「はだしのゲン」撤去と「こころの歌」での軍歌合唱
- 2014年 6月 9日
- 評論・紹介・意見
- 「はだしのゲン」小澤俊夫
メール通信「昔あったづもな」第14号
那覇と石垣島での昔話再話研究会に行ってきました。竹富町教育委員会の先生たちは、東京書籍と育鵬社の公民教科書を丹念に読み比べて、あの結論になったという実態を伺うことができました。そして、竹富町の慶田盛教育長に偶然お目にかかることができ、握手して、遠くから応援していることをお伝えしました。
通信第13号で、護憲集会や反原発集会への会場提供拒否とか、内容変更要求の問題を書いた。これは安倍首相はじめ現政権の意向を末端の公務員が自主的にくみ取って、市民に押しつけてくる規制だと思うので、ぼくは非常に危険な流れだと思う。暗黙の内に安倍首相をはじめとする国家主義的政治家の意向が、市民の隅々にまで浸透して行きつつあるからである。
「はだしのゲン」について、島根県松江市教育委員会が一時閲覧制限をした。これには世論の激しい批判が起きたが、大阪府泉佐野市教育長は、今年の一月中旬、市長の強い要請を受けて、教育委員会での議論なしに、小中学校の図書室から「はだしのゲン」を回収してしまった。回収後、市長は教育長に対して、「読んだ子を特定して、個別指導をするべきでは」とまで要求してきたとのこと。校長会は「読むだけで指導されるなら、『読んではいけない本』というメッセージになってしまう」と拒否したそうである。
今、政府は教育に対する首長の権限を強化する法案を成立させようとしている。そうなったら、このケースでは、市長の要求を拒否できないことになる。
沖縄県那覇市の首里城地下にあった「第三二軍司令部壕」の説明文のうち、日本兵による住民虐殺の記述が、県の判断で削られた。一九九九年、県平和祈念資料館で同様の改変が計画された時は、反対運動が起きて撤回をしたのである。この国の変化は激しい。
こういう状況の一方で、戦争中の勇ましい、しかし悲しい軍歌が、堂々とテレビ番組で歌われていることをご存じだろうか。
日テレの「こころのうた」という番組で、男声、女声、混声合唱で懐かしい歌などを歌う番組である。小学唱歌や戦後のうたごえ運動時代の歌など、ほほえましい歌番組として、時々聞いていた。
ところが最近の放映では、戦争中の軍歌をそのまま歌っているので、開いた口がふさがらなかった。「ここはお国の三百里」など、ぼくにとっては忌まわしいあの戦争賛美の歌が、
堂々と歌われているのである。歌詞は、ここに書くのも不快な、戦争賛美、戦死賛美の言葉の連続だった。
戦争中の歌は、戦死を賛美するものばかりだった。「お国のためと、笑みを浮かべて死んでいった。」うそだ!「天皇陛下、万歳!とさけんで息を引きとった」うそだ!みんな、「お母さん!」とうめいたり、妻の名をつぶやいたりして死んでいったのだ。
嘘で塗り固められた歌、国民を戦争に駆り立てるための歌が、今、この国で、堂々とテレビ番組として放映されているのである。安倍首相の、なんとしても日本を戦争する国にしたい政治方針が、テレビに打ち出されているのである。ほとんどのマスコミは、ジャーナリズムの批判精神などはどこかのコインロッカーにしまい込んで、ひたすら権力にしっぽを振っているといわざるを得ない。
この文章の前半で書いた、「はだしのゲン」の閲覧制限や、反原発の会場提供拒否、日本兵による住民虐殺の展示削除と、この軍歌の放映を合わせて考えると、この国が現在、蕩々として軍国主義国家への回帰をすすめていることがはっきり見えてくるではないか。
市民の隅々にまで自主規制の気分、監視の目が行き届いたとき、軍国主義・統制国家は不動のものとなる。8月15日以前のこの国はそういう国だったのだ。
今、この国の歯車がその方向に動き出すかどうかの、重大な局面だと思う。
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