「美味しんぼ」と松井英介医師著「脱ひばく いのちを守る」を読んで
- 2014年 7月 21日
- 評論・紹介・意見
- グローガー理恵松井英介医師
「美味しんぼ」について
新書について触れる前にまず、私たちの記憶に未だ新しい「美味しんぼ」騒動に関した松井先生とのエピソードをご紹介させて戴く。:
「美味しんぼ-福島の真実篇」の中で真実を語った松井先生が、被曝と健康被害の因果関係を否定する人々によって批判されたことをご存知の方は多いと思う。その真っ只中、先生は「美味しんぼ」騒動に対し「美味しんぼ 脱被曝を合言葉に」と題した抗議声明1を公表された。そして、先生は他の関係者が提案したこともあり、この声明文を「日本特派員協会」に提出しようと決心なさった。その際、この声明文を英訳することを私は依頼されたのだが、私は、もちろん喜んでこの仕事をお引き受けした。
そして、英文の声明書に添えて日本特派員協会に宛てたカバーレターを作成することになった。カバーレターは、先生の声明文の内容や先生のバックグラウンドに関して私の知っていることをベースにして、私が作成させて戴くことになったのだが、こんなことがあった。それは、私が書いたカバーレターの一番最後の結びの表現がしっくりこないので変更してくれないかと、松井先生が仰ってきたことであった。
私が書いた結びの文章は「One of my important responsibilities as a physician is to care for the people who have been affected by the Fukushima catastrophe. – 私の私の医師としての重要な責務のひとつは、福島大災害によって被災した人々に手当てを提供することであります」であった。それを松井先生は、「手当てを提供すること(to care for the people)」ではなく「福島大災害によって甚大な被害を受けた人たちと痛みを共有し、解決の方策を探ることであります」と変えてほしいと言うのであった。私が表現した「手当てを提供する」は、先生が日々、尽力されている全ての活動をカバーしていなかったのである。この先生からのリクエストを読んで、私は改めて先生の日々の活動の指針を認識できたように思った。先生の活動は、「松井先生が被災者の方々一人一人にあって対話をされて、被災者の苦しみに共感され、被災者、それぞれ一人一人の方々と共に解決の方策を探っていこうとすること」までに及んでいるということである。また、このようにはっきりとご自身の見解を仰って下さる松井先生のオープンさに好感を抱き、有り難いと思ったことも事実である。簡単にカバーレターの内容を和訳してご紹介させて戴く。:
「美味しんぼ-福島の真実篇」についての声明
2014年 5 月30日
日本特派員協会の皆様 (To the Foreign Correspondents’ Club of Japan)
もう既に皆様の多くは、日本国内で物議を醸し出している人気漫画「美味しんぼ-福島の真実篇」について大騒ぎが起こっていることをご存知のことでしょう。
私自身、この論争の的となっている「美味しんぼ」に「松井英介医師」との実名で現れ、大阪市周辺で放射能汚染された瓦礫焼却があった際に複数の不快な症状を体験した何百人という大阪住民について語っています。
私は、「美味しんぼ」の作者である雁屋哲氏と編集部の方達と何度か会う機会があり、それから一年以上おつきあいをしてきました。私自身、雁屋哲氏と編集者たちが、いかに丹念な取材を重ね、それに基づいて作品を仕上げていったのかということを目撃してきました。私への取材も去年の秋から今年にかけて、ずいぶん長い時間がかかりました。私は、彼らの自分たちの仕事に対する誠実な姿勢に惹かれました。このような彼らの献身的な姿勢が、30年も続いてきた「美味しんぼ」の人気の秘密かもしれません。
「福島の真実篇」の中で、私は真実を告げました。他の登場人物も同様に真実を告げました。それなのに、一体どうしてこのような大騒ぎや非難が巻き起こっているのでしょうか?
私は医師として、深く憂慮しています。なぜなら、人々が訴えた自覚症状についての報告が、健康被害と被曝との因果関係が存在することを否定している当局によって圧殺されているからです。当局は、被災者達が怯えて自分の意見を自由に話せないような抑圧的な風潮をつくりだしていっています。
それゆえに、私はこの事に関して声明を公表する決意に至りました。私の医師としての重大な責務のひとつは、福島大災害によって甚大な被害を受けた人たちと痛みを共有し、解決の方策を探ることであります。
敬具
松井英介医学博士 - 岐阜環境医学研究所・所長
新書 「脱ひばく いのちを守る」について
新書の詳細: http://kadensha.net/books/2014/201407datsuhibaku.html
一週間ほど前、私は光栄にも花伝社が郵送して下さった松井英介先生著の新書『「脱ひばく いのちを守る』を受け取った。そこには「献本のごあいさつ」として松井先生のお言葉が添えられてあった。:
2014年7 月7日
「脱被曝=子供や妊婦をはじめ全ての人にこれ以上人工放射性物質による被曝を強いることのないよう
一日も早く汚染の少ないところに移り住めるようにする。子供たちのいのちを守りたい。」
3.11大惨事に直面して以来ずっと、このことが頭から離れませんでした。
この3年数ヶ月間、福島県各地で、また全国各地で、このことを訴え、多くの方々の声に耳を傾けてきました。
28年前にチェルノブイリ原発事故を経験したベラルーシとウクライナにも、足を運びました。そして、チェルノブイリとフクシマの子供たちのために心をくだいてきたドイツ・フランス・スイスなど世界各地の友人、支援団体、研究所とも交流を深め、多くのことを学んできました。
この春、小学館発行コミック雑誌「スピリッツ」掲載の雁屋哲作「美味しんぼ 福島の真実」が、突如攻撃の的になりました。権力者たちの、事実を無視し、人々の心を逆なでし、言論と表現の自由を圧殺する仕打ちが、花伝社と私の背中を押しました。
緊急出版ですので、不行き届きが多々あるかと存じますが、お目通しいただければ、幸いです。
松井英介
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –
「脱ひばく いのちを守る」は、3.11大惨事以来、「脱ひばく 子供たちのいのちを守りたい」との一念を絶えず持ちつづけながら献身的な活動を続けていらっしゃる松井英介氏が著された新書なのである。
「いのちの記録」と題された部分 (35ページ& 36ページ) に、松井先生は、こう書かれている。:
2011年3月11日、地震や津波に襲われた街をテレビ映像で見た瞬間、私は、空襲で徹底的に破壊された大阪・堺の街を想い出しました。国民学校2年生の記憶です。それは1945年7月 10日の深夜でした。和歌山に空襲警報が、堺には警戒警報が発令されていました。警戒警報は解除されたので、眠りについたひとも多かったと思います。わが家では大豆を炒って、家族みんなでつまんでいました。そのときです、突然、焼夷弾が降って来たのは。
ヒュルヒュルと鋭く空気を切り裂く音をさせながら落ちてくる鉄の雨の中を、夢中で海に向かって逃げました。日頃訓練していたバケツリレーのことなど、頭にありませんでした。ゲートルのこともすっかり忘れていました。母の手だと思って握っていたのは、隣人の背負った幼子の足でした。両親とはぐれてしまったのです。
翌朝救護所で再会した家族たち。4歳の弟・尚信は火傷がひどく、その日の内に亡くなりました。まだよちよち歩きだった2歳の妹・知世は、広場で火に巻かれ、飛び込んだ防空壕で、踏み潰されて亡くなりました。私・英介は生き残りました。龍神川は遺体でいっぱいでした。ある人は防火用水に頭だけを突っ込んで、別の人は電柱の途中で黒焦げになっていました。その夜、南海電車の沿線のあちこちに積み上げられた遺体に火がつけられ、おりしも降り始めた雨の、しめった空気に焦げた肉の臭いが立ち込めました。
すべてを失った私たちの流浪の日々が始まりました。
あれ以来、花火の音を聞いた時、肉の焦げるにおいを嗅いだ時、瞬時にしてあの夜の光景が蘇るのです。
-引用おわり-
焼夷弾が降る中、幼い弟妹を失い、全てを失ってしまった松井先生の凄まじい戦争体験。当時、先生は、幼い弟妹を一瞬にして失い、如何に命というものが脆いものであるかということを、幼いながら目撃してしまったのである。そして、年少ながら空爆の被災者となってしまった……。淡々と描かれた、余りにも過酷な内容に、私は胸が締め付けられるような想いになった。と同時に、私は、この年少者としての被災者体験が、松井英介氏という人間を形成する上で、多大なインパクトを与えていったのではないだろうかとも考えた。すなわち、この凄まじい体験が、フクシマ核大災害の被災者の方々に対する並ならぬ深いエンパシー/共感を抱いて行動する医師、松井英介氏を創り出していったひとつの要因となったのではないかということである。
放射線エキスパートとして松井先生は、私たちが取り組んでいかねばならない課題である内部被曝問題について、解りやすく説明して下さっている。そして、内部被曝と健康被害の因果関係を確立させるための手段として、松井先生をはじめ、他の医師たち、市民たちによって作成された「健康ノート2」を利用し詳細にわたり長期間記入していくことの重要さを訴えている。
松井先生が「美味しんぼ声明」で述べられていらっしゃるように、内部被曝と健康被害の因果関係を確立させる上で、疫学調査というものが重要性を持ってくる。
先生は、疫学調査の例として、チェルノブイリ事故の健康障害の実例を紹介した、2009年に発表されたニューヨーク科学アカデミー作成の論文集、そして通常運転中の原発から5km圏内に住む5歳以下の子供たちに2倍以上白血病が多発しているとの結論に至った、ドイツで実施された疫学調査の結果を挙げていらっしゃる。
そうした観点から、健康ノートの記入は疫学調査としても重大な意義を持ってくることになるのではないだろうか。
新書の最後の部分に掲載されてある資料編において、広島への原子爆弾投下により被爆をしながら、他の被爆者の治療・救護にあたった肥田舜太郎医師も、この点を強調なさって被災者を励ましていらっしゃる。(191ページ& 192ページ):
「内部被曝はどうして起こったのか。低線量放射線内部被曝の生き証人として生きつづけ、原発事故を起こした東京電力と日本政府の責任を問うこと、そして核による支配をなくすことです。私たちに続く子や孫の未来のためです。」
最後に、岐阜県に避難している親子が、松井先生に話した内容をご紹介させて戴く。避難した先でも避難者としての悩みは絶えることがないということがお分かり頂けるのではないだろうか。:
-「借り上げ住宅の期限が1年延びたと知らせてくれて嬉しかった。せめて3年、5年とまとまった期間にしてくれれば、生活設計も立てやすいのに、1年ずつ。先がどうなるか心配しながらの暮らしだ」
-「「美味しんぼ」が本当のことを載せてくれて嬉しい。もう福島のことは忘れられたと思っていたけれど、また新聞も週刊誌も書いてくれるようになった。本当に先生には感謝している。」
– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – あたかもフクシマ核災害による健康被害/環境被害は何もなかったかのごとく振る舞い、喫緊の優先課題である福島第一原発現場の状況を安定化させることや犠牲者のために行動することよりも、原子炉再稼働のために大半の時間を費やしてきている原子力規制委員会、日本政府………。
彼らには、「フクシマを忘れないでほしい」と叫ぶ被災者の方々の声が、聞こえないのだろうか?
以上
………………………………………………………………………
2 健康ノート: http://chikyuza.net/archives/44484
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4923:140721〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。