連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その6)
- 2014年 4月 14日
- カルチャー
- 川元祥一
10
その日、五月二十日。朝飯を食って学校に行こうとしていると奥の部屋から声がかかった。
「川田さんお電話よ」
炊事の法子だった。彼女はおやじの姪にあたるという。ポチャポチャと丸太りしたおっとり女だった。おやじ一族は何代か前からこの界隈に住んでいるという話だった。だから親戚がけっこう近くに住んでいる。田舎から出てきた俺にとっては、東京といえばギリギリした競争社会のようで、自分が東京に出るだけでも、いろいろな障璧を超えなくてはならなかったと思う。しかも神田は東京のど真ん中といえそうなのに、特別な目的意識も上昇意識もなく生活している法子やおやじの性格が不思議にも感じられるのだった。<東京にもこんな世界があるのか>と。
電話器がある部屋に入るとおやじが朝飯を食っていた。
「進ちゃん?朝早くからごめん」
明子だった。
四月二十五日に会った後、田尾徹治が東京に出てきて明子と一緒に伯母の家に住み込んでいる。部落の問題は絶対口にしないという約束を田尾徹治が了承し、二階の部屋を使っているらしい。田尾は絵描きだったが、それでは飯が食えないという。何かアルバイトをしながら絵の勉強をする。これまで二人いた家政婦のうち若い方に辞めてもらい、残った年配の家政婦を明子が手伝う形らしい。
「林町の京子ちゃん覚えとるでしょう。あの人が東京に来るんじゃとい。それが今日なの。私が迎えに行く予定にしとったんじゃけど、さっきなぁ私の代わりに辞めたお手伝いさんがなぁ、残して行った衣類を取りい来る言う電話があったんじゃ。ほいじゃあけん伯母ちゃんが、お前が行って辞めてもらったお礼を言うてから衣類を渡しちゃれえ言うんじゃ。その人が来るのが十一時じゃ。京子ちゃんは十一時四十分に東京駅へ着くけん間に合わんのじゃ。ほいじゃぁけん伯母ちゃんが、進ちゃんに頼みなさい言うて」
東京駅は俺がいる神田の隣の駅だ。しかも明子は新聞配達員の生活パターンを知っていて電話している。そんな者に頼まれて断ることは出来そうになかった。
「東京へ来て就職でもするんか?」
林町の京子といえば、町で育った明子とは反対に、俺の村から東に十キロばかり行った山の麓の村にいた従姉妹だった。俺の母の姉妹が五人いて、それぞれ嫁ぎ先で子供を産んでいる。いちいち数えたことはないが、俺からいうと、そんな従兄妹が十人はいそうだ。
「京都の舞子になるんじゃとい。本格的な修行になったらほとんど外出出来んけん、今のうちに東京に来ときたいんじゃとい」
親戚とはいえ女の子の思いつきの遊びに付き合いたくはなかった。しかし承諾するしかない。<俺の一族が東京へ東京へ集まることになるのではないか…>変な予感が脳裡を走る。<しかもギリギリと神経を尖らせ、ありもしない未来をみつめて…>
電話を切ってから学校に向かった。店にいるより学校の方がいい。その上、昨夜からの国会の動きが気になる。深夜の事だったが、自治会で何もないとは思えなかった。
学校に行くと、キャンパスに異様な空気があった。まだ朝早いというのに学生の姿が多く、しかもあちこちにその固まりがあった。学生が立ち話をしている様子だった。自治会室に入ると二人の学生がいて、むしろガランとした空気が漂っている。部屋の奥で東洋史四年の小室がビラ刷りをし、窓際では今年入学したばかりで、最近自治会室に出入りするようになった英米文学の大下が何か印刷物を読んでいた。
「他の人まだ来てないの?」
「みんな国会に行ってるよ。夕べから緊急事態宣言が出てみんな泊まり込みだよ」
小室がいう。その口調には何かツンツンした響きがあった。<今頃来て間の抜けたことを聞くな>とでも言いたいのか。そんな空気だったので<この糞ったれ…>と、何か言い返したかったが、俺は言葉を呑んだ。そんなことを気にしている場合ではないかも知れない。部屋にいた二人は全学連中執から緊急の連絡がある場合の要人として残っているらしい。
小室は高校生の時から共産党に入り、日本の革命を考えていたという。しかし最近は共産党の路線を批判し、新しい革命政党を目指しているともいう。その辺は小野田とほとんど同じではなかろうか。異なった土地で育った人間がこんなにも同じ人生を歩くものなのかと不思議な感じさえするのだった。
もっとも、ごく最近はこの二人の考え方に微妙な違いがあるのかも知れない。小野田は、今の安保反対闘争が日本革命の前夜だと強調するが、小室はその辺のことをあまり言わなくなっている。そして二人が肩を並べて歩く姿もあまり見なくなっている。小野田は最近ますます活気づいて、革命家気取りなのだ。安保闘争の最前線で革命をリードしているのが自分たちの革命党、彼はそれをブントと言ったが、その革命党で指導され、前衛として闘うのが全学連主流派であるとも言う。小野田的明確さだった。そうした明確さや正直さが面白いとはいえ、俺には小野田がいうブントがどんな理論を持つのかわからないし、わかろうという関心も起こらなかった。いずれにしろ小野田が言う革命前夜は甘すぎると思うし、小野田には度々そんなことを言って反発した。最近では国民会議を含めて十万人もの人が国会議事堂を包囲する。全国各地のデモを含めると百万人を超えるという。しかし反対に、たかが百万人ともいえるのではないか。そうしたデモのことを知らない者がどれほどいると思うのか。理屈っぽい大学生の自治会運動をリードしたからといって、それがどれほどのものだというのか。
小野田が革命前夜を熱っぽく語る時、俺は時々部落問題を話してみる。それは小野田の革命論に合わせたり反論するためではない。それは俺の欲望のため、俺の自由と存在のためなのだ、と彼に告げておく。そして、もし仮にそうした俺の歴史と存在、そこにある疑問難問を真剣に解こうとする考えがあれば、それが俺の前衛党だとも言った。小野田の言うマルクス・レーニンからするとかなり道筋の異なった、自分を中心にした発想かも知れないが、そうした自分の存在を無視して何かが始まるとは思わない。そんなことを思いたくもない。
<誰もいないなら何をして過ごそうか>そんな事を考えている時、突然ドアが開いて無精髭の男が入ってきた。中執にいる工学部の進藤だった。
「今日は全学授業放棄で国会デモだ。朝からニュースを聞いて学生がドンドン集まってるから今日はいけるど。十二時に校門前に集まって出発する。それだけを正門前でしゃべってよ。教授たちには中執が話す。国会に行ってる教授もいるし、今日の授業はないよ」
それだけ言って進藤が引き返す。
「川田、日文だけでなく仏文も頼むよ。大下は露文も頼む。俺は歴史関係全部まわるから」
活動家らしく小室が指示した。
「わかった。十二時に正門から出発だな。だけど俺は用があってデモに行けないよ。十一時には抜けるよ」
「なんだよ。こんな時抜けるのかよ」
ビラを刷っていた小室が手を止めた。俺は一瞬その言葉が冗談かと思った。が、小室は真顔だった。<何だというんだ>俺は小室を見直した。<この野郎何を考えている?>俺がデモの途中で抜けるのは度々だ。それは皆承知している。今日はその時間より早く抜けなくてはならない。どっちが大切か考えるようなものではないだろう。いろいろな事情があるというものだ。しかし小室の表情は変わらなかったし、言い逃れもなかった。俺がデモを抜けるのを快く思っていないことを示しているのか…。もしかして、俺がデモを抜けるのを根に持っているということか…。<こんな奴に革命は出来ないだろう。絶対に出来ないだろう>。
俺はテーブルにあるビラを取り、黙って自治会室を出た。悔しい思いはあったが、どういう言葉で反論すればいいのか、うまく思いつかないのだった。俺は日文の教室に入り、「十二時にデモが出る」とだけ言ってビラを配った。日文から仏文の教室へと回って行くと、まもなく仏文の山田が駆けつけてきた。同じ仏文の三年生村井も見つかった。必ずしもすべての活動家が国会に駆け付けているわけではなさそうだ。
十一時頃になると何人かの活動家が国会から戻ってきた。進藤が言ったことは全学連中執の方針として国会にいる連中にも届いたのだろう。小野田も戻って来た。俺はその小野田に事情を話して学校を離れた。
11
十一時四十分ピッタリに東京駅十番ホームに東海道線上り特急列車が入って来た。京子は三号車に席を取っていて、降りたプラットホームでそのまま立って待っているという。どんな服装なのか聞き損ったが、下膨れした一重瞼の顔は見逃すことはないと思った。俺より一つ年下で、林町というかっての小さな宿場町にある高校に通っていた。彼女たちの家は宿場町からさらに四キロは離れていて、人も通わない山奥といった感じの村だった。昔はそこに殿様の秘密の米蔵があって、その番をしていたという伝説が残る村だった。二十戸ばかりのその村に俺の従姉(兄)妹が三人もいて、俺の家にいる従兄弟の順一が自転車を買った時には、それを借りてよく遊びに行ったものだ。俺の村に比べて物静かな、透明な感じの村の空気が好きだった。京子ともよく遊んだ。いつ見ても泥んこ交じりの田舎ッペといった女の子だった。そんな女の子が舞子になろうとして京都に出て、厳しい修行を覚悟したうえで、その前に東京に遊びに来る。あの田舎ッペがそんな発想を持つこと自体、信じ難いのだったが、考えてみると、俺が大学生として東京にいること自体、人から見ると同じように信じ難いものかも知れない。
京子はすぐ見つかった。服装だけでは東京の女の子と変わりなかった。ピンクっぽいジャケットと同色の花模様のブラウス。胸の膨らみも一人前だった。明るい緑系のスカートもよかった。動かないという意思をもってプラットホームに立つ感じがすぐそれとわかった。近づくとなつかしい少女の顔。おせじにもペッピンとはいえないのに、なぜ舞子なのか、よけいなことを考えてしまう。
「なんで舞子になろう思うたん。全然想像つかなんだで」
肩を並べて歩きながら尋ねた。
「京子じゃけん京都じゃがな」
京子が駄洒落をいう。とたんに思い出したが、この性格だけは田舎にいるときと変わらない。高校生の頃からこんな思いつきを言う女だった。利発なところを持っているのかも知れない。そして舞子もそうした洒落た思いつきの一つかも知れない。
「本当はなぁ。お父ちゃんの親戚の人が舞子だったんじゃ。ほいで、やってみたら言われて。他にええ仕事もなさそうじゃしなぁ」
なるほど、と思った。京子の家庭も万全とはいえない。彼女が幼い頃から親が別居状態たった。そのうえ、京子にとってはいつまでも父親であるはずの男が、村を出たまま音信不通でもあった。俺が大学受験を思い立った後の消息はわからないものの、京子の今の話では、どうやらその父親と連絡を取り合っている様子だった。
「お父ちゃんと会うことがあるんか?」
「今度久しぶりに会うた。就職のことでなぁ。お父ちゃんは結構顔が広いがな」
「今どこへ居るん?」
「名古屋。一年くらい前にようよう居場所がわかったんで。舞子をしょった叔母さんが、一人娘を放っといたらいけん言うて間に入ってくれたの。昨日も一応会うてきた。一応親じゃけん。高校出る前に手紙を出しといてこの四月にも会うたんじゃ。舞子をしょった叔母さんと京都の置屋へ行ったけんなぁ」
「今朝名古屋から列車に乗ったんか」
「そうじゃ。駅前のホテルを取ってくれたけん」
京子の父親は森永洋太郎といって、京子と母親が暮らす村の青年だった。高校生の時期、水泳の中距離で全国優勝したことがあって、ひと時新聞などで騒がれ、将来を嘱望されるところがあった。その頃から京子の母勝美とできていたらしく、高校を卒業してまもなく京子が生まれたのだ。その頃、洋太郎の実力を買って大阪あたりの大学から推薦入学の薦めもあった。しかしその時は我が子の誕生を優先して諦めたらしい。しかし、結局のところ洋太郎は古くて小さな山村に留まることができる男ではなかった。京子が二才の時、仕事を捜すと言って村を出た。そしてそのまま村に戻らなかった。二年くらい後には音信不通になったという。
「名古屋で何をしょうるん?」
「セールスマンらしい。大きな不動産屋じゃ言よった」
京子が洋太郎の家に泊らずにホテルに泊まったとしたら、洋太郎の家か住まいに何かの事情があるかも知れない。京子たちとは別の家族が出来ている可能性もあるだろう。そんな事を訪ねてみたかったが俺は言葉を呑んだ。それを知ったからといってどうなるものでもあるまい。
山手線で池袋まで行き、西武線に乗り換えて大泉学園の伯母の家まで京子を連れて行った。俺にとっても少しは思い出のある家だったが、そこでは新しく若い男女の新婚生活が始まっており、俺の思い出どころか、俺の居場所もない雰囲気が漂っていた。
平日の昼間なので伯母はいなかった。何かと口うるさく人に干渉する伯母がいなければ、ここは新婚夫婦の天国だろう。俺も受験前後の二ヶ月余りここにいたのだ。あの疑問難問がなければ俺は今もここにいるかも知れない。もっとも、あの問題がなければ伯母は横浜の例の男と一緒に暮らしており、子どもをつくって家庭を持ち、田舎から出て来る親戚のことなど構ってはいないかも知れない。
明子の彼氏、田尾徹治としみじみ顔を合わすのは初めてだった。田舎にいた頃、清を訪ねて家まで来た徹治を遠くから見たことがある。が、声を交わすことはなかった。痩せて背の高い男だった。肩まで伸ばした長髪がいかにもそれらしい。明子と京子が話し込んでいる間に徹治が俺を二階に連れて行き彼らの部屋と、徹治がアトリエという部屋を見せてもらった。二階の二部屋はこれまで家政婦が使っていた。その家政婦の一人が首になり、もう一人が玄関脇の小部屋に移動した。そして明子がその家政婦の弟子となる。そんな小さなドラマに代わって、二階の一部屋からは何故か初々しい空気が漂うのだった。新婚夫婦というのはこんなものなのか。そしてもう一つ、徹治のアトリエには揮発性の油の匂いが漂い、乱雑に置かれた絵具や描きかけのカンパスが、見たことのない生き物のようでもあった。
「伯母ちゃんは今日お昼に仕事が終るって。だからお昼過ぎにはここに帰ってくるわ」
下に降りると明子が言った。電話で話す田舎の言葉ではなかった。もう一人の家政婦の手前なのか。もっとも、その言葉が含む意味も、俺にはすぐわかった。ゆっくりしていいが伯母に会う覚悟をしておけという意味だ。伯母はいつもなら三時ころ仕事を終えて四時ごろ車で帰ってくる。人より一足先に職場を離れ、職場の運転手付の車で戻ってくるのが彼女のステータスなのだ。明子はいつものそのパターンより早く帰るのを知らせている。
「俺はすぐ帰るよ」
「お昼ご飯すぐ出来るから食べて行けば」
俺は彼らがくつろぐキツチンを離れ、奥の大きなドアを引いて伯母が使っている部屋に入った。このドアから奥が伯母だけが使う家の聖域だ。重い空気が漂う広い部屋の真ん中に高級品らしいソファーやテーブル。天井にはシャンデリアだ。壁側のサイドテーブルの装飾品も重々しい。叔母はこの部屋を居間と言った。そしてその向こうに二部屋あって、西の廊下に面した一番奥が伯母の寝室。この一角は同居人でも勝手には入れない。俺がひと時滞在した時は、玄関わきの応接間の横の客室だった。家政婦はもちろん明子たちも掃除をする時以外は入れないはずだ。
俺は広い廊下にある安楽椅子に座った。ガラス戸に掛った重いカーテンが綺麗に開かれ庭が見えた。毎朝このカーテンを開けて綺麗に結ぶのが家政婦の重要な仕事だった。伯母がこだわる結び方があるのだ。明子もその結び方をしつこく教えられただろう。外の庭もけっこう広い。そしてそれなりに植え込みを作っているのだったが、特徴的なのは、その外側に屋敷を取り囲むポプラが植えられていることだ。なぜかこのポプラが伯母のこだわりだった。
安楽椅子は小さなガラステーブルを挟んで二つ。ある日俺と伯母はここに座って、あの問題のことを話した。俺が大学入試をパスし、入学金などの手続きを終えて、一息ついている時だった。入学金は伯母に借りたが、その他の授業料や生活費は自分で稼ごうと思っていた。そこまで援助してくれる者がいるとは思っていなかった。
とはいえ、入試の間だけでもこの家に滞在してみると、あることに気づく。独り暮らしの伯母にとって、親戚の青年が一人同居するのは決して悪くはなさそうだ。それは伯母も同じ気持ちだったのではないかと思う。ここにいる間に俺は、庭の木の枝を切ったり、生ごみの穴を掘ったり埋めたり、雨樋の修理など、次々と伯母に頼まれてやった。叔母にすれば、いつもは誰かに頼んでいたものを俺がいるうちにと、いろいろやらせたと思う。これらはやはり男の仕事なのだ。経済力があるとはいえ、こうした仕事をいちいち他人に頼むのは寂しいのではないか。そうしたことが実感だった。また俺は俺で、二ヶ月もこの家にいると、自分から出ていく理由は何もないかに思えるのだった。伯母が許す限りここにいて大学に通えばいいのではないか、と。
伯母の方にも、そうした空気を否定する素振りはない。しかしそれでも、ふと思うとあの問題があった。彼女が避けようとしている問題。二度と触れたくないと思っているだろう問題。そして、彼女よりはるか後から生きる俺が、大きな疑問として避けたくないと思っている問題。本当にその問題が存在するのかどうか、自分の体で確かめたいと思っている問題。
そんなある日のことだった。叔母が朝から家にいたのだから日曜日だったと思うが、与えられた客間で買ったばかりの本を探していた時、伯母が応接間まで来て俺を呼んだ。
「進一ちょっと来てちょうだい」
出て行くと叔母がこの椅子に座っていた。そして前にあるこのガラステーブルの上に、俺が捜していた本が置かれていた。どうしてこんなところにあるんだ、と思ったが、すぐ思いついた。
入学手続きで何回か明治大学に行ったが、その折り神保町の古本屋街を歩いたことがあった。この古本屋街についても、高校時代に経済を教えた長尾という教師が教えてくれた。 実は俺は高校進学の時、女手一つで生活を支える母を早く助けてやりたいと思って、商業高校を選んでいた。高校に入った瞬間、そうした甲斐甲斐しい気持ちを忘れてしまったのだったが、ともあれそうしたことで経済についてはけっこう多くの時間授業を受けた。
その長尾という教師に一癖あったというべきか…。株式会社を創立する時の資本金の意味や集め方を教える時、カール・マルクスが論じたという資本と労働力と賃金の構造や余剰価値の意味を教えていた。それはまた、帝国主義にも発展し侵略主義にも発展する。朝鮮・韓国や中国にもおよぶ先の十九年戦争の背景に繋がる話でもあった。そうした資本の性格を一つの図式として黒板に描いたので分かりやすかったのを覚えている。
そんな長尾がねたまたま当時の担任教師から俺が大学入試の準備をしているのを聞いたのだと思う。ある日、教室の前で擦れ違った時「東京へ行くんなら神田の神保町というとこの古本屋街を歩いてみたらええよ。面白いよ」と言った。土地勘も何もなかったので幻想のように聞いていたが、それが明治大学のすぐそばだった。好奇心に魅かれて歩いたのだった。そして、ある店に入ってハタと心を引くものを見た。なんと、予想だにしないことだったが、俺がもつ疑問難問に関する本が何十冊と並んでいるのだ。晴天の霹靂とでもいうべきか。<さすが東京>と思いながら背表紙を眺めた。中身はまったく想像できなかったが、それらしい名前なのだ。その中に聞き覚えのあるものを見出し、ちょっと無理をして買い取ったのだった。戦前書かれたという『特殊部落一千年史』という本だった。部落問題ではよく知られた本だ。それを買って来て応接間のソファーに寝転んで読んでいた。本を読むにはこのソファーがちょうどいい。その時、自分でうっかりしたのかどうか、あるいは急に動く用があったのかも知れないが、本をそこに置いたままにしたようだ。次の日俺はその本を探していた。しかし残念ながら、その本が伯母の手に入っていた。多分、ソファーにあるのを伯母が見つけ、これまた多分と言いたいが、伯母にとっては禁書に当たるであろうその本を隠した。そしてあらためて俺を呼んだ。
「そこに座って」
伯母が言った。そして俺の前で日焼けした黄色い本を裏返した。その文字ももう見たくないといったサインなのか。
「あのね、あなたがこの家から大学に通うのならそれはそれでいいの。私も助かるわ。てもね、そのためにはどうしても守ってもらいたいこがあるの。私が嫌だと言うことはしないでほしいの。特に、村の問題はね。私一切関係ないの。これは絶対よ。口にもしないって約束してほしいの」
俺は、伯母が横浜の男と離婚した理由を明子から聞いていた。だからその気持ちはよくわかった。しかしだからといって、俺が伯母と同じ人生を送らなくてはならないというのは納得出来るものではなかった。
「言ってる意味はわかるけど、俺は俺でそれを自分で確かめたいんだ。俺が差別されるのかどうか。自分で確かめもせずに差別を前提に生きて行くのは出来ないと思う」
「あなたの考えは立派よ。でも私はそんな生き方はしないの。これは二度と言わないから聞いといて。これまで私は一人で自分の地位を築いてきたわ。そのためいろいろな人と協力してきたの、今もそうよ。だから今更そのことを言うこと出来ないのよ。そんなこと言ったら、今の私の地位は終わりよ。東京でもそのことはあるの。だから私の言うこと聞けなかったら、この家にいられないということ…。よく考えといて」
それだけだった。そして俺と彼女の間はそれがすべてだった。
「進ちゃんご飯よ」
明子が声をかけた。幻影から覚めるかのように俺は立ち上がった。もう一つの現実がここにある。どっちが本物なのか?いや、それだけではない。幻影から覚めたこの現実もいつもの俺からすると異次元のようだ。
キッチンに行くと徹治が新聞を広げて読んでいた。裏側になった一面トップには警官隊を導入して安保特別委を開いた乱闘国会の写真があり、「新安保強行採決」「警官隊国会導入」などの文字が黒々と踊っている。国民会議は改めて非常事態宣言を発表し、抗議集会への緊急動員を呼びかけた。全学連主流はもちろん全力投入するだろう。今この時間、デモ隊が国会議事堂を取り巻き、全学連派は当然のように激しいジグザグデモを繰り返し、国会突入を試みているに違いない。小野田の生々した顔が目に浮かぶようだ。
「国会は荒れてるんだよ」
徹治が新聞を畳むのを見て俺は言った。
わざわざ言うのは嫌だったが、新聞一面に載るこの問題を黙っているのもおかしな感じだった。
「進ちゃんもデモに行くことがあるん」
明子が聞いた。
「まあなぁ」
「今朝なぁ名古屋駅で列車に乗る時鉢巻をしたり旗を持ったりする人が大勢いてなぁ。線路に降りて汽車を止める言うて大変だったで。私が乗った列車ももうちょっとで止りそうだった。どうしてあんなことをするんじゃろうなぁ?」
「暇な者がするんじゃ。わしらぁ仕事をせにゃぁいけんけん、そがいなことは出来んで」
徹治が言った。大学生の間でも似たような意見があったが、自由人のような徹治の声としては以外だった。
「列車の一つや二つ止ってもええがな」
俺が言った。
「そんなことしたら京子ちゃん今ここにおらんがな。迎えに行った進ちゃんも困るでしょう」
明子が言う。
「困ってもええ。国会でおかしなことがあって、皆んなが怒って列車を止めても、俺はかまわん。列車が全部止まって俺が東京駅で待ちぼうけを食らうても何ともないで。それはそれで面白い」
「変わった意見もあるもんじゃなぁ」
話がもつれるのを避けるといった口調で徹治が言う。伯母の条件を受け入れる徹治の性格がわかった気がした。
「昨日なあ、清ちゃんから電話があったんで」
明子が言った。話題を変えようとする意図がわかるのだった。
「私たち、ここに来て一カ月くらいなんじゃけど、まだ徹っちゃんと一緒に清ちゃんとこへ行ってないの。それで怒られちゃった。挨拶にも来んのか言うて」
「……」
俺は口ごもった。何とも言葉の出ない隙間に出くわした感じがする。<清もまたろくでもないことを考えている>。
「四月に御茶ノ水で進ちゃんと会うた後清ちゃんとこへ行ったがな。その時も機嫌が悪うてなぁ。『わしゃぁここでエライ仕事をしょんのい。お前らにゃそのエライことがわからんのじゃ』言うて。最初は何のことかわからなんだけど、伯父さんが古い雑誌を見せてなぁ。エライ言うのは立派じゃいうことを言いたいのがわかった。その雑誌に野茂広治が清ちゃんのことを書いといてなぁ。期待する作家じゃ言うて。進ちゃんにゃ言わなんだけど、その時からなんか近づき難い感じがしたで…」
「その雑誌を読んで聞かせなんだか」
「読んでくれた。大きな声で。私にはようわからんけど」
「その雑誌は俺が神田の古本屋で見つけて持って行ったんで。正月二日が新聞の休みじゃけんなぁ。今年の元旦に持って行ったんじゃ。清ちゃんはそがいな雑誌があるのも知らなんだけど読んだ後、ちょっとの間口をもぐもぐして何んにも言わなんだけど、急に雑誌を表彰状のように持ち上げてなぁ、声を出して読んだで。声を出して読んだらお前らにも身に入る言うて。恋人じゃいう女が来とったけんその人にも聞かせたかったんじゃないか?」
「昨日の電話では、その人と結婚したらしいで」
「女には手が早いっちゃ」
徹治が茶々を入れる。
明子が言う雑誌は『新文学』いう薄い文芸雑誌だった。左翼の作家が自主的に出している。去年の暮、例の古本屋街を歩いていて見出しのだった。小さなコラムのような文章だったが「期待する被差別作家」という見出しに気づいて手に取った。読んで行くと当時すでに作品を発表している作家と詩人の二人を紹介し、日本人の深層心理をあぶり出す文学的力と称賛するのだった。そしてその後に長井清の名前を挙げ、「この作家からも被差別の爆発的なエネルギーが産まれつつある」と書いていた。
清の名前がフルネームで出ているのが意外だったが、野茂広治が自分の文学的仕事として部落問題に関心を寄せ、そこで生きる者の思いや視点に日本を変える力を期待する。そうした発想や思想にはうなずけるものを感じる。そしてそうした意味で、俺自信も清の創作活動に期待出来るのだったが、しかし、その清の実像は、果たしてそうした期待に応えるものなのかどうか。自分のことを書いた雑誌の記事を声を挙げて読み、人に聞かせる彼の姿に、田舎の家で野茂からの手紙を何も知らない者に読んで聞かせる姿を思い出した。そして、これでいいのか、と疑問を重ねるのだった。だからその時の明子の困惑がよく分かる。が、その明子の言葉に同調するのもまた嫌な感じだった。明子や徹治に歩調を合わせることも出来ない気がする。かといって清を持ち上げる気もしない。俺は中途半端な気持ちで口を閉ざしたまま飯を食った。<一体どこに真実があるのだろうか>飯を食ってすぐ伯母の家を出た。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔culture0042:140414〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。