キューバ点描 -続・16年ぶりに見たカリブ海の赤い島-

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(川島幹之氏撮影) ハバナ旧市街に建立された支倉常長の銅像
 支倉は元仙台藩士。仙台藩主伊達政宗はキリスト教布教のためローマに遣欧使節団を派遣したが、そのリーダーが支倉だった。一行は1613年に日本を出航、途中ハバナに1614年7月23日から16日間滞在し、8月7日にスペインに向けて出発している。支倉はキューバを最初に訪れた日本人だった。それから、今年でちょうど400年。支倉常長像は、仙台育英学園が2001年に寄贈したものだ。
 キューバ人は概して「日本ファン」である。それだけに、キューバにおける「日本のプレゼンスの小ささ」はなんとも残念だ。両国間の交流、とりわけ市民レベルの交流がもっと盛んになることを願わずにはいられない。

やはり米国の制裁は不当だ

 キューバについて語るとなると、どうしても米国との関係に触れざるをえない。今回のキューバ・ツアーも、のっけから「米国」に振り回された。
 ツアーの受け入れ先はキューバ国営の旅行会社だった。出発前に同社へ旅行代金(ホテル代、バス代など)を送金しなくてはならない。そこで、銀行に行き、送金手続きをしたが断られた。私たちはやむなく現金を胴巻きや上着のポケットにしのばせてキューバに入国し、直接旅行会社に支払った。なぜ、こんなことに。それは、米国がキューバに対し経済制裁を続けており、日本の銀行もそれに従っているからだとわかった。

 キューバで革命が成立したのは1959年だが、革命政府がキューバにある米国系企業を接収したため、米国は62年にキューバを米州機構(OAS)から追放し、全面的な対キューバ経済封鎖を開始し、それが今も続いている。
 経済封鎖でキューバの経済は甚大な影響を被ってきた。経済封鎖によって物資の輸入コストが大幅に増加したほか、物資の供給が停滞し、生産の流れがしばしばストップしてしまうからだ。私たちがハバナで会見したアリシア・コレデラ・モラレスICAP(キューバ諸国民友好協会)副総裁も「わが国は食料の自給ができず、不足している。このため、輸入に頼らざるをえない。例えばコメ。近くの米国から買うことができれば安くすむのだが、経済封鎖でそれができない。今、ベトナムから輸入しているが、輸送に1カ月かかり、船賃がかさむ。で、何倍ものカネを払わなくてはならない。粉ミルクもニュージーランドから買っている。経済封鎖による負担が重いことを分かってほしい」と述べた。
 キューバ政府によれば、経済封鎖による損失は2011年末で累計で1兆ドルにのぼるという。

 これに対し、キューバ政府は、経済封鎖を国連憲章、国際法に反する不当な内政干渉として、1992年以来、毎年、国連総会に経済封鎖解除決議案を提出してきた。決議案は、毎年、賛成多数で採択されており、昨年10月の国連総会(193カ国加盟)もこの決議案を賛成188カ国という圧倒的多数で採択した。今回で22年連続の採択となり、反対は米国、イスラエルの2カ国(棄権は3カ国)だった。
 米国は、もう国際社会の声に耳を傾けるべきではないか。そう思えてならない。

協同組合の設立を説いた「革命家」

 こんどのキューバ滞在中、私の脳裏では、ある1人の人物のことが去来していた。樋口篤三(ひぐち・とくぞう)。2009年に81歳で亡くなった自称「革命家」である。
 静岡県沼津市の生まれ。戦時中は、特攻隊員を養成する「予科練」を自ら志願するほどの「軍国少年」であったが、戦後は一転して革命運動に飛び込み、労働組合、生協、共産党(その後、除名)などで活動した。
 樋口が目指した革命は、日本にも社会主義を実現することであった。しかし、ソ連と東欧の社会主義諸国が崩壊するという事態に直面したことから、樋口が目指す理想の社会の内容も変わっていった。晩年は「地域社会における市民自治、職場社会の労働者自治を両輪とする協同労働・相互扶助社会、協同社会こそが我々のめざす社会である」(樋口の著書から)と考えるようになった。つまり、地域における市民同士の助け合い(各種の協同組合)、労働現場での協同労働(労働者協同組合)を基盤とする自主管理型の社会を「日本がめざすべき社会」と考えるに至ったのだった。

 樋口は1998年2月、生協関係者を中心とする「日本生協・協同組合キューバ交流団」を率いて、キューバを訪問した。彼の狙いは、キューバに生協や労働者協同組合をつくらせることだった。不振が続くキューバ経済を立ち直らせ、発展させるにはこの国に協同組合をつくらせるのが効果的、と考えたのだ。
 キューバ共産党本部で行われた、交流団との会見に現れたホセ・ラモン・バラゲル共産党政治局員に彼は熱っぽく協同組合の設立を説いた。その席に私もいた。ジャーナリストとしてこの交流団に加わっていたからである。

 キューバの現状に詳しい後藤政子・神奈川大学名誉教授によると、2011年4月に開かれたキューバ共産党第6回大会で、協同組合を増やし農業以外の部門でも協同組合形態を導入することが決まった。
 ハバナの中心部にある広大な「革命広場」。共産党本部が入るビルはその近くに立つ。私は広場からそれを望みながら、あの世の樋口に心の中で話しかけた。「樋口さん、キューバでも協同組合の役割が認識されるようになりましたよ」と。

過少と過剰

 キューバから帰って1カ月半たつが、私はいまなお落ち着かない日々を過ごしている。日本社会になじめないからだ。どうしてこんなことになったのか。それは、短期間のキューバ体験が私に強烈なインパクトを与え、私はいまなおその余韻から抜け出せないでいるからである。

 キューバは、モノが十分でなかった。モノが豊かな日本からやってきた私たちの感覚からすると、これでは、住民の生活も不便ではないかと思わざるを得ないほどだった。日用品が不足しているように見えたばかりでない。交通手段についても地方都市や農村では、自動車が少なく、住民を乗せた馬車や牛車が、タクシーやバスの代わりに走っていた。農村では、牛車にゆられて我が家に帰る途中の学童たちを見かけた。いずれも、まことにのどかな光景だった。

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(川島幹之氏撮影) 住民の足として活躍する馬車(グアンタナモ市内で)
 しかるに、日本に帰ると、モノ、モノ、モノ……。まさに洪水のような物資の氾濫である。街に出れば、目に入ってくるのは店頭に溢れる過剰なまでの商品の山また山。そればかりでないテレビや新聞やネットが、朝から晩まで、あらゆる商品の購入を呼びかけるCMを「これでもか、これでもか」と流し続ける。それは著しく刺激的で、かつ慌ただしい。私は圧倒され、精神的に疲れた。
 なぜこれほどまでにモノが過剰なのか。それは、資本主義経済が大量生産→大量消費→大量廃棄というサイクルで支えられているからであろう。
 私たちは、このすさまじい巨大なサイクルの渦中にありながら、もはや何も感じなくなっている。いや、このサイクルを人間が生きてゆくのに必要な経済の仕組みとして抵抗なく受け入れ、むしろ、そのおかげで自分たちは高水準の消費生活を享受しているのだと歓迎してきたのではないか。
 もちろん、このサイクルが人類に資源枯渇と深刻な環境破壊をもたらしているとの警告が、もうかなり以前からなされてきた。が、それに耳を傾ける人は少ない。消費を抑制しようではないか、という声は極めて小さい。
 そう思い至ったとき、計画経済を基本に人間生活に必要なものだけを生産しようという行き方を目指すキューバ人の生活の方が、ある意味ではより人間らしい生活ではないかと思えてきたのだ。自動車に依存しすぎる生活よりも、馬車や牛車を利用する生活の方がより環境にマッチした自然な生き方ではないかに思えてきたのだ。

 「過少」のキューバと「過剰」の日本。どうやら、今回のキューバ・ツアーは、私にとっては、自分が暮らす日本の現状とはどんなものかを照らし出す、いわば「反射鏡」のような役目をはからずも果たしたようである。キューバでの見聞は、わが足元を見つめ直す機会を与えてくれた。私は、そう思っている。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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