ウクライナ騒乱の歴史的背景
- 2014年 2月 27日
- 時代をみる
- ウクライナ市場経済盛田常夫
1990年代の初頭、ソ連邦から独立して間もないウクライナを何度も訪問した。民営化案件で目ぼしいものがないかと物色に行ったのだが、コムソモール(共産党青年組織)出身の青年たちが設立した商社の世話をしただけ、ウクライナはビジネスにならなかった。
当時、EBRD(欧州復興開発銀行)からもエコノミストが日参して、民営化アドヴァイザリーの仕事を行っていた。チェコで「成功」したかに見えた「クーポン民営化」(国民が国営企業資産を持ち合う構想)も失敗に終わったが、ヨーロッパから離れた旧ソ連の諸国ではなおさらのことだった。ソ連型社会主義経済から市場経済への転換は、西側エコノミストが考えるほど、単純なものではなかった。
体制転換のアポリア
西側のエコノミストのほとんどは、国有企業を民営化すれば、旧社会主義経済の市場経済化が達成されると考えていた。正統派経済学の世界でも、この体制転換を「計画経済から市場経済への移行」と名付け、「移行の経済学」(Economics of Transition)が一つの研究分野になった。しかし、この発想そのものに落とし穴があった。
ソ連型社会主義経済から市場経済への転換は、連続的なものでもなく、「民営化」によって簡単に移行可能なものでもない。資本主義経済における国有企業の民営化と異なり、そもそも資本市場も発達した市場経済も存在しない、さらに国内の資本蓄積のない国民経済で、いかにして「民営化」が可能なのという根本的な問題が存在していた。筆者はこれを「体制転換のアポリア(解決不能な矛盾)」(拙著『体制転換の経済学』新世社、1994年)と名付けた。
ソ連型社会主義経済は破綻し、国民経済活動のほとんどが無に帰した。訪問した工業企業のほとんどは、旧コメコン市場を失い、どの企業も事実上の倒産状態にあった。工業企業の技術も製品も、コメコン市場でならいざ知らず、とても西側市場で太刀打ちできるレベルのものではなかった。何十年にもわたる鎖国は、社会主義経済の工業を世界の発展から遮断してしまった。国が開き、貿易が自由化された途端に、これらの工業企業に生き残る術は残されていなかった。浦島太郎が玉手箱を空けたように、国民経済が開放された瞬間に、旧社会主義国の工業企業のほとんどが、自然消滅せざるを得なかったのである。
筆者はこれを「体制転換恐慌」と名付け、「体制移行不況」と名付ける国際機関の分析を批判した。「不況」という生やさしいものではなく、工業全体が崩壊する現象に見舞われたのである。崩壊から引き継がれるものはない。したがって、ソ連型社会主義からの体制転換に直面した諸国は、「無」から市場経済を作り上げるという難題に直面したのである。つまり、体制転換は国際機関のエコノミストが考えるような連続的なプロセスではなく、非連続的な歴史過程なのである。無からいかにして有を創り出すのか、それが20世紀末の歴史的体制転換の最大の問題であった。これが「体制転換のアポリア」である。
資本の原始的蓄積過程
資本、技術、経営、労働規律のどれをとっても、旧社会主義企業には国際市場で競争できるものは何一つなかった。そのなかで、無から有を創り出す試行錯誤が繰り広げられた。一つは直接投資(多国籍企業)の誘致であり、もう一つは国家・党資産の国民への再分配である。これこそが体制転換における資本の原始的蓄積過程である。
旧社会主義国では多国籍企業の進出にイデオロギー的な抵抗があった。資本主義企業は搾取するという観念はなかなか払拭されなかった。もっとも、多国籍企業にとっても、産業インフラや社会的制度が整備されておらず、西側市場から遠い旧ソ連邦諸国に投資のメリットを見いだすことは難しかった。ここに、チェコ、ポーランド、ハンガリーなどの中欧諸国と、旧ソ連邦の諸国の決定的な違いがあった。ハンガリーでは体制転換直後から直接投資を歓迎し外資依存の経済を構築することになったが、チェコやポーランドではイデオロギー的な制約から外資導入が遅れた。それでも2000年前後には、中欧地域全体に巨額の直接投資が入り、これら諸国の経済立直しの中心的な役割を担った。それにたいし、ルーマニアやブルガリア、さらにウクライナや旧ソ連邦の諸国への直接投資流入は低調で、これらの諸国の経済成長を著しく遅らせた。
体制転換開始当初、多くの国の指導者はハンガリーのような外資依存を排し、自国資本で経済立直しを図ろうとした。その有力な手法が、国民にクーポンを配り、国営企業の株主になることを勧める「クーポン民営化」であった。もっとも華々しくクーポン民営化が展開されたチェコでは、一夜にして数十億ドルの「クーポン-株式」市場が出現した。しかし、これは名目の時価総額で、実体のない形式だけの株式市場が機能しないことはすぐに明らかになった。しかも、この特殊市場を良く知るインサイダーたちのクーポン取引によって、突然、大企業の所有者になる実業家が出現した。まさに、クーポン民営化とは、国家・党資産の再分配で、その制度運用で漁夫の利を得たのは、この制度の運用や許認可に携わった人々であり、国家・党資産の所在を熟知している旧体制のノーメンクラトゥーラであった。
ハンガリーはクーポン民営化の道を選ばず、国有企業(党資産)の外資への直接売却を推進したが、その過程でやはり漁夫の利を得たのは、旧共産党の本部官僚、政府の高級官僚、コメコン取引に関与していた秘密諜報部員、これらの人々と密接な関係を持つ一部の実業家である。これがいわゆる「赤いマフィア」である。
まさに、20世紀末の旧社会主義国家の崩壊は、国家・党資産の巨大な再分配プロセスを惹起したが、これこそ無から有を生み出す錬金術だった。もっとも、錬金術が国内だけで終わってしまえば購買力のある富を生み出すことができない。略奪あるいは格安で取得した資産を多国籍企業に売却することによって、この錬金術が完成した。商業銀行の外銀への売却によっても、巨額の不良債権が損失処理(棒引き)され、事実上、国内資産が略奪された。それは国内の商業銀行だけに留まらない。およそ80年にわたってウィーンの目抜き通りに店を構えていたハンガリー国立銀行所有の商業銀行は、得体の知れない企業への野放図な貸し出しによって食いつぶされ、破産処理するしかなかった。この略奪を企てたのは、もちろん「赤いマフィア」である。
1980年代末から始まった旧社会主義国の体制転換における「民営化」の本質は、国家・党資産の再分配であり、多国籍業誘致による再分配資産の現金化であった。この壮大な歴史過程のなかで巨額の富を手にしたのは、旧共産党幹部、政府の高級官僚、秘密諜報部員などの旧体制のノーメンクラトゥーラだったのである。この国家・党資産の再分配過程における略取・詐取などの数限りない不正行為は、そのほとんどが見逃された。こうして、体制転換諸国の資本の原始的蓄積が展開したのである。
ロシアとウクライナ
ロシアの富の源泉は石油ガスや金属精製の国有企業である。ソ連邦崩壊の後、外資の介入を排して、これら企業の略奪を巡る壮絶な闘いが展開された。無能なエリツィンを操縦して巨額の富を略奪したベレゾフスキー(科学アカデミー研究所の数学者)や、青年実業家にのし上がったホドルコフスキー(コムソモール出身)などのオルガルヒ(新興財閥)は、旧KGBをバックにもつプーチン登場によって断罪された。オルガルヒの僕(しもべ)になると瀬踏みされて抜擢されたプーチンが、逆に自らを引き立ててくれたオルガルヒに牙をむいたのである。オルガルヒにたいする世論の反感とKGB権力をバックに、プーチンは恭順の意思を示さないオルガルヒを断罪し始めた。ベレゾフスキーは英国に亡命し彼の地で亡くなり、ホドルコフスキーは獄中に繋がれ、現在もなお出獄の見通しはない。
「人民の敵」オルガルヒを断罪したプーチンは喝采を浴びたが、彼は天然ガスの生産供給の巨大企業ガスプロムを権力支配下に置くことによって、自らの経済的基盤を築くことになった。このガスプロム利権がウクライナの利権と深く関わっている。
国土が広い割に、天然ガスや石油などの自然資源に乏しいウクライナは、ソ連邦から離脱した後も、ロシアのガスと石油に頼らざるを得ない。そこにロシアからの自立とロシアへの依存の永遠のディレンマがある。天然ガスをめぐる争点は二つある。
一つは、天然ガスの価格と支払い条件である。外貨収入の乏しいウクライナは現在に至るまで、ロシアへのガス代金の支払いを完済できない状態が続いている。他方、ウクライナには西側諸国へ供給するガスパイプラインが敷設されている。パイプライン敷地の使用料やパイプラインからの抜き取りをめぐって、ロシアとウクライナとの間の諍いは絶えない。
二つは、プーチン政権がウクライナに保有している利権である。その利権とは、得体の知れないガスプロムの子会社を経由して、ウクライナのガス売却代金を徴収するシステムである。ガスプロムの上級幹部連中は、欧州各国にガス販売の仲介企業、しかもほとんどが登記上存在するだけのペーパー会社を設立し、形だけの売買仲介をおこなって、巨額の利益を抜いている。それがプーチン政権の取り巻き連中の資金源になっている。
ティモシェンコはこの利権を批判して、クーチマ政権にたいして、ガスプロムの不当な利権を排除するように要求した。それにたいして、プーチンは「端金で騒ぐことはない」とクーチマ首相に語ったと言われているが、この端金は億ドル単位のお金である。もっとも、ティモシェンコ自身もガスビジネスに関わって一代を築いた人物である。
実はウクライナへの仲介ビジネスを始めたガスプロム子会社は、当初、ハンガリーに登記された会社で、ルーマニア山村のハンガリー系住民が所有者として登記されたものだった。ところが、この会社にはウクライナのガス仲介ビジネスで、年間、数十億ドルの売上げが入るように仕組まれていた。このことが暴露されて、ハンガリーの会社の登記は抹消されてしまったが、同様の手口で、ウクライナにガスプロムの子会社が設立された。ティモシェンコが首相に就いたときに、この問題がプーチンに提起されたはずである。しかし、プーチン政権の利権を保護することが、ウクライナへの安価なガス供給の政治的条件だとすれば、目をつむることも必要になる。
ヤヌコヴィッチ大統領の私邸にデモ隊が押し寄せ、絢爛豪華な邸内が公開された。人々は税金が蓄財に使われたと考えているが、プーチン政権と親密な関係を保っておけば、ガス支払い問題が大きな政治的問題にならないばかりか、個人的蓄財も可能になることを示している。数十億円程度の邸宅など、ロシアの政治家にとっては端金で、海外の隠し口座から簡単に引き出してもらえるお金なのだ。
EUに接近したとしても、ウクライナに代わって、EUがロシアにガス・石油代金を払ってくれるわけではない。西側の外資導入が限定的で、国内の市場経済の発展も進まないウクライナの前途は、親ロシア政権が崩壊しても、明るいとは言えない。
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