連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その8)
- 2014年 4月 16日
- カルチャー
- 川元祥一
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六月十五日。その日は朝から雨雲が垂れこめ、いつ降りだしてもおかしくない空模様だった。いつものように朝刊を配って朝飯を食った。その後二階に上がって体を休めた。今日のデモは正午からだった。しかしその前に緊急の学生集会を本館の大教室でやることになっている。ほとんどの教授が授業放棄を宣言しており、教室に行っても講義はない。そのため学生が学校を離れないよう学生集会を開く。そしてそのまま正午からのデモに繋げる。臨時の学生集会とはいえ授業放棄した教授がたくさんいて、国会での強行決議や新日米安保条約について見解を述べるらしい。学生にはけっこう関心のあることかも知れない。このような企画を臨機応変に発想する学生自治会の執行部にも<たいしたもんだ>と感心するのだった。
十時からの学生集会にあわせて学校に行った。校門前には特大の立看が立っていて「岸内閣打倒」「国会構内抗議集会」「正門前正午デモ出発」など、黒や赤の文字が踊っていた。昨夜中執前で作っていたものだろう。泊まり込んでいた活動家たちもあちこちに立ってビラを配っていた。石造りのアーチをぬけて本館一階の大教室に行くと、そこでも学生集会を知らせる立看が並んでいた。大教室はほとんど埋まっていた。すでに教段に中井が立って何やらしゃべっている。集会が始っているのだろう。
俺は三階の中執の部屋に上がった。部屋に入ると四、五人の学生がビラ作りをしていた。俺は部屋の奥に行って本棚に設けた棚に校旗があるのを確かめた。昨夜寝ていてこのことが気になった。デモの中ではいつも見たし、中執の部屋に置かれているのを聞いてはいたが、自分でそれを確かめたことはなかった。学校の何かの記念行事で使われる重々しい校旗と違って、布も竿も軽便に作られている。とはいえ、大きさやデザインは本格的で、学校を代表する研究室や部活、自治会でしか持てないものだった。それがあるのを自分で見ておかないとどうも落ち着かない。
旗を確認して俺はテーブルに座った。広さは文学部の自治会室とあまり変わらないものの、いろいろな物がぎっしり詰め込まれて狭苦しい感じだった。昼前までここでビラ作りをやろうかと思う。最近ではそれぞれの自治会室が毎日毎晩続くビラの生産工場になっている。しかもそのビラは学内だけでなく近くの国鉄や地下鉄の駅で一般向けの街宣にも使われていて、結構効果的だというのだ。国会議事堂前のエネルギッシュなデモも、もしかしてこうしたビラが原点なのかも知れない。そんな実感さえ起ってくる。
学食で早めの昼飯をすませ、校旗を取り出し、中執にいた学生に手伝ってもらいながら旗を長い竿に結びつける。それを持って正門に向かった。一階の大教室では教室の外まで学生があふれていた。やはりこれまでと違う空気があるのだ。俺が旗をなびかせて行くと学生たちが振り返る。強力なシンボルなのが肌に迫るかのようだった。
正門に行くと法学部の三井と宇野が追ついて来た。彼らの話によると、明治大学から一キロばかり東にある中央大学のデモ隊と、北側の御茶の水駅の向こうにある東京医科歯科大学のデモ隊が明治のデモ隊に合流するという。やはり、何かが地の底で広がり、盛り上がっている。先の六月四日、首相官邸への飛び込み以来、新聞では全学連の過激な行動によってデモに共感する者が減少し、安保反対運動に翳りが生れているような論評があったが、現場ではむしろ反対の現象が起こっているように見えるから不思議だった。
デモ隊が動き始める頃、雨が降り始めた。デモの参加者が六〇〇〇人という声が伝わった。中央大学と医科歯科大学を含めたものだろうが、それにしてもこれまで想像出来ない人数だった。小室が横棒を持って駿河台下から靖国通りを上り、千鳥ガ淵から半蔵門、三宅坂を通って国会前チャペルセンターにたどり着く。すでに色とりどりの旗が立ち、雨にぬれていた。東大の水色の校旗が先に来ているのを見つけ、俺はその横に明大の隊列を誘導した。
この前と同じに、国会議事堂に向かった広場の正面に全学連の街宣車が留まり、屋根の上に背の高い男が立っていた。これもまたいつもの風景ではあったが、男の言葉に独特のアクセントがあった。関西弁だった。今いち迫力に欠ける感じだった。乗りが悪いというべきか。しかしそれもこれも、そのうちどちらかが慣れるというものだろう。演説しているのは逮捕された唐道(唐牛)に代わって京都大学からやってきた全学連主流派副委員長の東小路登(北小路敏)だった。雑然とした広場で東小路の話はほとんど聞き分けられないが、それとは別に「雨が降るので行動を早める」という話がデモ隊に伝わってきた。
東大のデモ隊の先頭には昨夜会ったギョロ目の男がいて、彼がデモ隊の指揮を取っているようだ。彼らのデモ隊が先に立ち、その後に明大が続く。議事堂を一回り半して南通用門で明大と東大が並ぶ。そして突っ込む。そうした作戦も伝わって来る。やがてギョロ目の合図で東大のデモ隊が動いた。雨の中、何やら非日常の雰囲気が漂うのだった。
国会正門に出ると、そこでは四月二十六日と同じに機動隊が幾重にも人垣を作り、その後に装甲車が四台並んでいた。しかも装甲車の窓には鉄板が張れていた。四月はそこまでやっていなかったと思う。その回りに立つ機動隊の数も前回より多いのではないだろうか。<国家は俺たちを恐れている…>厳しくなる警備を見て俺は思った。そしてそれは俺の気持ちを豊かに満たすものだった。東大のデモ隊が挨拶程度に機動隊にぶつかり、その後デモ隊は国会を右に回った。
国民会議はこの日を第十八次統一行動としており、各地で請願運動を展開している。それに呼応して総評も全国セネストを呼びかけていた。そうした全国のうねりの頂点として、国会議事堂周辺は十万人を超す人が集まっているという。彼らは旗を降ろし抗議のプラカードも降ろしているので、沿道を埋める人の塊りは緊張感もなく、和気あいあいとした空気が漂っていた。その群衆の中を掻き混ぜるかのようにジグザグデモで進む。すると彼らの間から拍手が起こり「頼むぞ」と言った声さえ起ってくる。
議事堂を取り巻く沿道に人の切れ目はなかった。進みながら北通用門と南通用門の様子を窺うのだったが、門扉がしっかりと補強され、中に機動隊がいたり、その機動隊員を運んだであろうトラックが門扉に張り付いていたりするのだった。しかしそれは正門ほどのものではなかった。正門の方がはるかに大きいせいだと思うが、もしかして通用門の警備は緩いのかも知れない。そんなことを思わせた。
議事堂を一回りして二度目に南通用門に差し掛かった時、東大のデモ隊が停止した。それを見て小室が明大のデモ隊を東大の横に導いた。校旗を持つ俺も東大生の横を遡るように進んで行った。そして、彼らの隊列の半ば過ぎに来た頃だった。隊列の端に女子学生がいるのを見て俺は声をかけた。「女の子はデモ隊の中に入ってた方がいいよ」と。機動隊に体当たりした時、体力の弱い女子が傷を負うことが心配されるからだ。ジグザグデモをする全学連では、それはよく言われることだった。すると女子学生が「女も男と同じよ」と言い返した。しっかりした女がいるもんだ、と思った。
東大のデモ隊の先頭にたどり着くと、目の前に南通用門の門扉があった。古く太い木材だったが、内側から新しくて太い木材が閂のように何本もあてがわれ、何カ所も太い針金で結わえられている。その内側に、荷台にホロを付けた運搬用のトラックが二台、頭を門扉にピタリと付けて並んでいた。その向こうに、何重にも重なる機動隊の姿。彼らが被るヘルメットが雨に濡れていた。<今日のデモはこれから始まる>俺は思った。
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やがて大きな声とともに笛がうなり十二隊列のデモ隊が動いた。見えない大きな空気が動いた感じだった。瞬間、旗を持つ手に何かが走る。シンボルの重さが走った感じだった。俺はデモ隊の前に出た。俺たちが何をするか、何をすべきか、その場所をしっかり示し続けてやる。そう思って俺はデモ隊より先に通用門に着き、その門扉に旗竿を押し付ける。<この門は俺たちのものでなくてはならない…>。
デモ隊が門扉に体当たりし、学生たちがそこにかじり付いた。前後に揺する。補強している閂の角材や針金がギシギシ軋み、木片がパラパラ地に落ちるのだった。しかし門扉はビクリともしなかった。
「ロープだ。ロープだ。早く持って来い」
誰かが叫んだ。そうしているうちに鎖を持った学生がデモ隊を掻き分けながら出て来た。「ロープは後ろだ」学生が言う。
見ると街宣車が百メートルくらい後ろに留まっていた。その前で学生たちがワーと声を挙げ拍手していた。その騒ぎの動き方でロープが前に運ばれているのがわかる。鎖を掛ける男がモタモタしていた。門扉の柱に鎖を通そうとするのだったが、背後の補強材が邪魔になって鎖を通す隙間が見つからない。俺はすぐ思い付いた。最初旗竿を押し立てた時、左右の門扉の中央で、内側から二つを止める鉄錠の所に隙間があった。
俺は傍にいる明大の学生に旗竿を持たせた。
「ちょっと持っててくれ」
そう言って鎖を持つ男から鎖を引き取り、中央の鉄錠の上からそれを捲いた。そして運ばれたロープを手にした。学生たちがロープの端を手繰ろうとしていたが、そんなことは必要なかった。どこでもいい、鎖をロープに捲けばいい。ロープを門扉の中央に引き寄せて、それに鎖を二重に捲いてから、男がポケットから出した錠前を掛ける。内側の鉄錠の留め金などこれだけの人数がおれは問題ではないはずだ。そうやって少しでも門扉が動けば他のロープをいくらでも捲くことが出来る。
ロープを伸ばすと、学生たちが嬉々として取りついた。ワッショイワッショイと綱引きのようだ。門扉がビリビリと音をたてる。もうすぐだ。やがてもう一本のロープが通された。すると門扉の中から水が飛んできた。機動隊の放水が始まったのだ。しかしすでに俺たちはビショ濡れだった。雨が激しくなっていた。放水など物の数ではない。やがて門扉がバリバリと音をたて、学生がワッと湧いた。見ると門扉がまるで引き回しの刑罰を受ける者のように地を這うのだった。
空になった門扉の跡にトラックが二台並んでいる。まず一台ずつ。バンパーの下に備わる鉤にロープを掛けた。学生はもうよく心得ていて、指示しなくてもワッショイワッショイと声を合わせる。が、以外にもトラックは動かなかった。
「サイドブレーキだ。サイドブレーキを外せ」デモ隊の中から声があがった。俺は助手席側の窓ガラスを割って手を延ばしドアを開けた。そこまでは良かったのだったが、俺はそれ以上車の構造を知らなかった。それでも、見当をつけてそれらしいものを引く。しかし効果はなかった。もたもたしていると、向こう側のガラスが破れて誰かが体を入れた。その時だった、荷台のホロの中に機動隊員の一人が現れ、腰のピストルに手を掛ける。そして、続いて現れた機動隊員がその男を羽交い絞めにして拳銃に掛る手を制していた。なぜか恐怖はなかった。後で思うのだったが、その時もし打たれたとしても、俺は痛みも苦痛もなく死んだだろう、と思う。そして、もしかしてそれは幸せな死に方かも知れない、と思う。
とはいえ俺はすぐ車を出た。向こう側の男がサイドブレーキを外したようだ。男がそれを告げると学生たちがワッと湧く。しかしなぜか、それでもトラックが動かなかった。後は力任せにやるしかないだろう。これだけの学生がいるのだ。不可能はないはずだ。
一方、ロープに取りつけない学生が、トラックの左右に隙間を作ろうとして、門扉のない門柱を揺すって抜こうとしていた。そしてさらにその向こうの土手にも人が登り始めていた。しかしそこにはバラ線と呼ばれる有刺鉄線が張られている。その時だった。
「ロープだよ。トラックがロープで固定されてる」
バラ線を取り払おうとしていた学生の一人がトラックの後ろを指差した。トラックの後部が構内の立木にロープで結ばれているという。それを聞いてなぜかデモ隊がワッと哄笑した。機動隊が姑息な手を使っているという意味なのか…。しかし笑ってはいられない。彼らだって必死なのだ。とにかく国家は俺たちを恐れている。
構内からの放水に対抗してデモ隊から投石が始まっていた。まさに石つぶてだ。それは空を飛ぶ雀の群れのようでもあった。そのためだろう、その時トラックの後ろの機動隊が十メートルくらい引いていた。そしてその時、揺すっていた門柱が倒れ、トラックとの間に隙間できた。すかさず学生がすり抜け構内に入る。その学生の中にペンチを持った者がいたのだろう。ロープが切れてトラックが動いた。鬨の声のように歓声が上がった。
二台のトラックが前後してゆっくりと前に進む。まるで中に運転手がいて人を傷付けないよう気をつけているかのようだ。小野田が好きな歴史的瞬間とはこのことかも知れない。動きだしたトラックは、構内に入ろうと押し寄せる学生の中で、一台ずつ小突きまわされボロボロになって人の流とは反対の方へ、ゆっくりと、消えていくかのようだ。
デモ隊が国会構内に突入するとともに、報道関係者が流れ込み、撮影用の照明やフラッシュが戦場の照明弾のように光る。そんな光の中に人のうねりが見え、照明機の煙が立ちのぼる。その中を全学連の情宣車がゆっくり進み、屋根の上の東大路が興奮した声でしゃべり続ける。何をしゃべっているのかわからないが、政治的リーダーはしゃべり続ける才能が必要なのかも知れない。俺は人が通るのを見送るように跡形もなくなった門柱跡に立っていた。
光と闇。雨の中でまるで戦場のように人声が湧き、煙が流れる。左前方に議事堂構内の植え込みが見えた。雨に濡れて生き物のようだ。そしてその奥で、白っぽく浮かぶ国会議事堂の建物。構内を行くと、それらすべてが、人の身丈に見合って作られているのに気づいた。これまでは近寄りがたく、巨大な山のように見えたものだ。それが近づくと人の身丈と同じで人の意図と息遣いが感じられるものになる。<俺はすっとこの感触のために生きていたのかも知れない>何かの幻覚のようでもあったが、しかし、ここに入るために費やした力と時間は嘘ではない。今、目的もなく歩いていて、体の中で何かが膨らみ、満たされるのを感じる。新しいものが動く感じ…。
中庭のように見える右側の空間に情宣車が留まっていて、取り囲むようにテモ隊の学生が座っていた。そういえば明大生に渡した旗はどうなっただろうか。ふと気づき、それらしい旗を探りながら歩いた。その時気づいたのだったが、中庭の学生たちと、白っぽく浮かぶ建物の間、その植え込みの後ろに鈍く光るヘルメットが甲殻類の群れのように伏せているのが見えた。と、その時だった。「かかれ」という、抑制しているかのような声が聞こえた。
一瞬後、闇に潜んだ甲殻類が無言で沸き立ち、膨らむ。ヘルメットが光り靴音がうなる。俺は思わず踵を返し、来た方に帰ろうとした。走った。しかし何者かに背中を掴まれていた。夢中で体を振り、前につんのめった。同時に頭がガンと鳴った。
まわりでも人の悲鳴が聞こえる。そんなに時間は経った感じではないが、俺が意識を取り戻した時、さっきとはまったく違う光景が周りにあるのに気づいた。すぐ横に議事堂らしい建物の壁がそそり立っている。まわりにも人がいて、頭を抱えて座っていたり、うめき声を上げたりしている。一目で機動隊に捕まっているのがわかった。しかもぞれぞれ傷を負っているようだ。思いだして俺は頭に手をやった。さっき衝撃を受けたところだ。膨れあがっていた。いくらか傷ついているようだったが、手に血糊がつくほどではない。あの時後ろから警棒で叩かれて気絶したのだ。<糞ったれ>と思った。
前方に報道陣の照明が輝いている。人影が黒い塊になり、重なって動く。怒声や悲鳴も聞こえた。かなり混乱しているようだ。その時俺はあらためて我に返った。自分の状況が読めた。ぼんやりしている時ではない。どっちみち捕まっているのだ。だめで元々、何かを試してみなくてはならない。
俺は立ち上がり、デモ隊を追い散らす機動隊の後ろを土手に向かって走り、低い植え込みの下に身を隠した。向こうのカメラの照明の下に破壊された南通用門がパックリ口を空けているのが見えた。デモ隊は投石で抵抗しているようだ。ふと気づくと、目の前を動いていた人影が見えなかった。この時だと思い俺は土手に突進した。人影がないかに見えたが、土手の下には多くの人影があった。機動隊の光るヘルメットもかなりの量だった。怒声も聞こえた。しかしモタモタしている場合ではないだろう。逃げまどう人込みに混じって土手に飛びつく。土手は意外と高かった。それに手足がズルズル滑った。諦めようかと思う瞬間もあった。しかし手に当たる小さな石を掴み、草の根に爪を立てて体を支えた。<やれるだけの事をやれ>自分で言った。捕まって不自由を味わうよりましだろう。そう思ってジリジリと登った。やっと登り切った。土手の向こうに人が多いのに驚いた。助かったと思った。土手を降りようとして再び足を滑らせた。やたらよく滑る土手だ。しかもやたら長く滑った感じだった。そして最後に、これが留めといった感じで、体がやたら硬い物にぶつかった。
「もしもし」という男の声が闇の中から聞こえた。頬を叩かれるのがわかった。俺はぼんやりと男の顔を見た。すぐには気づかなかったけれど、一瞬後、自分が二度も気絶したのを知った。悔しさが走った。男の背後の遠い所に大きな炎の塊が上がっていた。その中に浮かぶ黒いトラックの影。荷台のホロを支えた鉄骨の骨組みが黒く浮き上がる。
「大丈夫ですか?」
いやに落ち着いた声だった。
「救急車がたくさん来てますから呼びましょうか」
背広を着た中年の男だった。
「大丈夫です」
俺は体を起こした。節々が痛かった。
「女子大生が死んだそうです。あなたもちゃんと手当をしてもらった方がいいですよ」
男が俺の腕を掴んでいた。俺もその腕に縋っていた。手に触れる男の背広の布が柔らかくぬくぬくしているのが印象的だった。
俺は歩き始めた。反対側の歩道に人がいっぱいいた。その方に歩いた。数十メートル先の炎の中に投石する人影が浮かんで消える。
俺は店を思い出していた。同時に新しい新聞のインキの香りが体の周りで蘇る。俺を待つ新聞の山。<おやじが怒っているだろうな…>と思う。もう辞めることを覚悟しなくてはならないだろう。そのように思う。
俺は一人立ちつくしていた。その時ボンという破裂音が聞こえた。目を移すと南通用門の先で再び炎が上がっていた。同じような炎が何カ所か上がっていた。そしてそれらのまわりで太陽のように光る報道陣の照明。そんな明かりの中で、国会議事堂の建物が暗い山のように見えた。それを見て、俺はようやく自分がいま立つ状況の全体像に気づく。<俺はあの山を越えてきた。まるで幼い頃からの夢のように…>俺は山を背に歩き始めた。
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