テント日誌2月18日 経産省前テントひろば894日目…商業用原発停止162日目─テント外伝3
- 2014年 2月 18日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
今反原発運動は「人民運動」とは言わず「市民運動」と呼ぶ。思えば40数に私が街頭でカンパなどの際の演説で「通行中の労働者、学生、市民の皆さん!と言う風に呼びかけていた。そこで、仲間に「なぜ人民諸君と言わないのだろうか」と聞いた。その後総括会議で私は「市民と言うのはマヌーバーである」と主調したが、ある仲間は「人民諸君!とカンパを呼び掛けると偉そうに聞こえるから(今風に言うと”上から目線”である)、カンパをしていただくという立場に立つなら”市民”と呼びかける方が良いだろう」と言う意見が出た。要は”市民様”にへりくだったのだ。
その一方で40数年前ある地方に行き、そこの地方の運動で駅頭に立ち演説をしているときに、「市民の皆さん!」と呼びかけたら「俺は村民だ」との声が上がった。演説を別の人に代わってもらい、その「村民」と話をした。私は、「私が言っているのは行政上の市町村における住民を全て押しなべて”市民”と呼んでいるのではない。国家もしくは地方行政の枠とは別に、国家と相対的に自立している人を”市民”と呼んでいる」と言うような意味合いのことを述べたが、「村民」は「難しくてわからん。国に逆らうなんてお前はアカだ」と言った。私は、また日本は近代化されていない「杉作、日本の夜明けは遠いぞ」と思ったものである。今思えば、もう少しこの問題をこの時点で掘り返す必要があったのだ。
だが、その一方で当時からべ平連などがやたらと「市民運動」と言う言葉と、活動実践をしていた。私は、「市民運動」と言うのは「階級関係を曖昧にし、強いては階級闘争を否定するのではないか(当時ですよ、誤解なく)」と思い、内心反発をしていたが言葉には表さなかった。それから幾年月、今を迎えた。「市民運動」と言うものが幅を利かせており、極右排外主義者集団である在特会までが「我々の運動は市民運動である」と言って憚らない。まさに、「何でも市民運動」の時代である。マスコミも国家権力も「市民運動」を容認している。だが、「市民」とは一体何か。掴みどころのない存在なのだろうか、と私は考えている。参考までに「市民の政治学–討議デモクラシーとは何か:篠原一(岩波新書)」のほか、「市民」を扱った研究は多い。最近では東京大学出版会より「丸山眞男論 主体的作為、ファシズム、市民社会:小林正弥」が刊行されており、丸山の論理はすでに1950年代において「国家」との関係で自立する市民意識と言う概念を持つ、と言う意識が涵養されている。この問題を深く追及するときりがないのでここらで問題提起に終わるが、一つだけ断っておきたいことがある。
それは、欧米、特にフランスにおける「市民、及びデモクラシー」の概念は、古代ギリシャ、ローマの「(奴隷制の上に成立した)直接民主主義=市民社会」の概念があり、フランス革命などの血を流して勝ち取られた「権利意識」を有しており、それはマルクスにおいても極めて前向きな評価がされている。そしてこれは1789年におけるフランスの「憲法制定国民会議」において制定された「人権宣言」の骨子こそ当時の時代的制約があるにせよ「近代市民意識の原点」であり、1776年アメリカ「独立宣言」と双璧をなすブルジョア革命の到着点である、と思う。その意味ではこれらの理念は「ブルジョア革命に基づく、ブルジョア的市民意識」であり、超階級的なイデオロギーではない。今日、私たちが言う「市民運動」もこの理念をベースにして輸入されたものである。もちろん、その輸入には大逆事件弾圧などで「血は少し流された」が、欧米のように血で血を洗う歴史的な運動とは無縁である。そして、戦後アメリカの日本支配の道具としても「市民運動」の概念は用いられたのだ。例えば、学校教育の現場での「学級会=学級委員をクラスの全員で選挙で選出する」の言うのも最たるものだと思っている。
さて、現実の日本ではこのとても便利な「市民運動」と言うのが定着しているのだろうか。私が住んでいる革新的とも言われる杉並区では、未だに地域ボスが支配しており、それは町内会と自民党とが密接な関係を岩盤の如く存在している。駅頭などで「反原発市民運動」での直敵的な反発こそないが、それは「アカの運動」であるという認識は根深いものがある。そして、その自民党を支えるのが創価学会であり、公明党である。実際に生活に困ったら公明党に相談すれば創価学会会員でなくても面倒をよく見てくれるし、学会加入の押し売りもない、と言う評価もあるのだ。この、岩盤の構造自体が「前近代的なもの」とは言え、住民にとり理念ばかり叫ぶ革新政党や「市民運動」よりも即自的・利便性がある方を選択するのが当然と言えば当然なのだ。だから、やたらと危機感を煽り「地震が来たら原発事故で明日はない。だから、今こそ声を上げて反原発運動を行おう」と呼びかけても、住民は「そりぁあ危ないけど、それは今すぐではないでしょう」と言って意識的にその問題を彼岸化するのだ。反戦運動もしかり、憲法改悪阻止運動もしかりである。この、岩盤は住民生活に定着しており相当なショックでも与えない限り揺るがないだろう。
だが、今回の都知事選ではその岩盤構造内部から細川・小泉連合が生まれた。この、連合はすでに政界から引退した「賞味期限が切れた存在」とは言え、岩盤構造内部からの異議申し立てであり、戦前はもとより戦後においてもこのような異議申し立てはなかった。小泉に至っては、新自由主義の導入を行い、イラク侵略戦争を推進した責任者である。だからこそ、その張本人がその宗旨を変えたことの意義も大きいのだ。私は、この構造変化をパラダイムシフトのチェンジの兆候と見るのは彼らを持ち上げすぎなことなのかとも思う。だが、反原発集会20万人結集とは言えども、それは有権者の極一部である(これも誤解がないように言っておくが、そういう集会や運動が意味がないとか、ダメだと言っているのではない)。話をもどすと、既成保守政党の岩盤を打ち砕くことこそ反原発運動の当面の課題であり、それなしには再稼働阻止!福島の住民の生活権利回復、東電解体などの課題は達成できないと思う。3・11以降私は今までの運動の在り方なども模索していたし、住民の怒りと不安をどのように組織するのかも模索していた。運動の在り方の既成概念に衝撃を与えることの「壁の存在の大きさ」を感じていた。その一方で、細川・小泉連合の本気度とか、彼らを支えていた岩盤から孤立してどこまで運動を展開できるのかと言う不安もある。しかし、少しながらの期待感もあるのだ。それがどのような運動をして具現化するのかも分からないが、自分たちの世界だけの「既成市民運動」の構造をも変化をする可能性もあるのだ、と思いたい。
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