ウクライナ・クリミア問題:アメリカの博愛(攻)とロシアの友愛(守)
- 2014年 3月 22日
- 時代をみる
- ウクライナ・クリミア問題岩田昌征
ミロスラフ・ラザンスキなるセルビアの国際問題・軍事問題の専門家がいる。ベオグラードの『ポリティカ』紙に何回となくウクライナ・クリミア紛争に関して解説記事を書いている。特に「ヤルタ、ヤルタ」(2014年3月10日)と「クリミアから見る」(3月15日)は、歴史年表的には周知の事実でありながら、忘れられがちな諸重要事項をきちんと想起している。紹介しよう。
1945年2月4‐11日にクリミア半島のヤルタでスターリン、ルーズベルト、チャーチルの三者会談が行われた。そこで第二次大戦後の中部・東部ヨーロッパの勢力分布図が決められた。ドイツは四占領地域に分割。チェコスロヴァキア、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、そしてブルガリアが100%ソ連の利益圏に組み込まれた。ギリシャは70対30の割合で西側に有利。ユーゴスラヴィアは50対50で東西に。
ソ連東欧体制の最末期(1989-1991年)に、ジョージ・ブッシュ(親)は、NATOが東独領へ入ることは決してない、ただ東西ドイツが一緒になるだけだ、とゴルバチョフに約束した。次いで、アメリカ大統領は、NATOが旧ワルシャワ条約機構諸国を加盟させることや旧ソ連領に入ることは決してしない、とゴルバチョフに約束した。ゴルバチョフはすべてを信用した。「そして今日、モスクワでパイ・レストランの宣伝をやっている」。約束は偽りだった。NATOは、旧ワルシャワ条約諸国を組み込んだし、旧ソ連のバルト諸国にも入り込んだ。これらの行為は、西側によるモスクワ騙しである。
2月21日、キエフでより直接的なモスクワ騙しが起こった。ヤヌコヴィチ大統領と反対派の間に結ばれた協定のことである。ドイツ、フランス、ポーランドの外相たちは、この協定の保証人となった。その前に、オバマとメルケルは、プーチンにヤヌコヴィチが協定にサインするように影響力を行使するように要請していた。協定署名の数時間後に、協定は一方的に反故にされた。EUは、キエフの新政権承認を急いだ。西側の誰がヴラディミル・プーチンをゴルバチョフと同じだと考えたのであろうか。
以上が3月10日の解説記事の要点である。私、岩田なりに言えば、1945年にヤルタで始まった中東欧政治ベクトルが1989年に反転して、逆ヤルタが勢いを増し、NATOがロシア国境に迫りつつあるということであろう。
メルケル女史は、「ロシアは、クリミアを併合した」と否定的に語り、「クリミアとコソヴォを比較することは恥知らずだ」と語った。
ところで、ドイツ連邦共和国はドイツ民主共和国を併合したではないか。東ドイツは、国際的に承認された国家であった。東ドイツにおける国民投票も行われないまま、併合された。西側の誰も文句を言わなかった。
旧ユーゴスラヴィアの諸構成共和国は、諸共和国内の国民投票の後に分離・独立し、国際承認された。チェコスロヴァキアもまた平和的にチェコとスロヴァキアに分離・独立した。コソヴォがセルビアからもぎとられた。その当時、西側の誰もこれら諸国の、正確には分化する前のこれら諸国の「主権と領土的一体性」を強調しなかった。突然、西側がウクライナの「領土的一体性」を心配するのは何故であろうか。
以上が3月15日の解説記事の要点である。以下私見。
アメリカ大統領もドイツ首相もウクライナとクリミアをセルビアとコソヴォに類比されることを嫌う。類似点は以下の如し。
クリミアは、ロシアの軍事力でウクライナからもぎとられた。
コソヴォは、アメリカとNATO諸国の軍事力によってセルビアからもぎとられた。
クリミアでは、ロシアのプーチン大統領は熱狂的に民衆から愛されている。コソヴォでは、アメリカのクリントン大統領が熱狂的に民衆によって歓迎された。もしかしたら、クリミアの首都シンフェロポリにプーチンの銅像が建立されるかもしれないが、コソヴォの首都プリシティナには既にクリントンの銅像が建っている。
相違点は以下の如し。
アメリカは、軍事力の行使、すなわち78日間にわたる対セルビア大空爆によって目的を達成した。ロシアは、今のところ軍事力の存在によって目的を達成しつつある。アメリカは、コソヴォをセルビアから分離させた後に、コソヴォに大軍事基地を建設したが、ロシアは、以前から大軍事基地をクリミアに保有していた。アメリカは、地理的にも文化的にも遠方のコソヴォ・アルバニア人(バルカン半島のイスラム教徒)のために「博愛」精神で行動した。ロシアは、地理的に近接し、文化的に同じであるクリミア・ロシア人(正教徒)のためにFraternity「友愛」「兄弟愛」精神で行動した。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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