。
「主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことで はないか。」(ミカ書6:8)
これが、 われわれの立つところだ。われわれは、正義(公正)のために立ち向かう。ほかではありえない。正義(公正)だけが、わが大地のすべての諸 国民に繁栄と安全 な生活とともに和解につながる平和を保証する。正義(公正)の立場に立つことによって、われわれは自らを平和の仕事に用いて平和のために 働く神の子にさせ るだろう。
「すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」(コリント人への第二の手紙5:19)
ローマ・カトリック教会エルサレム総大司教マイケル・サッバーフ(Michel Sabbah)
シリア正教会の大主教スヴェリアス・マルキ・モラッド(Swerios Malki Mourad)
英国聖公会中東およびエルサレム監督リアー・アブー・エルアサール(Riah Abu El-Assal)
ヨルダンおよび聖地の福音ルター派教会監督ムニブ・ヨーナン(Munib Younan)
2006年8月22日
(以上、松元保昭訳)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2547:140218〕
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