「グローバル化のナショナリズム―危険な兆候」
- 2010年 11月 4日
- 時代をみる
- 日ロ関係瀬戸栄一
中国とロシアによる「日本いじめ」は異様な兆候を示し始めた。いじめられる度毎に、当の日本のジャーナリズムが「菅外交の軟弱さがつけこまれた」と自虐的に批判し報道するものだから、中ロ両国はそれ見たことかと言わんばかりに、畳み掛けるように日本のプライドを傷つけている。ご主人様の米国のオバマ政権が経済の不振と中間選挙の大敗で手いっぱいであることも、中ロにとって忠犬日本いじめの好機である。
中国もロシアも日本いじめの根底に自国内の政権固めという、日本との領土問題とまるで無関係の動機を抱えているだけに、公正かつ客観的に見て、両大国の行動は危険で退廃的である。21世紀の巨大な火遊びに発展しかねない気配を感じさせる。中ロ両国内の途方も無い格差と貧困、一党独裁の壮大なマイナス、国内および近隣の他民族抑圧への悪用―。日本いじめはこれらのために利用する火遊びとさえいえる。
日本の予想される前途は、超保守傾向や極右の復活と、核武装を含む軍事力で中ロに対峙すべきだという極論の復活であろう。米国が相対的に力を減退させ、急速に巨大化する中国との妥協的政策を強めれば強めるほど、中ロの新しい冒険主義は力づけられる。日本では国際的地位の急速な低落という、新たな自虐傾向が急転、ヒステリックな排外主義的心理を呼び覚まさない歯止めは、次第に弱まりつつある。
▽中央認知の反日デモ
それにしても、中国とロシアの一連の領土絡みの行動は、両大国の指導者たちの水準の低さを世界中に晒した。まず尖閣諸島近海での漁船と日本の海上保安庁巡視船との衝突をきっかけとする日中両国間の摩擦。いまだに継続している。
ビデオを見なくても中国の中央権力が了承したうえでの、意図的な漁船による衝突であることは明白である。動機が海底油田の掘削を一方的に行なうきっかけ作りと、国内―特に中国北西部の貧困層による反日デモの誘発であることは、これまた明々白々である。
日本側が船長をいったん逮捕し、反日デモに脅えて直ちに釈放したことから、その弱腰ぶりをフルに活用した。菅首相と温家宝首相との日中首脳会談を二度にわたって五―一〇分間の「懇談」「あいさつ」に格下げして日本政府を苛立たせ、日本側の弱腰ぶりをテストした。
▽貧困の不満を反日に
それと並行して随所で小規模の反日デモを頻発させ、貧困や失業からくる不満を、尖閣諸島を守る日本側に向けさせた。デモをする若者にとって尖閣諸島は見たこともなければ、その領有権が自分たちの貧困とどう結びつくのか、分かるはずもない。極貧の原因が船長を逮捕した日本政府とどう関係するのかも理解に苦しむところであろう。
だが温家宝首相と中国外務省は首脳会談の拒否などの事実は国民に知らせず、逮捕した船長を中国の強硬姿勢に脅えてすぐに釈放した弱虫日本については公開した。二回目の「懇談」については、その事実関係さえ国内報道を許可しなかった。若者たちはインターネットを通じて連絡を取り合い、デモの場所や時間を打ち合わせて実行した。当局側はデモを基本的に黙認しながらも、過度に荒れそうになると直ちに警察力で押さえ込んだ。
▽火遊びは可能だ
一連の出来事を通じて中国側が「得たもの」は何か?
巡視船に漁船を頭からぶちかましても、日本は船長を慌てて釈放し、何も報復する術を持たない。米政府はクリントン国務長官の口を通じて「尖閣諸島は日米安保条約の対象範囲に属する」との立場を何度も繰り返すばかりで、あくまで日米同盟が口先だけの枠組みであることを立証するばかりだ。
今後、尖閣を含む南シナ海で中国が相当な乱暴をしても、手も足も出ないことが立証された。火遊びは可能なのである。おまけに日本の野党―自民党は与党民主党政府の弱腰ぶりを国会などで非難するものの、徹底した中国批判は抑制する。中国が反日デモを繰り返し、レア・アース(希少金属)の対日輸出を制限しても、日本の国会は手も足も出ない。
最も扱いやすいのは日本のメディアであって、中国側が首脳会談拒否などで挑発しても、批判の矛先はほとんど「菅首相の弱腰外交」に向けられ、対中国批判は極めて弱弱しいのである。
▽禁じ手使った大統領
こうした自虐的日本を観察しながら、中国と協議したうえで北方領土を舞台に挑発行動をとったのがロシアである。メドベージェフ大統領の国後島訪問は、ソ連時代からロシアが抑制してきた首脳の決断だった。北方4島の領有権は譲らないながらも、日ロ関係が最悪の緊張状態に陥ることだけはセーブしてきた。
だが、メドベージェフ大統領は「禁じ手」を決行した。首脳が北方領土に足を踏み入れれば日ロ関係は半永久的に冷え切った状態に陥る。自ら「強い大統領」を演出するために、資源的にも軍事上もロシアにとってほとんどメリットのない北方領土を、最高首脳が訪問すれば、折角「ビザなし交流」にまでこぎつけた「友好」関係は氷が張ったままになる。
▽光明消えた日ロ関係
中国と決定的に違うのは、1945年に友好条約を一方的に破棄して大軍を満州に南下させ日本の敗北を決定付けたのはソ連であって、北方4島はその余勢を駆って北海道占領を念頭にスターリンが占領を命じた産物である。後ろめたさはソ連側にあったし、広大な領土を持つロシアにとって、極東の4島をいつまでも領有しておく利点はほとんどなかった。
だからこそ、1990年代後半には当時のエリチン大統領と橋本竜太郎首相が友好的なクラスノヤルスク会談で、返還合意の一歩手前にまでこぎ着けたことさえあったのである。
だが力の政治を武器とするプーチン政権の誕生でこうした友好的雰囲気は消え、プーチンの力で大統領のポストに就いたメドベージエフ氏の愚かしい決断で、日ロ関係の前途から光明は消えた。(了)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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