元東芝エンジニアによる脱原発論 ー書評 小倉志郎著『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(彩流社)ー
- 2014年 8月 16日
- カルチャー
- 半澤健市原発書評
《頭が真っ白になったエンジニア》
2011年3月11日の午後、一人の元エンジニアが都内中央区立月島社会教育会館で平和運動の紙芝居を見ていた。そこへ大きな揺れがきた。東日本大震災の始まりである。当日は横浜の自宅に帰れず、その建物に泊まった。テレビは東電福島第一原発が電源を失い原子炉が冷却不能と伝えていた。「非常用ディーゼル発電機があるはずだ。それも地震か津波でやられたのか」。エンジニアはそう考えて頭が真っ白になった。福島第一原発6基中、5基の炉心冷却系のポンプの技術取りまとめを、担当した人物だったからである。
そのエンジニアの名前は小倉志郎(おぐら・しろう)、『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(2014)の著者である。1941年生まれ、慶大工学部の学部・大学院を経て「日本電子力事業(株)」(のちに東芝に吸収合併される)に入社。35年間、一貫して原子力発電所の見積・設計・建設・試運転・定期検査・運転サービス・電力会社社員教育を仕事とした。退職後の2012年には国会事故調の調査員として報告書の作成にも関わった。
《「放射能の存在」と「全貌理解不能」》
本書は、元原発エンジニアによる脱原発論である。
脱原発の論拠を突き詰めると、「放射能の存在」と「原発の複雑さ」になる。すなわち、「原発が装置としてどれほど完全であったとしても、高レベルの放射能を溜め込んだ使用済核燃料が存在するかぎり、極めて危険であること」、「世界中をさがしても原発の複雑なシステムおよび機器の全貌を一人で理解できる技術者はいないこと」。これが小倉脱原発論の原点である。あまりに当然といえば当然である。
委細は本書に譲るが、私は、著者の貴重な経験に基づく、脱原発にいたる論理の展開に感銘を受けた。著者は企業の「本部」と「現場」の両方―俗っぽくいうと「エリートコース」と「叩き上げコース」―を経験し、更には日本の企業社会と官僚世界の習俗を仔細に観察した。そこが説得力の源泉である。しかも小倉脱原発論の源泉は技術者の知見だけではない。むしろ万人に備わった「良識」と「人間性」に発していると私は感じた。3/11直後に脱原発にカジを切ったメルケルのドイツに通ずるものがある。
《我々は原発について何も知っていない》
3/11以来、人々は随分と原発に関する情報を得たと思っている。我々が見てきた映像や読んできた活字の数はたしかに多い。しかし、本書の示す福島第一原発事故の実態―十分に原因も現状も分かっていないという実態―を知るにつけ、真実を隠蔽して原発再稼働を進める「原発推進共同体」の暴走を知るにつけ、あらためて我々は何も知らないことを痛感する。著者の真摯な考察と将来見通しに、正直、私はかなり絶望的な気分になった。事態があまりに深刻でリアルだからである。著者は、「日本の滅亡」、「国破れて山河なし」という言葉を使っている。現状のままで事態が進行すれば、その言葉は杞憂といえないのである。
《この本は「遺書」のつもりで書いた》
原発を推進した尖兵が今になって何をいうか。この問いが当然出てくるだろう。著者はいう。「読者のみなさんのなかには、〈原発をつくった人間が何を今さら善人ぶりやがって!〉と思われる方もいるだろう」。それを意識している。贖罪の思いを込め「遺書」のつもりで書いたといっている。この言い分には異論があるかも知れない。
しかし、2002年の退職―勿論3/11以前である―後に始まった著者の脱原発活動を知った私は、批判的にはなれない。むしろその勇気と決断に敬意をもつ。
2007年に、著者がある季刊誌に書いた論文「原発を並べて自衛戦争はできない」は、原発の危険を軍事的な文脈からみた洞察力に富む労作である。50基の原発にミサイルが飛んできたら日本は壊滅するというのだ。その通りだと思う。この指摘は、安倍晋三の集団的自衛権による抑止力論を打ち砕く。
《本書は必読の一冊である》
本書は、まことに真面目な論調によって、読者を納得させる力作である。あえて必読の一冊と結んでおく。(2014.8.12記す)
■小倉志郎著『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(彩流社、2014年7月)、1700円プラス税
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