塩沢由典著『リカード貿易問題の最終解決』の知的貢献
- 2014年 8月 10日
- スタディルーム
- 岩田昌征
研究者なら誰しも停年退職の時に、自分の代表的新著を公刊したいものだ。そんな幸福を享受出来る者は、残念ながら数少ない。塩沢由典は、そんな少数者のひとりだ。
今年の3月末、塩沢由典著『リカード貿易問題の最終解決 国際価値論の復権』(岩波書店)が出版された。自著を『~問題の最終解決』と命名する所に著者の並々ならぬ自負が感じられる。400頁の本書を一読して、私は、彼の自負を真っ当なものだと思った。
本書の「はじめに」において、本書の主張を四箇条示している。(1)D.リカードが1817年に提出した問題を古典派価値論の枠内で解いた。(2)J.S.ミルの「解
決」を特殊状況における特異対応にすぎなかったと論証した。(3)ミルの「解決」が今日に至る経済学の発展を規定したこと、すなわち古典派価値論と新古典派価値論の分岐を誘導したことを論証した。(4)古典派価値論の延長上に塩沢がリカード問題を解決した事によって、今日貿易論と経済学がともに基礎から生れ変る可能性を生み出した。
リカード貿易問題とは何か。リカード等古典派経済学によれば、国内の商取引は、労働価値ないしその延長上の絶対生産費に従って行われる。しかしながら、国間の貿易取引は、国内諸財の絶対生産費間比率の優位な財を輸出し、劣位な財を輸入することで行われる。いわゆる比較生産費説である。両財共に絶対生産費劣位のイギリスが共に優位のポルトガルと交易できる。その説明のために、リカードは、以下の有名な数値例を提示した。国内では、絶対生産費に基づい
表1
毛 織 物 | 葡 萄 酒 | |
イギリス | 100労働量 | 120労働量 |
ポルトガル | 90 〃 | 80 〃 |
て毛織物と葡萄酒が交換されるのに対し、国間では比較生産費が毛織物で優位なイギリスは毛織物に特化し、比較生産費が葡萄酒で優位なポルトガルは葡萄酒生産に特化し、自国で生産しない財を貿易相手国から輸入する。内部端点存在の故である。その際の両国間の交換比率は、もはや労働価値、あるいは絶対生産費に比例しない。
J.S.ミルは、両国間の財交換比率は、需要供給一致によって決まるとした。ここに国内市場の価格形成原則と国際市場の価格形成原則の不統一性が生じ、J.S.ミル以降、その不統一性は、国際間の需要供給原則と同じ原則が国内市場でも働くとされることで克服される。今日の主流派経済学の需要曲線と供給曲線の交点によって価格と数量が同時決定される通説が成立する。
塩沢は、古典派の生産費説(労働価値説もその特殊ケースとして含む)に立脚して、国際貿易の価格決定が可能であり、かつ技術集合に基づく塩沢理論の方が生産関数に基づく新古典派貿易理論よりはるかに現実妥当性が高い、と説く。生産費説による国内市場と国際貿易の統一的価格形成理論の成立である。
リカードの数値例二国二財モデルがたまたま新古典派の需給理論に都合良かったと言う歴史的偶然が170年間貿易理論の性格を規定したのである。塩沢が世界で生産される財の種類Nの方が世界に存在する国の数Mよりもはるかに大きい事実に着目して、二国三財モデルの数値例を作成した事から理論的突破がなされた。二国二財モデルは、リカードの英国とポルトガルのようにそれぞれ毛織物と葡萄酒に完全特化し、すなわち、生産数量が固定された後に両国が消費量と交換比率を市場で決める、いわゆる純粋交換モデルに転化しやすい。リカードの主観に反して、新古典派の方向へ大門が開いていたわけである。ところが二国三財Shiozawaモデルでは圧倒的に高い確率で三財の価格が定まり、財の需要変動は価格に影響しない。内部端点不在の故である。
図1(p.47)
表2 製品1単位を生産するのに必要な労働量
第1財 | 第2財 | 第3財 | 労 働 力 | |
A国 | 20 | 40 | 30 | 400万人 |
B国 | 50 | 20 | 20 | 600万人 |
私は、塩沢の二国三財モデルの数値例とそのグラフは、リカードの二国二財モデルの数値例と同じく、将来多くの経済学史教科書に紹介される、と信じる。
塩沢は、二国三財モデルを発展させて、M国(M個の賃金率)・N財・T技術(T種の生産技術)を開拓した。ここで M<N<T である。すなわち、国毎に異なる賃金率、財生産の完全特化と全般生産、技術選択を議論できるモデルを構築して、各財の価格ベクトルと賃金ベクトルから成る「国際価値」論の証明を完成させる。
塩沢の成功の鍵は、利潤率を変化させて、財価格と財生産(輸出)国を特定する事を断念した所にある。そう断念しなかったとすれば、高次多項式体系の解を求める事になり、数学壁にぶち当ったであろう。そうではなく、利潤率を所与としてマークアップ=上乗せ率に使用し、所与の投入産出技術係数行列に掛けて、増価した投入産出技術係数行列を入手し、それに基づいてN財価格ベクトルとM賃金率ベクトルを求め、M国間の国際分業とM国間の賃金率格差を証明することに成功した。
私の見る所、本書の最大の眼目は、数量に左右されない財価格ベクトルの定立にあるだけでなく、それに共役な賃金率ベクトルの存在証明にある。N財空間の凸多面体の極大境界面法線ベクトルとして価格を措定するのは、図形的視覚認識からも容易である。しかしながら、国毎の賃金率ベクトルは、純粋に数学的操作によってしか導出されない。塩沢自身、極大点の価格ベクトル=「双対補ベクトルは共役な賃金率ベクトルをもつということである。分かりやすくいっけんほとんど自明とも見える事実であるが、じつはこれは本章(第5章)のもっともけわしい登攀部分であり、山にたとえれば、アイガー北壁と言うべき部分である。」(p.353)と文学的に描出している。
以上、塩沢の大著の論旨の概略の概略を述べて来た。以下に岩田のコメントを付しておこう。
① 塩沢は、国毎の利潤率格差は、国毎の賃金率格差よりはるかに小さいと言う塩沢の経済認識をモデル化して、その解の導出に成功した。この場合には凸多面体論が利用できたからである。しかしながら、近代化初期、資本主義化初期の大航海時代、もしかしたならば、国毎の利潤率格差の方が国毎の賃金率格差よりもはるかに大きかったかも知れない。その場合には、凸多面体論は使えず、高次多項式体系の迷路に入ってしまう。そのような事態は、過去に想定されるだけでなく、今日でもアメリカ企業の利潤率は日本企業のそれよりはるかに高いと言われる。塩沢は、この問題をどう考えるのか。
② 塩沢は、新古典派貿易理論(HOS理論)が資本なる生産要素を前提にした生産関数を用いている事を批判している。たしかに、英ケンブリッジと米ケンブリッジの論争で、「資本は種々の生産物の集合であり、利潤率の確定のまえにそれらの量を決定したり、測定したりすることはできないことが認められた。」(p.293)「労働と資本の投入代替を基礎イメージとするソロー・スワン型生産関数が正当化できなくなる。」(p.293)にもかかわらず、HOS貿易理論はかかる生産関数を用い続けている。仮に利潤率を所与として集計資本量を確認し、それを労働と並ぶ変数として生産関数を形成し、その生産関数から同じ利潤率が演繹できたとしたら、どうであろうか。この意味で利潤率に関して言えば、塩沢理論も生産関数論も無力であると言う点では同じであろう。
③ 塩沢体系(jは労働投入行列、wは賃金率ベクトル、pは価格ベクトル、Aは純産出係数行列、yは純産出ベクトル、qは労働賦存ベクトル)
jw≧Ap 〈y,p〉≦〈q,w〉 (p.329)
を表相的に見るならば、各国内で労働者は、なるべく高い賃金率を求めて競争しており、過大な賃金率を求めた場合、客観的経済的限界に阻止されて、その要求を実現できない、と読める。ここには、資本家間の競争は、表面化していない。資本家の極大利潤追求は、不変価格の下で需要がある限り、販売し、利潤額を増大させる、と言う陰伏的に示唆されている。需要の大部分が労働者階級から由来するとすれば、資本家とは、労働者階級の欲求を満足させるために作動する自動機械のように見えて来る。各国間の技術格差は賃金率格差にのみ反映される。資本主義経済とはそのようなものか。
④ 私見によれば、利潤率=上乗せ率の水準は、資本家と労働者の両階級の力関係によって決まる。すくなくとも企業間競争だけによってではないだろう。
そうすると、技術の性質と社会的欲求の質によっては、労働者に有利に上乗せ率が変化する。つまり利潤率が0に近づく。とすれば、塩沢の価格・賃金方程式体系は、労働価値価格に接近する。マルクスの生産価格体系と労働価値価格体系はいわゆる転形関係にあるのではなく、両階級の力関係のバロメーターであろう。そんな読みも塩沢の理論に可能かもしれない。
平成26年8月6日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study619:140810〕
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