ドイツ徒然(その3)-旧東ドイツへの旅
- 2014年 8月 14日
- カルチャー
- 合澤 清
今回はまた「ドイツ観光案内」(以前にS教授にチクリと皮肉を言われたことがありましたが)になりそうな内容ですので、その点は十分注意したいと思っていますが、はて?
1.一泊二日の小旅行-旧東ドイツの町(ノルトハウゼン、エアフルト)
毎年ドイツに来る際には「ジャーマンレイルパス」なる格安鉄道チケットを買ってくることにしている。以前はかなり長い期間のものを買ってきていたが、ドイツ旅行に慣れたのと、鉄道の格安旅券を自動販売機で探して買うことに慣れたせいで、このところはせいぜい5日間程度のものである。
言葉が不自由で、国内旅行が不安だった当時は、このチケットが大いに役立った。なにしろ、切符を買うために駅の窓口で駅員と対面で会話する必要がないからだ。最初は、相手が何を言っているのかさっぱり分からなかったし、こちらもあらかじめ用意していた内容の言葉を喋れば、それ以外は何を聞かれても分からず、言えず、ただただ自分の「感」を頼りに「ヤー(Ja)」か「ナイン(Nein)」を不安げに繰り返すだけで、相手があきれて、あきらめてくれるのを待つだけだった。
その点、このチケットは、鈍行(各駅)、急行、新幹線、何でも乗れる勝れもので、不慣れな旅行者にはうってつけであろう。
ゲッティンゲンの象徴:ヤコービ教会
前置きが長くなったが、今回もともかくこのチケットの5日間分を買ってきている。無駄にはできない。それ故、無理にでも旅をしなければと思い立って、8月1日から2日にかけて第一回目の小旅行に出かけた次第である。今回の旅行はそれほど目的があったわけではない。ともかく、去年行った場所で、面白そうだった所に行ってみようと思ったまでだ。
ハレ(Halle)にチェコビールを飲ませる良い酒場があるので、ともあれ、そこに行って、そのついでにライプチッヒ(Leipzig)とマグデブルク(Magdeburg)によって見物していこうということに決めた。
時間はたっぷりあるし、急ぎ旅ではないので、鈍行に乗りとことこ行く内に、ノルトハウゼン(Nordhausen)という昨年来たことのある町についた。ここは旧東ドイツの町で、駅前からずっとなだらかな上り坂の坂道が続き、そこを路面電車が走っている。その日は割にさわやかな天候だったので、われわれは歩いて登って行った。
喫茶店や衣料品店の並ぶ商店街を抜け少し行った頃から、両側にまだ新しいアパートが立ち並んでいるのが分かる。旧東ドイツ領だった大抵の町の特徴で、統一後に「経済的な国内難民」と言ってよいのかどうか分からないのだが、ともかく大量の旧東ドイツからの失業者や老人などの受け入れ施設として作られたものである。
20分ほど歩くと、左手に市庁舎(あまり大きくはないが、古い建物の外観は保たれている)がある。その前では小規模なMarkt(定期的な市)が開かれていた。そこは素通りして、市庁舎の裏手の方に回ってみて驚いた。去年はなかった大きなショッピングビルが建っているのだ。名前も確かアメリカ風の名前がついていたように思う。
こうして旧いドイツの街並みが壊され、アメリカ風に建て替えられるのかと思うと、やはりさびしくなる。ドイツ人は流行を追わないはずだったように思うのだが、若者はそうでもないのだろうか?客層はやはり若者中心だった。
その後、旧商店街の方に行く。Fest(祭り)でもあるのだろうか、石畳みの狭い坂道を2,3百メートルにわたって出店が出ていた。外国人風な人たちが目立つ。
その坂道の裏手を登ると、いかにもドイツらしいこんもりした森林緑地に出た。他に見るあてもないので、そのまま駅の方に引き返す。電車で見る辺りの景色(まだ多くの旧東ドイツが残されている)と、先ほどのショッピングビルや駅前の一部とのあまりの落差、また相違に改めて驚かされる。
ノルトハウゼンから、直接ハレに向かわずに、チューリンゲン州の州都エアフルト(Erfurt)に行く。ここもこの数年必ず訪れている町で、旧東ドイツに属した大都市である。
ここでは必ず立ち寄ることにしているのが、本格的なカフェ、と言っても、店は小さくて、見栄えもしない、普通のありきたりな喫茶店であるが、淹れるコーヒーは抜群に美味しい「Kaffee Land」という店だ。今年ももちろんここで一休み。ママ(今まではほとんど男のマスターだったが、今回は何故か女性)に、下手なドイツ語で、毎年エアフルトに来て、ここに来るのが楽しみだ、と言って大変喜ばれた。
この喫茶店から裏道を抜けて、小川に架かる橋を渡り有名なドーム(大聖堂)に出るのであるが、この小川と橋の畔の風情が最高である。妙にしっとりと落ち着いている。一度このそばの酒場で飲んでみたいものといつも思う。
今回は足早に、ドーム横を通り過ぎ、豪華な市庁舎前から有名なクレーマー橋を渡り、そのまま駅まで帰ってきた。もったいない気もするが仕方がない。
この町は、東西ドイツ統一の数年後に来たときは、何だか暗い雰囲気で、第二次大戦の傷跡をまだとどめているのではないだろうかと疑わせるような、薄気味悪いイメージだった。駅舎もかなり大きいのだが、荒れて薄汚れた感じで、列車を待つ人たちも疲れた様子をして、立ち飲みのビールやパンをかじっている人が多かった。町中にも華やかさはほとんど見受けられなかった。
この数年間で、ここは大きく様変わりしたようだ。しかし、街並みや建物の外観だけから判断しても、ドイツ的なものの喪失は大きいように思う。
2.ハレ(Halle)-旧東ドイツの大学町
午後5時頃にハレ駅につき、駅の近くの安ホテルに宿を取る。ここには去年も泊まったのだが、ただ安いという点だけが取り柄(いや値段の割には朝食は旨い)の宿である。
ハレについての知識は、音楽家ヘンデルの生まれ故郷ということと、ハレ大学があるということぐらいだ。町の様子は、去年も来たので一応わかっている。駅前に路面電車の線路が複雑に絡み合っているのを横切り、商店街をそぞろ歩きにしばらく行き、市庁舎まえのマルクト広場に出る。そして、ヘンデルの銅像を横目に見ながら、ハレ大学の方に歩く。
僕がハレ大学で思い浮かぶのは、哲学者のヴォルフがここの教授だったこと、そのことが影響したのかどうか分からないが、イマニュエル・カントは一時この大学からの招聘をうけいれて、ケーニヒスベルクを後にしようと思ったことがあった。結局はそうならずに、生まれ故郷に最後までとどまったのであるが。
それはともあれ、僕がハレ大学の方に向かったのは、そのすぐ側に好い飲み屋があることを知っていたからだ。「Bier Tunnel」という名前で、エアフルトの喫茶店同様、ほとんど目立たない、小じんまりした店である。実はここに有名なチェコビールが置いているのだ。ビールと言えば、本場はドイツではなくチェコである。これはドイツ人すら認めることだ。
そしてここでは、かのBudweiser(アメリカのバドワイザーはここの商標を買い取った紛い物で、本家本元のブトヴァイザー)やKrusovicer Schwarzbier(黒ビール)が飲めるのである。
Budweiserは、通常のドイツのピルスビール(このピルスという名前も、チェコのPlzeň(Pilsen)に由来する)よりも黄金色が少し濃く、アルコール度数も高い。そして何よりも味にコクがあるのだ。まるで日本酒を飲むようだった。Krusovicer Schwarzbierは、黒ビールにしては珍しく甘さが抑えられた、さっぱりした味で、実に飲みやすいビールだ。さすがにチェコの銘酒だと感心しながら堪能した。
かなり良い気分に酩酊して宿に帰って来たのだが、この宿が凄まじい宿で、部屋の中は蒸し風呂状態、窓を開けると表の産業道路を深夜に走る大型トラックの騒音がひっきりなしに耳のそばで轟々とうなりをあげる。とても眠れたものではない。一晩中窓を開けたり閉めたりしながら過ごしてしまった。
その時気がついたのだが、産業道路をはさんで目の前に、外国人労働者用の安っぽいアパートが建っている。ここには主にアラブ系と思える人たちが出入りしているようだ。開けた窓からかすかにその生活ぶりも垣間見える。
夏場の暑い盛りに、こんな場所で窓も開けられずに過ごしながら昼間の重労働(ほとんどが炎天下の肉体労働)に勤しんでいる。ドイツ人は、やはりこういう外国人アルバイターが自分たちよりも良い環境下で暮らすことを好まないのかもしれない。それにしても過酷な住環境ではある。日本に暮らす「在日」の人たちの環境もおおむねこんなものなのかもしれない。胸が痛む。
3.ライプチッヒ(Leipzig)、マグデブルク(Magdeburg)
翌日、ライプチッヒへ行く。ここの大学には友人のKさんが教授でいるはずだが、会えばまたそのまま逗留することになりそうなので、連絡はせず、ただ街を散策して過ごした。
15年以上前に最初にこの町を訪れたときは、他の旧東ドイツの町と同じく、薄汚くて、なんとも寂れた感じがしていた。それが、今回の訪問では、同じ町だとは思えないほどの変容ぶりだ。駅前の路面電車の線路を横切って進むと、両側に大きな建物が並ぶ商店街に出た。
以前は確か、この近くに割に大きな公共施設(?)があり、そこの横に、旧マルクトが、またそこを過ぎて角を曲がると小さな公園と新マルクトがあったはずだ。今回もそれを探してみたのだが、さっぱりわからないままうろうろと町中をさまよい、いつの間にかゲーテの『ファウスト』の第1部の酒場のシーンに登場する有名な(名前は失念した)ケラー(地下)の前まで来てしまった。ファウスト博士とメフィストフェレスの並んだ銅像が、またアーケード街の狭い道路を挟んだその前に、学生が二人の役人に取り押さえられている銅像がある。何れもこの酒場での一場面に由来するものだ。この居酒屋は今では観光名所になっているらしい。
そこのアーケードのすぐ近くの小さなプラッツ(広場)に、青年時代のゲーテの銅像が建っている。彼がライプチッヒ大学の学生時代のものであろうか。その周辺に、今では、高層の立派なホテルや商店などが建ち並んでいた。
トマス教会にも行ってみた。ここはかのヨハン・セバスチャン・バッハが、専属で教会音楽などを取り仕切った場所として有名である。
ライプチッヒからは旧東ドイツ時代の面影は急速に消去されているようであったが、街中で「困ったことがあれば是非相談に来て下さい」という意味の公共の相談所の看板を見たときには、やはりまだ、底辺に多くの東ドイツ的なるものが残っているのを感じた。
ライプチッヒからマグデブルクへと行く。
マグデブルクのフンデルトバッサーの作品(アパート)
この町にはまだかなり旧東ドイツの名残が残っているのを感じる。この大きくて歴史を感じる町は、まだ再建途上の様で、町全体がちぐはぐな感じだ。去年来たときにも、ホテルを探すのにかなり苦労をした挙句、駅傍のホテルに決めたのだが、これがハレのホテルとどっちもどっちの酷いもので、狭い、暑い、うるさいの三条件がそろっていた。
今回は泊まる予定のないまま街を歩いて、エルベ川沿いに炎天下を少し散歩し、喫茶店でお茶を飲み、フンデルトバッサーの作ったかなり大きなアパートらしき建物を遠望し、さて帰ろうかという段になって、偶然にも「ヘーゲル・シュトラーセ(Hegelstraße)」なる「通り」に出会った。どうしてこんな名前の「通り」があるのかと思い、少し歩いてみたのだが、これといってヘーゲルにつながる事実は見いだせなかった。ただ、この近くに「ヘーゲル・ギムナジウム」という学校があることも分かった。
この町には落ち着いた住宅の並ぶ閑静な通りとすぐ隣合わせに、だだっ広い産業道路が走っている。この何とも知れないちぐはぐな猥雑さが再建途上の混雑を感じさせているのかもしれない。エルベ川沿いの散歩のためには、もっと並木がほしい。せっかくの旧い遺跡(城跡や、城壁や教会など)も、その周辺を整備してゆっくり散策できるようにしてほしいものだと思った。 2014.8.10記
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