7/6(日)15時~第169回街頭行動於新宿アルタ前のお誘い
- 2014年 7月 6日
- 交流の広場
- OHTA Mitsumasa
集団的自衛権の閣議決定でも押しやられてしまいました。未来は自覚ある主権者をいかに増やすかにかかっています。そのためには多くの有権者に訴えかける取り組みが必要。少人数多地点での街頭行動が有効ではないでしょうか。現在の運動圏でも土日に全国の駅を埋めるくらいの力は持っているはずです。
長岩均さんらや音楽グループ(サックス、エレキ、ボーカル)と一緒に街頭で訴えています。本日も午後6時、7時くらいまで行います。ご参加ください。
最近、集団的自衛権がらみでは以下を含む内容を訴えています。
(1)北朝鮮が日本に攻撃を仕掛ける最初で最後は、アメリカが北朝鮮を先制攻撃し、日本がアメリカを支援することで、北朝鮮が日本に反撃するときのみ。軍事弱小国家の北朝鮮が日本に先制攻撃を仕掛けるはずがない。集団的自衛権は日本の安全を脅かす。
(2)多くの日本企業が中国に進出し、膨大な権益を中国に築いている。これらの権益を放棄してまで、尖閣諸島ごときの領土問題で日中が武力紛争に突入する覚悟があるのか(環境省事務次官経験者の指摘を拝借)。アメリカ自身が日中の武力紛争には巻き込まれたくないと言い始めている。もはや日中は戦争できない関係にある。日中武力紛争がらみの集団的自衛権の行使はさらにあり得ない想定。
(3)安倍首相は国民の命を守るために特定秘密保護法が必要、集団的自衛権が必要と言うが、命を脅かす原発にしがみついている。第一次安倍内閣のとき、野党から原発の電源対策の不備が指摘されながら、それを無視した。これが今回の福島原発事故につながった可能性がある。先の大雪でも自衛隊の対応が遅れ、二桁の死者を出した。国民の命を軽視しているのがこの国の政府。集団的自衛権はただひたすら米軍を軍事支援することが目的。
(4)自衛隊員はアメリカではなく、日本を守るために入隊している。集団的自衛権の行使は、自衛隊員の命をアメリカのために差し出せ、という命令に等しい。が、安倍首相以下、死者が出ても誰も責任を取らない。自分らはただ命令するだけだ。
(日曜に想う)「出動せよ」政治は言う資格あるか 特別編集委員・星浩:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11167041.html?_requesturl=articles%2FDA3S11167041.htmlamp;iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11167041
山口那津男・公明党代表が当時の防衛政務次官として、PKO(国連平和維持活動)に派遣される部隊の壮行会にて:
< 報道陣が会場を出て、家族と国会議員、防衛省幹部らとの懇親会になったら、雰囲気が一転。家族の表情が曇ってきた。ある隊員の父親が、深刻そうな表情で山口氏に訴えた。「なんで、私の息子が危険なところに行かなくてはいけないのですか」「もし、万一のことがあったらどうしてくれるのですか。国は責任がとれますか」
山口氏は、その剣幕に圧倒された。「現地は停戦合意が成立しているから大丈夫ですよ」と型通りの説明はしたものの、子どもを送り出す親の不安を実感した。「自衛隊員は政府の方針に黙って従うのがルールだけれど、実際に出て行く隊員やその家族の気持ちは複雑です。派遣を決めた政治が全幅の尊敬、信頼を得ているわけではないから」と山口氏は言う。>
(5)政治家は消費税増税ごときで、国民に負担を強いるからという変な理屈で、身を切る改革と称して、国会議員定数の削減を主張する。ところがアメリカのために自衛隊員は命を犠牲にせよと命じる集団的自衛権を主張する政治家連中は、自ら身を切るべきだなどとは言わない。集団的自衛権を主張する以上、政治家の命の一つや二つ、自ら絶ってしかるべきだろう。
(6)イラク戦争に派遣された自衛隊は武装米兵を輸送するなどの純然たる軍事支援を行った。既に集団的自衛権に相当するものを行使している。だから2008年の名古屋高裁でこうした軍事支援が違憲であると断罪された。自衛隊員は本格的な戦闘には参加しなかったが、それでも派遣隊員の自殺率は国民平均を大きく上回っている。集団的自衛権による米軍支援で殺し殺される環境に追いやられる隊員は、イラク派兵の比ではない苦悩を抱えることになる。イラク戦争に従軍した米兵の多くが精神を病んでいる事実をみれば分かる。
集団的自衛権:懸念される自衛隊の「ブラックボックス化」 – 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20140628k0000m010038000c.html
自衛隊イラク派兵:今年3月までに派遣隊員26人が自殺している。国民平均(おおむね4000人に1人)の10倍以上だ。
(7)集団的自衛権の行使容認は、漠然とした安全保障の議論の問題ではなく、自衛隊員が殺し殺されるという現実、命の問題である。
(8)福島のような地方に原発を押し付けていれば大丈夫と思いきや、関東にまで放射性物質が飛んできた。沖縄に米軍基地を押し付けていれば問題ないと思ってきたが、首都・東京の横田基地でも、沖縄に配備されているのと同じオスプレイ、事故ばかり起こしている米軍輸送機が配備されようとしている。こうした差別政治は他人事でない。集団的自衛権も、自分は自衛隊員として殺されるわけではないから関係ない、では済まされない。差別政治による政治災害から逃れることはできない。
(9)今、政治の優先課題は憲法を壊す集団的自衛権の容認ではない。2012年総選挙の小選挙区では死票率が5割を超えた。直近の国政選挙では、自民党の比例区での得票率、すなわち有権者からの支持率は、わずか2割、3割に過ぎない。それでいて比例区・選挙区の全議席の6割を超える議席を自民党は獲得してしまう。平等な国民主権、投票価値が保障されていない。いわゆる1票の格差、つまり定数配分の格差はたいして重要ではないが、それでも最高裁は違憲であると判断している。小選挙区制がもたらす投票価値の不平等は定数配分の格差以上に重大である。日本では政治の土台たる民主主義の基礎的条件さえ成立していない。政治の仕事はまず、平等な国民主権と投票価値を保障するよう、選挙制度を改正することである。解釈壊憲は論外であり、国会議員は選挙制度改正の前に個別法をうんぬんする資格はない。
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