「何をなすべきか」と現在(六)
- 2014年 5月 5日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
安倍政権が集団自衛権の行使の容認によって個別自衛権(自国の自衛権の行使)に限定されていた自衛権のなし崩し的な拡大を図ろうとしていることは自明であり、それは具体的にはアメリカの戦争への参加を意味することは明瞭である。アメリカは反テロ戦争としてアフガニスタンやイラクに展開していた戦争の戦略をオバマ大統領の時代になってアジア重視戦略に変えてきた。アジア重視ということは東アジア重視ということであり、中国のこと念頭に置かれてきたということである。現在の安倍政権は日米同盟の強化という戦略を取っていることは明瞭であって、彼の集団自衛権行使容認がこの枠組みから出てきていることもはっきりしている。アジアでアメリカが中国や北朝鮮と緊張や対立を深めるのなら、それに対応して日本はアメリカとの関係において軍事行動に踏み切るということを明瞭にしたのである。
多分、ここまでは安倍政権の集団自衛権行使に反対する多くの人の語ることであり、僕もそのことに異論はない。中国脅威論はアメリカの対中国戦略から日本の安全保障戦略にしてきたことは確かであるが、ただ。それだけでなく、対中国脅威論が一定の形で浸透してきている事態があり、そのことに別の注目がいる。この点が第一次の安倍政権時と現在の違いであり、この点の認識が僕らに必要なのである。かつての冷戦構造の時代にソ連や中国を脅威の対象とすることは宣伝されたことがある。これは、保守や右翼の言説であり、理念であった。これは共産主義や全体主義の脅威論ではあったが、日本の大衆にとってソ連の場合にはすこしニュアンスは違うが脅威感は存在しなかったと言ってよい。そのソ連は1988②崩壊したし、中国は経済的には社会主義経済体制から市場経済体制に転換した。だから、かつての冷戦構造時代の共産主義脅威論に基づくロシアや中国の脅威論は存在しない。中国はその後に反日的な行動を展開してきたが、そのことで中国脅威論が浸透し、対抗的に日本のナショナリズムが深化したとは思えない。それは基盤的な影響がなかったとはいえないが、大きな力として働いたとはいえない。しかし、この間に僕らが予想しなかった形で中国脅威論は国民の意識に以前とは違う形で浸透したのではないか。僕がこのことを問題にしたいのはそれが国民の意識における国家観や戦争観に影響をしているのではないか、ということである。これには軍事的な面もあるが、必ずしもそれがメインとは限らない。それは北朝鮮と比較して見ればいい。軍事面に限れば北朝鮮の方が問題になるが、中国に対する脅威感はそれとは違う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4838:140505〕
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