プレヴィンのガーシュウィン ―81歳のピアニストとN響の合作―
- 2010年 11月 21日
- 評論・紹介・意見
- 81歳のピアニスト半澤健市
アンドレ・プレヴィンがピアノを弾きながらジョージ・ガーシュウィンの「ヘ調の協奏曲」を振った。
NHKホールでそれを聴いた私は大いに感動した。その興奮の理由をあれこれ考えて綴ったのが以下の極私的感想である。
《『アメリカ交響楽』と『巴里のアメリカ人』》
敗戦直後、東京・有楽町のスバル座で始まった「ロードショー」の初期作品の一つに『アメリカ交響楽』(原題 Rhapsody in Blue)がある。それは夭折したアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)の伝記映画であった。ジャズとクラシックを結合したガーシュウィンを通俗的に描いた佳作だった。
私が勤め人になり立ての60年代に、技術屋になった高校同級生がMITへ留学した。帰国時にレナード・バーンスタインによる「巴里のアメリカ人」と「ラプソディー・イン・ブルー」のオープンリール・テープを土産に買ってきてくれた。細いワカメみたいな茶色のテープである。ようやく買ったソニーのテープ再生用プレーヤで聴いた。名演であった。この頃からガーシュウィンは私の小さな音楽生活の一隅を占めるようになった。
映画『巴里のアメリカ人』は私にとって大きなガーシュウィン体験だった。それはアメリカ人の楽天性によってヨーロッパへの劣等感を突破した傑作だった。フランス印象派絵画を背景にG・ケリーとL・キャロンが踊るタイトル曲全編はミュージカルの表現し得る限りの見事な達成であった。
少しずつレコードでガーシュウィンの作品を聴き、ガーシュウィン曲目の演奏会を選んで聴くようにした。結論からいうと真面目な日本のオケはガーシュウィンのスウィング感覚を完全には表現しえていない。
米国においてガーシュウィンの位置づけはどう変わったのか。85年にニューヨークのメトロポリタン・オペラがアリア「サマータイム」で知られる『ポーギーとベス』を初演した。黒人のスラム街を舞台にして身体不自由な男の悲恋を描いたオペラは偏見と差別の言葉にみちた出口のないドラマである。そのとき「ニューヨーク・タイムズ」が、「半世紀を経てやっと陽の目を見た」オペラという切り口で記事を書いていたのを思い出す。それはロシア移民が書いた黒人オペラに対する差別の歴史と現状を注意深い表現で書いた文章だった。
《プレヴィンと「ピアノ協奏曲へ調」》
プレヴィンを知ったのは少し後のことである。初めに映画音楽の作曲家としてであり次にジャズピアニストとしてである。そして最後にクラシック音楽の作曲家、指揮者としてである。映画音楽は『キスミー・ケート』(53年)から『ジーザス・クライスト・スーパースター』(73年)までこんなに沢山あるかと思うほど多い。オードリー・ヘップバーンが主演した映画『マイフェア・レディー』もその一つだが自作曲ではない。これはジャス・トリオとしての演奏が面白い。素人にわかりやすい演奏である。「パル・ジョイ」や「キングサイズ」などの彼のトリオのCDを私はときどき聴いている。
私の聴いたN響は、2010年11月14日(日)午後3時開演のNHKホールの定期公演Aプロの2日目である。演奏曲目は次の三つであった。
・武満 徹「グリーン」
・ガーシュウィン「ピアノ協奏曲へ調」
・プロコフィエフ「交響曲第5番 変ロ長調 作品100」
3曲とも指揮はプレヴィンであり、協奏曲ではピアノ演奏を兼ねた。
81歳の指揮者は舞台への出入りにおいて足許がおぼつかなかった。下手(しもて)に引っ込むときには袖の壁に左手を当てた。指揮だけのときは指揮台に椅子に載せて腰掛ける。ピアノ・指揮の場合はピアノ演奏をしながら両手または片手の動きで指揮を執る。しかし約30分の協奏曲の演奏でプレヴィンは老齢的ハンデを感じさせなかった。
以下は公演パンフの解説にみる協奏曲誕生を要約したものである。
「ピアノ協奏曲へ調」は1925年の作品である。前年の「ラプソディー・イン・ブルー」の成功が、「ニューヨーク交響楽団」(現「ニューヨーク・フィルハーモニック」)の指揮者ダムロッシュにガーシュウィンへの新曲を委嘱させた。作曲者は 前作の成功が偶然だという見方と、作曲時にグローフエ(組曲『大峡谷』の作曲者)の助力を受けたことを気にしていた。それもあり自前の作品への強い意欲があった。初演前には自費でオケを編成し自身のピアノで試行演奏を行っている。同年12月のカーネギーホールでの初演への評価は二分された。「アメリカの音楽として最も重要なもの」という評価と「前作ほどドラマ性がなく冒険心に欠ける」という批判があった。筆者谷口昭弘は次のように解説を結んでいる。
《21世紀のN響が狂欄の20年代を表現する》
▼しかし、このピアノ協奏曲はガーシュウィン自身にとって思い入れの深い作品となり、作曲技術の面でも大きな進歩を示した。また今日でも20世紀のピアノ協奏曲の名曲として数えられ、幅広い聴衆に親しまれている。楽章構成など古典的な側面は確かにあるものの、リズムのバイタリティ、和声やオーケストレーションの妙技に、紛いもない20世紀アメリカが聴かれるからだろう。
N響との共演において、プレヴィンは私が愛聴するアンドレ・コステラネッツ指揮のCDでの演奏よりもずっと大きくて豊かな音を出した。音色は十分に洗練され成熟しているが若さに欠けていると感じはなかった。
曲は狂瀾の20年代―rolling twenties―を表象している。29年恐慌を4年後に控えて時代は十分にバブリーであっただろう。第一楽章と第三楽章はそれを表していると聴いた。しかし私はマンハッタンの夜景を想起させる気怠い第2楽章を好むものである。とくに弱音器をつけたトランベット独奏の孤独感が秀逸である。N響の金管・木管セクションはよく音を出していたと思う。時代の狂気と静寂の対比がこの曲の精髄ではないかと私は実感した。
NHK交響楽団は緻密で正確な演奏を行った。それはrolling twentiesの狂気とはもっとも離れたところにある21世紀の日本を表現していた。華々しい感覚、浮き浮きする空気、わくわくする期待感、が十分でない四角四面の演奏であった。そのために浮揚しようとするブレヴィンを時に押し止めるようにも感じられた。私はそういう演奏がつまらないというのではない。N響はそういう性格のオケだと感じたのである。しかしその条件のもとで団員たちは、プレヴィンに最大の敬意を払い懸命に巨匠の指揮に従った。感動的な演奏は会場に異次元の空間を出現させる。観客もその一員になる。私はそういう時空が出現したと思った。
《周辺部の人々による演奏》
当夜の演奏はすべてが「周辺部」の人々による演奏である。
まず作曲家が周辺的である。ガーシュウィンは現代アメリカ音楽の創始者といわれている。しかしアメリカに渡ってきたロシア移民の子孫であってアメリカ中心部の出自ではない。むしろ映画・ポップス音楽・ミュージカルに代表される娯楽社会の申し子である。パリでモーリス・ラベルに弟子入りを望んだときに「二流のラベルになるより一流のガーシュウィンであれ」と断られたという。つまり彼は非古典派の周辺的な音楽家である。
アンドレ・プレヴィンは1929年にベルリンに生まれたユダヤ系ロシア人である。
ナチスを逃れて一家は亡命した。ジャズとクラシックの境界を越えた彼の音楽活動をどう評価すべきか。今はウィーンフィルで活躍するマエストロを「周辺的」というのは当たらないかも知れない。だがジャズの世界とクラシックの世界から相互に「周辺部」の音楽家とみなされているのではないかというのが私の推定である。
N響を「周辺的」オーケストラといえば批判が出るであろうが「世界ランキング」的思考に照らせばN響は「周辺的」オケである。私は偏向的でも自虐的でもないつもりである。つまりグローバリゼーションは、一方で一国標準が勝利する世界であるのだが、一方で大恐慌の年に生まれた老指揮者が、失われた20年の東京で、N響を振るという超境界的な世界でもあるのである。これはなかなかポストモダン的現象ではないだろうか。
私の「プレビンのガーシュウィン」観賞は以上のような感想を呼び起こした。極私的感想の記述はこれで終わりである。
■「ピアノ協奏曲へ調」の演奏は10年12月5日(日)午後9時からNHK教育テレビ「N響アワー」で放映される予定です。
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〔opinion0217:101121〕
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