連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その7)
- 2014年 4月 15日
- カルチャー
- 川元祥一
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次の日学校に行くとキャンパスの空気がこれまでとまったく違うのを感じた。何かが止った感じ。時間が止ったとでも言うべきか。透き通った感じでもあった。昨日の夕刊や今朝の朝刊の紙面では国会議事堂周辺だけでなく、日本中あちこちでデモや集会が開かれ、新安保条約を強行決議した政府自民党と岸内閣への抗議が起こっている。国民会議は新安保条約反対だけでなく岸内閣打倒と国会解散を全面に押し出して連続抗議行動を呼びかけた。しかも昨日はね国民会議のデモにしてもね決まったコースを歩いて流れ解散するだけでなく、解散後再び人々が国会周辺に集まり深夜まで抗議の叫び声やデモが続いたという。そんな状態が報道されているのだから、全学連主流派は我が意を得たりと活躍したに違いない。だからその空気は当然学校のキャンパスに持ち込まれ、熱っぽい空気が漂っているだろうと思っていた。
そんな予感が肩透し喰ったようだ。自治会室に入ると六、七人の活動家が作業をしていた。さすがここには活動的な空気があった。小野田もいて、いつもと変わらない元気そうな顔をしていた。珍しく大寺照子もいた。聞くところによると、彼女は去年学生委員になった直後から病気になり、しばらく家に居たらしい。その他の活動家は昨夜は家に帰らずに学校に泊ったという。しかも昨日のデモには大学の教授たちも参加しており、今後しばらく授業を放棄して、学生と一緒に抗議活動するのを宣言したらしい。だから登校する学生は少ないだろうというのだった。キャンパスが静な理由がわかった。そんな中で小野田が嬉々として言うには、全学連主流派が全国の学生自治会に全学ストに入るよう呼びかけた。そして東京都内の大学には、連日連続した国会抗議デモを組むよう呼びかけた。
そうした呼びかけに応じたのだろう明治大学中執は今後無期限の授業放棄を掲げ、連日国会抗議デモを学生に呼びかけた。それに反対する学生がいたし、授業を続ける教授も何人かいたが、それがむしろ少数派のように見える状態だった。そして、今までの抗議デモは、国会議事堂だけだったのが、すぐ隣の首相官邸にもデモをかけることになるという。新聞によると国民会議もそうした方針を示していた。新安保条約を強行決議した責任を、首相としての岸総理大臣に取らせようということだ。
そのような情況の中、全学連主流派だけでなく、国民会議もまた、ほとんど毎日何かの形で国会周辺デモを繰り広げるようになっていた。そして一つの山場として、六月四日、総評参加の労働組合が全国ゼネストを計画しており、全学連は主流派も反主流派もその日に向けた大規模デモを計画した。
そうして迎えた六月四日。正後に正門前から出発する用意をしている時、活動家の間に「今日は首相官邸に突入する」という指示が届いた。
その頃は、明治大学のデモ隊が千人を超えるのは普通になっていた。全学連主流派の都学連全体ではいつも一万人を超えた。それだけの人数がおれば、国会議事堂よりはるかに小さい首相官邸を包囲するのは簡単かも知れない。しかも建物の構造がはるかに小さい。もしかすると突入も可能かも知れない。そんな期待がどこかにあった。
その日デモ隊は首相官邸の周囲の道路を埋め、おそらく官邸内から外へ出るのは不可能な形になっていたと思う。そんな中で、デモの先頭にいた明治大学と早稲田大学の学生が官邸正門の鉄の門扉に体当たりを繰り返した。しかし門扉はビクリともしなかった。国会正門のように装甲車が前に並んでいるわけではなかった。だだ、門扉の支柱などはあきらかに補強されていた。そしてその内側には二台の装甲車がピタリと寄り添っている。何回か体当たりしているうちに、これまで感じたことのない危機感が先頭にいる者に起こったと思う。というのは、官邸を取り巻くデモ隊の人数が多いため、デモ隊の動きそのものがだんだん小さく堅苦しいものになっていた。しかも官邸突入の指示は当然全体にゆきわたっていた。だから、一度体当たりすると後に戻ることが出来ない状態になり、そのうえ後ろからは前に前に進む力が働いた。先頭にいる俺もその圧力を感じていた。門扉に体をぶつけたまま、押し寄せる学生の圧力によって戻ることができない。それどころか、呼吸も苦しいほどの圧力になって、鉄の支柱と学生の間で潰れそうになるのではないか。
「押すな。押すな」
先頭にいる学生がしきりに声をかけるのだったが、なにしろ一万人を超える学生が官邸突入をねらって押し寄せるのだ。先頭部の声などまったく効果がなかった。
その時だった。門扉に続く土塀のところで学生の歓声があった。見ると下から尻を押し上げられた学生が数人、正門に繋がる土塀を乗り越えるところだった。そしてそれをきっかけに、再び学生の圧力が強くなった。学生の期待が前に進むのだ。と同時に俺のすぐそばで男の悲鳴があった。ボキッというような鈍い音も聞こえた。振り返ると、横で門扉に押し付けられていた仏文の山田貞夫が顔を歪めている。
「腕が折れた」
山田が唸るように言う。「押すな怪我人だ。骨が折れた」俺は慌てて声を掛け、まわりの学生を掻き分けて隙間をつくる。と山田が崩れるように倒れた。俺はあわてて彼を抱きかかえ、同じことを叫んだ。
「怪我人だ。怪我人だ」
その時思いつくことがあった。山田を頭の上に押し上げるから協力するよう周りの学生に声をかける。どこかの祭りで一人の男が人の頭の上を運ばれるのを見たことがある。あの要領だ。他の学生にもそんな経験があるのかどうか、山田はすぐに学生たちに担ぎ上げられ後ろへ運ばれていく。
気づくと周りに大きな変化が生まれていた。土塀を超える要領で門扉を超える学生が何人かいた。破るのではなく超えるのだ。なかなか面白いと思った。しかしつぎつぎと超えようとする学生に向かって、中の機動隊が警棒を振るい、門扉に取りつく者を叩き落す。
やがて後ろの方で学生の悲鳴が起こった。デモ隊が混乱し、散らばっていく。見ると、デモ隊を遠巻きにしていた機動隊が動き、警棒を振り下しながらデモ隊の排除にかかっていた。追われた学生が霞が関の自動車通りへと散らばっていく。
その日の夕刊や翌日の朝刊は、その一面に土塀を登る学生の写真を載せ、「全学連主流派主相官邸突入」「官邸内で機動隊と激突」などの見出しが躍っていた。
その日首相官邸に飛び込んだのは十数名。明大生は小野田と安部信明。それに中執にいる商学部の活動家だった。
これはかなり後になって分かったことだったが、官邸に入ってパクられた小野田の話が面白かった。官邸に飛び込んで捕まった、と言う話が学生の間に広がり、それ以外にないと文学部自治会で認識してから二十七日後、さすが筋金入りと言った感じで完黙を貫きさっそうと学校に現れたのだった。とはいえ正直者の彼らしく語るには、門扉を超えたのは官邸突入を意識したのではなく、呼吸が苦しいうえに、山田と同じに骨が折れても困るので、門扉を登るしかなかったという。門扉の向に超えられてホッとしたという。つまり、全学連中執方針どうり首相官邸に突入したのではなく、身を守るために潜り込んだ。それが実際だった。考えてみると、あの時門扉を登って行った多くの学生が、小野田と同じ気持ちだったかも知れない。俺も身が潰れるかと思うほどに圧力を受けていた。しかし門扉を越える発想がなかった。小野田の話を聞いて、その発想がなかった自分がなんだか無念だったし、機転の効く小野田に、そんな柔らかさがいいと、秘かな敬意を持ったものだ。
「主相官邸突入」の日を契機に、学生運動の現場で特徴的なことが起っていた。活動家の逮捕が急激に増えたことだ。東大構内で籠城していた全学連書記長の秋水文夫(清水丈夫)が逮捕されたのもこの時期だった。そんな有名人だけでなく、各大学の中心的活動家が次々と逮捕されていた。明治大学でも中執の役員をはじめ文学部などの活動家がデモの途中や登校途中などに捕まっていた。そうした捕まり方は、つまり警察がはっきりと人物を特定し、逮捕状を持って行動しているのを現しているだろう。こうした状況はこれまでなかったことだった。
もっとも、そのようにして捕まった者のすべてが起訴されるわけではない。刑事パイといって、三日くらいで釈放される者もいた。そうした場合は、ここ数日行動を共にした者や接触した人物の名前を尋ねられて終わるらしい。写真を見せて名前を尋ねられる場合もある。デモの帰りに捕まった東洋史三年の大崎は七日間拘留されたのだったが、俺の写真を見せられ名前を尋ねられたという。刑事パイにしてやるとも言われたらしい。しかし言わなかったらしい。小室だけでなく工学部の活動家も俺の写真を見せられたが口を割らなかったと言う。そして二人とも「川田気をつけろ」と言う。
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このようにしてあの日がやってくる。新日米安保条約は衆議院を通過したものの、社会党をはじめ野党は、自民党によるだまし討ちの単独採決だと強く非難し、決議を無効にしようとする主張や動きが強くなっていた。大衆運動として中心的な位地にいる国民会議は岸首相を退陣させ、審議のやり直しを迫る主張を前面に出し始めていた。欺瞞的に決議されたとはいえ二十八日間の国会会期延長も決まっている。だからその期間を利用して、そうした動きが実を結ぶ可能性も無きにしもあらず、そんな論評が出るくらいだった。
その前日、六月十四日の大学のキャンパスは静かだった。静謐な感じさえした。国民会議は次の日十八波統一行動を予定しており、総評は第二派全国ゼネストを計画していた。全学連主流派もその日にあわせて国会議事堂前チャペルセンター集会を計画。国会議事堂包囲デモを計画している。とはいっても、全学連主流派は今や国会構内抗議集会が定石でもあって、議事堂包囲デモはいわばその儀礼的挨拶と言ったところだ。
俺もまたその日、朝刊を配ったあとめずらしく二階の段々ベツトに潜り込んで昼まで寝た。昼飯を食ってから学校に行った。その頃になると授業はほとんど行われていなかった。一部の教授が授業を続けていたとはいえ、五月二十日以来多くの教授が政府批判にまわっており、授業放棄が続いた。だから、明日のデモの準備のため活動家が集まるのは夕方からだろう。
もっとも、その頃になると多くの活動家が逮捕されていて、中執に行っても文学部自治会に行ってもガランとした空気が漂っている。しかもその上、デモについて特別説得して歩かなくても、立看などで日と時間を示しておけば多くの学生が集まった。ほとんど授業が行われていないのだから、登校する学生の多くがデモを目的にやってくる。大学のキャンパスでこんな状態が起こるとは予想だにしないことだった。しかし非常に時、本当はこうした状態が理想かも知れない。民主主義教育というくらいなのだから…。
文学部自治会室のドアを押すと、部屋はガランとして人気がない。そう思って一歩入ると、奥のテーブルの前で一組の男女が慌てて離れた。六月四日首相官邸で右腕の骨を折り、ギブスを三角巾で包んだ山田と最近自治会室に出入りするようになった星井英子だった。
「おっとごめん」
俺は思わず踵を返してドアを出た。<デモの帰りに女が落ちるなら、骨を折ったらなおのことか…こん畜生め…>。
俺はそのまま図書館に向かった。俺は最近時間が空くと図書館に寄る。一応本を取り出すには取り出すのだったが、それを読み進むことはほとんどない。文字を追っているうちに眠くなる。眠くなったら無理をしない。最近は何かと寝不足だ。今日もまた、店で昼まで寝たはずなのに、活字を数行追うと眠くなった。
とはいえ、その頃俺の体には一定のリズムが刻まれていた。図書館で寝ていても午後三時頃になると体の中で警鐘らしき信号がある。<おっとやばい>といった感じなのだ。こうして俺は、労働時間に縛られ、それをしっかり肉体化した労働力としての労働者なのだ。
その日も目が覚めた。が、労働者としてはいくらか弛んでいるのか、三時過ぎだった。急いで図書館を出た。
新聞社で印刷された夕刊がトラックで運ばれるのが午後二時半から三時だ。店に投げ込まれた新聞の束を小分けにして自分が配る夕刊の部数を揃える。そこに折込広告を差し込んで三時半頃店を出る。約一時間半で配達が終わる。夕刊はページ数が少ないので朝刊より速い時間で配達が終わる。デモがあった日はそれから再びテモ隊に戻ることがあった。最近はそんな時間のサイクルに慣れていて、四時過ぎに店に戻って配達をすることが度々だ。あまり遅いとおやじに「何してんだ。遊んでたら飯食えねえど」と怒鳴られる。しかしそれにいちいち答えることはない。デモに行っていたなどと言っても、それで心持ちが変わるようなおやじでないのがわかっている。もっとも、おやじの方も俺の行動をいちいち干渉する積りはなさそうだ。安保反対デモに行くのは尾崎に話している。尾崎は決して賛成しなかったが、個人の勝手としては許容した。そのことはおやじに伝わっているのではないかと思っていた。
図書館を出て、校門を出ようとしている時だった。後ろで呼ぶ声がした。振り返ると政経学部の高山が小走りに近づいた。四年生だったが去年一年体調を崩して休校していた男だった。
「今夜中執に来れないかなぁ」
ほとんどの活動家が俺の生活を知っていてこんな問い方をする。
「どうしたの?」
「明日の準備と作戦会議があるんだ。準備はいいけど作戦会議は文学部からあんたと小室に出てもらいたいんだ。中心部がみんなパクられてて指導部が足りないんだよ」
なるほどと思った。静かに見えても準備は進んでいる。
「いいよ。だけど七時すぎになるけどいい?」
「それでいい。作戦会議は遅くなると思う。だけどとりあえず中執に来といて」
「わかった」
そういって高山と別れた。
夕刊を配った後、翌日朝刊に差し込む折込広告を整理する。この作業が結構面倒だ。バラバラに持ち込まれる梱包を解いて、自分が配達する新聞部数に合わせて必要な数をそろえて取り出す。そんな折込広告がいつも八種類くらいある。多い時はこれが十種類を超える。正月などは二十種くらいになる。これを前もって一塊にしておいて、午前三時に投げ込まれる朝刊に差し込む。食品や衣料品、デパートの広告や人材募集広告など…。年に二、三度は新聞より分厚くなるチラシの束を見ていると、なんだか世の中は平和なんだと思えてくる。いくら学生が暴れてもピクリともしない。そんな感想が生まれてくるから不思議だった。そしてそんな時俺は、この分厚いものをどうやって動かせばいいのか、そんなことを思うことがある。答えはわからない。しかし小野田の言う<革命前夜>は勝手な空言に思えるのは確かだ。そんな時、俺の脳裡をふと過るものがある。明子や伯母を泣かせているもの。この社会の奥深くで寝たふりをしている奴。それを批判すれば正面からは否定出来ないが、本当には反省されたことのない奴。この国ではその汚い根性をひっくり返すことから始めるしかないのではないか…。本来これはこの国の圧倒的多数者の課題なのだから…。俺は急いで晩飯を食い、店を出た。
中執の部屋に行くとタバコの煙がむせていた。昼間文学部自治会室で星井と抱き合っていた山田が三角巾で腕をかばいながらガリ版印刷のローラを回している。その横に星井がピッタリついて印刷したワラ半紙を引き出す。普通は一人でやることだ。恋人気取りでいるのだろう。奥にあるもう一台の印刷機では経済学部の一年生が思い詰めた表情でローラを押していた。部屋の真ん中にある細長いテーブルには結構多くの学生がいて、ガリ切りをしたり、電話連絡をしたりだ。この部屋につづく薄暗いロビーでは四、五人の学生が立看作りをしていた。昼間の静謐な空気が嘘のようだ。
俺に声をかけた高山の顔はなかった。高山だけでなく、逮捕されずに残った中執の中心的人物は一人もいなかった。どこか別室で会議をしているのだろうか。
俺はテーブルに座りガリ切りを手伝った。学生だけでなく駅前の通行人などにもビラを撒く。去年の今頃は、こんなものはあっても無くても同じだと思っていた。こんなビラをその日突然手渡されて心を動かすようでは、それはその者にとってほとんど意味がないのではないか、と。しかしその後の経験では、ビラを撒くのと撒かないでは学生の関心が違ったし、デモに参加する者も目に見えて違っていた。不思議だと思うところがあるし、その前にもっと本気で考えておればいいのにと思うのだったが、自分もまた同じだったのだろうと思う。だから、その心理を分析する前に、今のところ少しでも効果があることをやればいいと思うようになった。
九時頃に貸布団屋が来た。
「前回より五組多いですけど、同じ部屋でいいですか?」
「新しいのは隣の教室に入れといて」
戸口で誰かが答える。泊り込む活動家が増えているようだ。気付くと山田と星井がいなかった。その後に小室が立ってローラを押していた。
高山が中執の部屋に入って来たのは十時を回っていた。えらくギラギラと興奮した顔だった。
「これから明日の作戦会議をやる。あらかじめ頼んでおいた者は九号館の法学部の自治会室に来てくれ。今すぐだ」
それだけ言って高山はすぐ引き返した。やはりどこかで会議をしていたのだ。
作戦会議に出る者としては東洋史の小室と自分だけかと思っていたが、高山に言われて部屋を出たのは他に法学部の三井と宇野がいた。
薄暗い渡り廊下を渡って九号館に入ると、前方に煌々と明かりのついた窓があった。部屋に入ると六人の男がいた。しかもなぜか空気が爽やかだった。たばこの煙が漂っており、男たちの表情も興奮気味だったが、部屋の隅々がさわやかだ。この部屋で会議をしていたのではなく、彼らもどこからかここに来たといったところか。中執の部屋より少し小さいテーブルの奥に中執副執行委員長の中井が座り、瞑想するように天井を仰いでいた。左側に明大から都学連に出ている沢田がいた。沢田の手前に東大生だというギョロ目の男と、活動家らしくもない学生服の男がいた。彼らは都学連から来たという。テーブルの右側には明大中執の野本と高山。新しく入った四人が座ると中井が切り出した。
「明日はどんなことをしても国会に突入する。さっきまで都学連でそれを話してたんだ。工作隊も結成して国会の門扉を破るために必要な道具をすべてそろえる。工作隊はもうとっくに道具の調達に出てるんだ。ここではデモ隊の作戦を立てる。だからみんな全面的に協力してもらいたいんだ。工作隊はみんなバラバラに動いて用意した道具を持つて明日デモ隊に入り、それを街宣車に隠して置く」
中井の話からして、すでに綿密な行動計画が出来ていそうだ。先月首相官邸の門扉に体当りした時、素手では何も出来ないのを俺も感じていた。同じことを感じて作戦を練ったのだろう。
「明日は南通用門一本で行く」
中井に代わって沢田が言った。その南通用門で明治大学と東大が一体となって先頭に立ち、門扉に体当たりする。
「その時先頭で指揮を取ってほしい者が、今集まってもらった者だ。東大と明治。明治は文学部が先頭になるが、工作道具があるので法学部の二人も文学部の先頭にいてもらいたい。工作道具は大きいペンチと鎖、太いロープだ。門に鎖を掛けてロープで引く。ロープは何組か用意して何重にも伸ばして後ろの学生が引く。これで門を破る作戦だ」
沢田は興奮した口調だった。これまでの経験では、装甲車を門扉の前に並べているのは正門だけだった。その他の通用門は大きな角材を何本も組み、針金で結んで門扉や門柱、閂を補強している。ペンチはその針金を切るためだろう。それらはすべて工作隊が前に出て来てやる。だから今度のデモ隊は門扉に体当たりした後、そのまま門扉に取りついて、後に下がらないようにする作戦だ。
「川田、明治の旗手を頼む。山田が腕折ったからどうにもならん」
沢田が言った。どんなものかわからなかったが、最近山田がよくやっている。俺にも出来るだろう。
「いいよ」
「小室はデモ隊制御して三井と宇野は補助してよ。門扉に体当たりしたら工作隊を手伝って。やる事いっぱいあるから。明日は何時間かけても国会に入る。だから川田の仕事の時きたら俺に旗を渡して。俺も先頭にいるから」
こうして六月十四日の夜を過ごした。東大生は自分の学校に帰って寝るといった。明大生は全員ここに泊るらしい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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