ETV番組改ざんの二の舞にしてはならない~「クローズアップ現代」をめぐる官邸とNHKのやりとりの真相は?~
- 2014年 7月 25日
- 時代をみる
- 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2714:140726〕
2014年7月25日
NHKの名誉棄損というなら
7月22日、NHKは『週刊新潮』4月24日号に掲載された、籾井会長の初出勤の日の言動などを取り上げた記事について、NHKおよび籾井会長に対する重大な名誉棄損にあたるとして同誌出版元の新潮社を相手どり、損害賠償の支払いと謝罪広告の掲載を求める訴訟を、東京地方裁判所に提起した。
「籾井会長に関する週刊新潮の記事をめぐる訴訟の提起について」
http://www9.nhk.or.jp/pr/keiei/opinion/index.html
『週刊新潮』の記事に個人の人格を貶める不適切な表現や誇張、事実の裏付けに疑義があったことは否めないが、NHKの上記告知文によると、今回の提訴はNHKと籾井会長が原告となって起こしたとある。訴因となった『週刊新潮』の記事が籾井氏の名誉にとどまらず、NHKの名誉まで棄損し、NHKの信用まで失墜させるものだったからというのがその理由のようだ。
NHKが訴訟に参加するとなれば、訴訟費用の一部はNHKが負担することになる。さらに、損害賠償が認められれば、訴訟費用補てん後のその一部はNHKが受け取ることになる。それだけに、『週刊新潮』の記事が籾井氏の名誉にとどまらず、NHKの名誉も傷つけたとする理由を示される必要がある。
「籾井よくやったと書いて」というけれど
~140万円の期末報酬返上で償われるのか?~
しかし、『週刊新潮』の記事を離れて言えば、籾井氏の会長就任会見以来の一連の妄言でNHKの名誉は著しく棄損されてきた。7月15日の定例記者会見で籾井氏は上期の期末報酬の全額140万円を自主返上した理由を質した記者に対して、「籾井よくやったと書いてくれれば十分じゃないか」と応えたという(『毎日新聞』7月16日)。
それで本当に十分か?
金銭に換算するのは容易ではないが、会長就任会見で「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」、「通ちゃったもの〔特定秘密保護法案のこと〕はカッカすることはない」、「戦時には従軍慰安婦はどこにでもあった」などと言い放って国民を仰天させ、NHKの自主・自律、政治的公平、不偏不党の立場に対する信頼を貶めた籾井氏の罪は140万円で引き合うとは、とても思えない。
名誉毀損というならNHKは百田氏を訴えるべき
私は『週刊新潮』を擁護する気はないが、NHKが名誉を毀損されたというなら、その深刻さにおいて百田尚樹氏の一連の暴言は『週刊新潮』の記事の比ではない。百田氏の暴言を挙げると枚挙にいとまがないが、代表的なものを摘記しておく。
「日本がアジア諸国を侵略したというのも南京大虐殺も嘘である。」「他の候補者は人間のクズだ。」(2月3日、東京都内で行った都知事候補・田母神俊雄候補の応援演説で)
「護憲派の人たちは大ばか者に見える。・・・・侵略されて抵抗しない国と、侵略されたら目いっぱい自衛のために戦う国、どちらがより戦争抑止力があるかというリアリティの問題だ。」(5月3日、「21世紀の日本と憲法有識者懇談会」が都内で開いた公開憲法フォーラムで)
「(軍隊を持たない南太平洋の島しょ国、バヌアツ、ナウルは)家に例えると、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」(5月24日、自民党岐阜県連の定期大会で)
いずれもNHKの監督機関のメンバーとして、その稚拙な歴史認識、下品な言辞は、いかに職務外の発言と弁明しても、聴き手には通用しない。それぞれの言動に現れた見識と人格の低劣さがNHKの名誉をはなはだしく棄損したことは明白である。
したがって、NHKは自らの名誉が棄損されたというなら、百田尚樹氏を訴えるのが道理である。また、経営委員会の他のメンバーは経営委員会の名誉と威信をかけて百田氏の言動を厳しく質し、それでも悔い改めないなら、彼に辞職を勧告するのが道理である。
(追伸)今朝の「朝日新聞」に次のような見出しの記事が掲載された。
「百田氏、番組へ異議 『強制連行で苦労』キャスター発言に 放送法抵
触の恐れ」(2014年7月25日、朝日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140725-00000007-asahi-soci
NHKの名誉というなら『FRIDAY』の指摘をなぜ放置するのか?
NHKが公表した前記の「籾井会長に関する週刊新潮の記事をめぐる訴訟の提起について」によると、NHKは『週刊新潮』に対し、4月22日付で謝罪と訂正を求めて抗議した、と記されている。問題の記事を掲載した『週刊新潮』は4月24日号となっているが、発売日は4月17日だった。したがって、NHKは発売日から5日後に新潮社に対して問題の記事について謝罪と訂正を申し入れたことになる。
ところで、公共放送NHKの名誉というなら、『FRIDAY』7月25日号に掲載された記事が伝えた内容の方がはるかに重大である。記事によると、7月3日放送の「クローズアップ現代」(「集団的自衛権 菅官房長官に問う」)の放送終了直後に、待機していた菅氏の秘書官が、国谷キャスターの突っ込んだ質問、再質問に不快感を覚え、「いったいどうなっているんだ」と抗議したという。さらにそれから数時間後に官邸からNHK上層部に「君たちは現場のコントロールもできないのか」と抗議が届いたという。
これに対し、NHKの上層部は平身低頭、籾井会長は菅氏に詫びを入れ、NHK上層部は番組制作部署に対し、「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」など「犯人捜し」まで行ったと記されている。この番組は私も視聴し、感想を番組専用サイトに送った。このことは本ブログに書いたとおりである。
もともと、この番組は7月1日の閣議で集団的自衛権の行使を容認する決定がされた件について、菅義偉官房長官を招き、国谷裕子キャスターと原聖樹・政治部記者が討論を交わすというものだった。国民の過半が異論・疑問を持つ閣議決定を担った官房長官だけを出演させる番組を放送したこと自体、問題だったが、国谷キャスターは閣議で憲法解釈を変えてよいのか、集団的自衛権の行使を認めると他国の戦争に巻き込まれるのではないかという、多くの国民が抱いている疑問を代弁する形で菅氏に質したまでであり、何ら非とするべき点はなかった。
そうした質問を受けたことに官房長官側が不快感を覚え、クレームを付けたのだとしたら、NHKは官邸の意向通りに放送をするのが当然だと言わんばかりの傲慢な態度であり、NHKの放送の自主・自律を定めた「放送法」や「放送ガイドライン」への無理解を露呈したものである。
にもかかわらず、籾井会長以下、NHK上層部が官房長官側の不当な干渉にうろたえ、番組制作現場に締め付けをしたのが事実なら、外部からの圧力を排除し、放送の自主・自律を守る活動の先頭に立つべきNHK会長らが、あろうことか、それと正反対の行動――官邸からの圧力を番組制作現場に伝える導管の役割――を演じたことになる。
放送の自主・自律、とりわけ、時の政権からの独立は公共放送としてのNHKの生命線であるから、『FRIDAY』が指摘したNHK上層部の対応の真偽はうやむやにされてよいはずがない。NHKが自らの名誉を確固として守るというなら、事の真相を主体的に調査し、記事に誤りなりねつ造があるなら、直ちに『FRIDAY』編集部なり出版元の講談社なりに記事の訂正と謝罪を求めるのが道理である。
逆に、記事で指摘されたことが真実なら、籾井会長ほかNHK上層部は自ら、事実関係を公表し、引責辞任するか、罷免されるのがふさわしい大罪を犯したことになる。
NHKの静観は何を意味するのか?
ところが、菅官房長官は7月11日の記者会見で、『FRIDAY』の記事について「事実とまったく違う。ひどい記事だ」と発言したものの、同誌編集部なり出版元の講談社なりに抗議するかどうかは「効果があるかを含めて考えたい」と述べるにとどまった。
NHKの対応はどうかというと、『FRIDAY』の記事では、「ご指摘のような事実はありません。NHKは放送法の公平・公正、不偏不党などの原則に基づいて放送しております」という広報局のそっけないコメントが掲載されただけである。また、7月15日の会長会見の際、この件を質した記者に対し、広報局は「官邸から抗議を受けた事実はない」と答えたにとどまる。
さらに、『東京新聞』7月19日によると、籾井会長は、「NHKで菅氏を出迎えたことは認めているが、『収録には立ち会っていない。テレビで放送を見ていた。菅さんはお化粧を落として帰っていった』」などと述べたという。
私自身も何度かNHK視聴者部に問い合わせたが、7月17日現在、同誌編集部なり出版元の講談社なりに記事の訂正も謝罪を求める抗議も行っていないとの返答だった。その後も、一昨日(7月23日)までのところ、NHKがこの件で同誌編集部なり出版元の講談社なりに何らかのアクションを起こしたとは伝えられていない。
しかし、「そのような事実はない」という広報局の応答では『FRIDAY』の記事への反証力は無に近い。『東京新聞』が伝えた籾井会長の説明は肝心の場面を飛ばした駄弁である。
また、NHKの会長が収録現場に立ち会うなど、もともと、ありえないことだから、「収録には立ち会っていない」という説明はアリバイ説明としての意味はゼロであり、「語るに落ちる」の感さえある。
それにしても、問題の『FRIDAY』は7月24日号であるが、発売日は7月11日であるから、すでに12日が経過している。『週刊新潮』に対して発売日の5日後に記事の訂正と謝罪の申し入れをしたことと対比すると、記事が伝えた模様を頭から否定するにしては、反応が鈍すぎる。
NHKとしては、事実を否定して見せるだけで、事の真偽には一切、立らないという「戦術」で押し通すつもりかと思われる。
しかし、NHKは、その意思さえあれば、指摘された点を反証することは十分に可能である。にもかかわらず、「事実無根」と繰り返すだけで、進んで反証し、新潮社に対して行ったのと同様に、記事の訂正、名誉棄損の謝罪を求めないのはなぜなのか?
NHKの名誉という点では『週刊新潮』の記事の場合と比べ、『FRIDAY』の記事の真偽の方がはるかに重大である。にもかかわらず、NHKが『FRIDAY』の編集部に対しても出版元の講談社に対しても何らの対応も取らないとなれば、記事で指摘された点を反証する自信のなさを意味するか、指摘された点を真実と認めたかのいずれかである。
「クローズアップ現代」の制作現場も声を上げるべき
もう一つ、言いたいのは、NHKの上層部にとどまらず、「クローズアップ現代」の制作現場のスタッフも事の真偽について語るべきだということである。
報道によれば、7月3日の放送の折、キャスターは事前の打ち合わせと異なる質問を繰り返した、それについて官房長官側がクレームを付けたとも伝えられている。一体、どのような事前の打ち合わせがあったのか、番組ではすべて台本通りに進行させないといけないのか、番組終了後、官邸から届いたクレームを受けて、NHK上層部が番組制作部署に対し、「誰が中心になってこんな番組作りをしたのか」など詰問したという事実はなかったのか、あったとしたら、それに対して番組制作スタッフはどのように応答したのか? こうした事実の有無を公にするべきだ。
そんなことは無理強いだと言われるかもしれない。しかし、韓国の公共放送KBSでは4月16日に起こった客船「セオル号」沈没事故の報道をめぐって、大統領府から報道内容に圧力があったとして同局の2つの労組は、この圧力を受け入れた吉社長の解任を求め、記者や番組制作スタッフらが29日からストライキを決行した。その際、前報道局長は大統領府からKBS社長に事故報道に干渉する圧力があったと暴露した。KBSの理事会は6月5日、吉社長の解任決議案を可決、その後、朴大統領もこの決議を承認した。
さる6月21日、大阪中之島中央公会堂で開かれた集会に発言者の一人として参加した私は第2部のパネル討論の折、壇上にいた元NHKプロデュサー/ディレクターに向かって、こうした内部からの告発が「韓国のKBSではできてNHKではできないのはなぜか」と質した。
元NHKディレクターからは、日本と韓国での民主化闘争の歴史の違いが主な要因、という応答があった。しかし、このやりとりの前に、「内部から声を上げられないのを環境のせいにしていては、いつまで経ってもNHKの体質は変わらないのではないか」と質していた私としては、納得できる回答ではなかった。
『FRIDAY』の記事の指摘を全面否定するNHKの上層部に対して制作現場が異議を申し立てるのがいかに困難かは十分、承知している。しかし、記事の指摘が要所において真実なら、「クローズアップ現代」のスタッフは一致結束して官邸からの圧力に媚びるNHK上層部を告発し、真相を国民の前に明らかにすることが強く期待される。
否、問題は「クローズアップ現代」の制作現場にとどまらない。NHKの様々なドキュメンタリー番組や報道番組の制作現場のスタッフは、今回の問題を我が事として、番組編集の自由と自律を守るために結束し、真相を告発するよう求められている。
また、『FRIDAY』の記事の指摘がありもしない事実のねつ造なら、それはそれで「クローズアップ現代」のスタッフはNHK上層部に対して、記事の訂正と謝罪を『FRIDAY』編集部と講談社に求めるよう意見を提出すべきだ。
一遍の否定でこのまま真相を闇に葬るなら、「ETV2001」特集第2夜の番組改ざん問題の二の舞になる。
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