「何をなすべきか」と現在(三)
- 2014年 4月 13日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
積極的平和主義(?)という危うい構想 2009年11月5日の論評から
「選挙前から民主党の弱点の一つは外交―安全保障問題にあるといわれてきた。鳩山政権の動きを見ているとなるほど思わせるところがあるが、これは民主党の問題というより自民党政権から引き継いできた問題である。アメリカのオバマ政権がブッシュ政権の戦争の継承と清算で遭遇しているのと同じである。さらに言えばアメリカのアフガニスタンやイラクでの戦争の始末があり、歴史的には冷戦構造後の現在的の戦争の処理の問題がある。日本は現在の戦争後を射程にした外交―安全保障の構想が問われているのだ。
前回、日本国際フォラムの提言を取り上げて論評した。これは混迷する日本、あるいは民主党の外交―安全保障戦略を的にしたものである、と見受けられたからだ。オバマ大統領の訪日を睨んでとも言えるが、積極的平和主義(?)
を標榜した危険な構想であると診断できる。積極的というところが怪しいのであるが、外交―安全保障問題ではむしろ「消極的」である方が結果として積極的であることを考えた方がいいのである。戦後の日本のこの領域での国家戦略に意味があるとすれば、消極的(?)などと評されてきたところであり、そこは積極的に継承すべき態度である。積極的(?)であったアメリカの動きを参照にしてもいいといえる。
この提言の基本的な枠組みは戦後の日本の取ってきた外交―安全保障戦略を「消極的平和主義」〈一国平和主義、一国防衛主義〉とし、これに「積極的平和主義」を対置するところにある。これは地域紛争と9月11日事件を経て確立されたアメリカの反テロ戦争戦略を現在的な安全保障―平和戦略として評価し、これに対応した小泉―安倍などの路線を、衣を替えて継続する主張である。「第二の敗戦」といわれる状態の継続である。戦争への踏み出しを「積極的平和主義」という理念でまぶしたのだ。そしてその具体的構想は非核三原則などの見直し、集団自衛権の行使禁止の緩和、武器輸出三原則の見直しなど、日本国家が戦争に積極的に踏み込んで行く道筋である。「積極的平和主義」として理念化される。今、何故、こんな国家戦略が提言されるのかと首を傾げたくなるが、現在の日本のこの領域の国家戦略の低迷に危機感があるためだろうか。「下手に動くな」ということは軍略では重要なことだが、アメリカの戦後の政治経済の主導性の終焉期の今、消極的な対応をしつつ、混迷の中に身を沈め、時間をかけてそこから浮上することを模索すべきだ。急ぐ必要はない。」
これは2009年の11月5日付けで書いた論評を引っ張りだしたものである。日本国際フォラムと称する団体が新聞の意見広告で政権にあった民主党の外交政策を批判していたのだが、これを取り上げて批判したものだ。現在の安倍政権が取っている「積極的平和主義」とはこれを取り入れたものである。この流れは戦後の日本が取ってきた外交―安全保障政策を「消極的平和主義」(一国平和主義、一国防衛主義)として批判することだが、その起源は1990年の湾岸戦争にある。1980年のソ連(当時)のアフガニスタン侵行(侵略)に対して宮沢喜一外相は不介入を宣言していた。日本は価値判断を持って臨まないという宣言していたのである。朝鮮戦争―ベトナム戦争に対してアメリカを支持してもアメリカの要請に応えて自衛隊の海外派兵はしないという立場を取ってきたのである。湾岸戦争で当時、小沢一郎が言いだしたことだが、この立場にとどまることを「普通の国」になることとして批判した。これが契機(起源)となって従来の外交―安全保障政策は消極的平和主義という批判が出てきた。小泉―安倍政権(第一次段階)ではアフガニスタンやイラク戦争への曖昧な形であるが自衛隊の派遣として踏み出した。民主党はアフガニスタン戦争やイラク戦争を総括しきれず、これに曖昧に対応してきただけだったのだが、第二次安倍内閣はここを発展させ、集団自衛権行使の容認(そのための憲法解釈の変更も含めて)や武器輸出三原則の緩和に踏み切り、その先に憲法改正を構想している。第一次安倍内閣時(小泉政権も含めて)と違う点があるとすれば、アメリカ政権がブッシュからオバマに替わり、その外交戦略が反テロ(中近東)から対アジア(対中国)に転換したことであり、日本でも尖閣問題を含め対中国戦略が大きくでてきたことである。この問題は日本においてはナショナリズムを浸透させる点で重要な問題となっている。積極的平和主義が湾岸戦争から反テロ戦争までの過程で主張されるなら、これは国際的関係の中での日本の対応(ある意味ではアメリカとの関係)であるから、批判もやりやすかったのであるが、中国脅威論がナショナリズム(対抗的ナショナリズム)と結び付くとその批判は困難なところにぶっからざるをえない。それが、安倍政権に対峙するときの僕らの困難な事柄なのである。積極的平和主義が文字通り戦争を支える理念になるためには、ナショナリズムと結合しなければならない。多分、安倍が戦後体制からの脱却としてめざすものはナショナリズムの復権であるが、これが戦後体制の反動的否定なら簡単には行くことはない。そこでは歴史的修正主義として内外からの批判が強いからであるが、僕らにとっては戦後の消極的平和主義を発展させ、それに対抗しえるものに組み換えて行けるかである。戦争に対抗できる理念と基盤をその上で構築できるかである。
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4810:140413〕
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