グローバル翻訳会社とその仲間達
- 2014年 9月 20日
- 交流の広場
- 藤澤 豊
見かけのコスト削減と本社としての管理のし易さからか、自分が上部組織から“できる“マネージャに見えて、その上楽をしたいということだろうが、日本支社には何の相談もなく、突然グローバルに翻訳業務を請け負う翻訳会社に全て製品とホームページの翻訳業務を一括して発注することにしたと言ってきた。製品やマニュアルの翻訳がどのようにして行われてきたのか、日本語化した製品とマニュアルのQAプロセスがどのようなものなのかなどという具体的な作業、そこに充当しなければならない人の能力と時間など実務上の知識が全くない人たちがグローバルな一括翻訳サービス屋にころっと騙された。
でてきたグローバル翻訳会社は違うが以前お世話になった米国の会社でも全く同じことをして、どうしようもない状態に陥った苦い経験がある。納品された翻訳が想像を絶する凄まじさで日本支社の担当部署が大騒ぎになった。日本で長年かけてレベルアップをはかってきた外注先でも必ず誤解や誤訳がある。多少はあっても社内のリソースを割いてまともな日本語化した製品とマニュアルにしていたが、グローバル翻訳会社の翻訳はチェックや編集でなんとかできる代物ではなかった。グローバル翻訳会社の日本のパートナーが日本の翻訳業界では知られたゴロツキ翻訳会社だった。翻訳があまりにひどいので苦言を呈したが、クライアントはグローバル翻訳会社で、米国本社も日本支社もクライアントではないから、問い合わせは一切受け付けないとの主張。米国本社に文句を言ったが、日本語上の問題を日本語を全く解さないアメリカ人には説明のしようもない。そのレベルの人たちには、極端に言えば、漢字とひらがな、たまにカタカナで何か書いてあれば日本語に翻訳されていることになる。
客は翻訳された日本語を一切読めないのだから、翻訳会社にしてみれば、これほど都合のいい客はいない。なんでもOK.、誤訳などのクレームがでるはずもない。なかには立派な翻訳者もまともな翻訳会社もあるが、翻訳業界とは、どうしようもない翻訳会社が常に安値でコストしか判断基準をもたない無知な新規客を騙し続けても食っていける業界だった。納品された翻訳を全てゴミにして、日本で翻訳し直すしか解決しようがなかった。十年以上経って、まさか違う会社で同じ馬鹿げたことを繰り返す羽目になるとは考えてもみなかった。
そのグローバル翻訳会社の偉い人たちが日本支社に会社紹介とどのように翻訳作業進めてゆくのか説明に来た。Directorというのがスペインのマドリッドから、アジア担当のマネージャが北京から、日本のパートナーが埼玉県から来て、欧米の大手クライアントの実績から始まって、米国本社に、たいそうな翻訳品質管理体制が構築されているとの説明を聞かされた。翻訳というものがどういうものなのか知らない人たちや、翻訳とチェックの実務を横で見ていたという程度の人たちが、でてきたグローバル翻訳会社のプレゼンテーションを聞けば、ものすごくシステム化した会社で、安心して仕事を任せられると信じてしまうのも当然に思える。それは翻訳という地味な仕事をしてきている人たちの話というより、グローバルな投資ビジネスでもしている人たちによくある、今風のビジネスプレゼンテーションだった。
ところが、彼らのシステムでは、品質を保つために必須の翻訳者とクライアントの直のコンタクトが切れていた。確かにクライアントから直接翻訳者に翻訳の訂正や問題点をフィードバックすると、工数管理やらなんやら管理する側にはマネージメントが難しいという問題がある。その上、翻訳者には翻訳の過程で得た知識が残るが、会社には何も残らない。クライアントから翻訳者に、翻訳者からクライアントへの直のコンタクトは禁止されていて、全てのやり取りは米国本社の翻訳品質管理マネージャ経由とされていた。
このマネージャが日本語を全く知らない。日本語を知らないアメリカ人に日本語上の問題を伝えるという、このフツーの人なら、できっこないと一蹴するであろうこと、それも十年以上前に経験した馬鹿げたことをしようとするしかなかった。何をしなければならないのか、いかにそれが困難なことか、労多くして功少ないことなのかを米国本社で愚かな決定をしたマネージャに言ってもしょうがないことを言ってはみたが聞く耳はもたない。路傍の地蔵に何か言う方がまだ気がきいている。
翻訳には、たとえば日本語と英語、日本語とフランス語など複数の言語で特定の分野、それも翻訳需要の多い分野に関するかなりの知識が必要となる。特定の分野の知識がなければ、外国語でという前に日本語でですらクライアントの書類を理解できない。テレビがどのようにして映っているのかを考えたこともない人が、ただ英語ができるということでテレビの放送システムの技術資料など翻訳できるわけがない。多くの翻訳屋が実はこの手の英語使いに過ぎない。
そのような翻訳屋には当然のように固定客が少ないかほとんどいない。仕事が必然としては回ってこないから、あちこちの怪しい翻訳会社に登録(?)することになる。怪しい翻訳会社もそこから仕事を回してもらっている翻訳者も価格以外では競争できない。質は問わない、あるいは問う能力のないクライアントの仕事を文字通り右から左に流すようにある言語から違う言語に置き換える作業を、その人たちは翻訳と呼んでいる。
グローバル翻訳サービス会社がそこそこの質を求めるクライントの要望には答えられない、答えられっこないことは大雑把に金の流れを見れば分かる。クライアントからグローバル翻訳サービス会社に支払われる金を仮に100としよう。この100の内半分はグローバル翻訳サービス会社が取る。残りの半分50がローカルパートナー=怪しい翻訳会社(日本の会社)に支払われる。ここで、怪しい翻訳会社はその半分を取って、残りの半分25を翻訳者に支払う。もし、日本の翻訳者がクライアントから直接仕事を請け負えば、彼(女)の取り分は100になる。できる翻訳者が25で仕事を受けるか?50の取り分でグローバル翻訳サービス会社から仕事を請け負うローカルパートナーの翻訳会社も、25の取り分で仕事を受ける翻訳者も、怪しい翻訳会社、できない翻訳者しかいない。
当たり前の話だが、翻訳の質は翻訳管理システムにではなく、翻訳者の能力にかかっている。実務から遊離したマネージメントという外見だけの人たち。この痴れ者がどこかのビジネススクールで定型化した流行りのマネージメントシステムなどいう代物を売り物にしている怪しいヤツらに引っかかる。実は、引っかかるというのは正しくない可能性が高い。ひっかける方もひっかかる方も同じ人種で、かたちながらのマネージメントシステムの信奉者。文化というにはおおげさだが、ビジネスのありようという卑近な文化では同じものを共有している。共有している同士が共有している文化を具現化したに過ぎないかもしれない。もし、そうだとすれば、ひっかける、ひっかかったということではなく、彼らの視点でのまっとうなビジネスモデルの実現なのだろう。
実務で生きていきた人たちからみれば、彼らのビジネスのありようは、会社でも個人でもいえることだが、中身のないのに限って外見だけで中身のないのに引っかかっているようにしか見えない。引っかかるのは勝手だが、その尻拭いで実務部隊にとんでもない負荷をかけているのに気が付かない、マネージメントシステム信奉者がかたちながらのマネージメントを振り回す企業にも組織にも、まっとうな実務者は残らないだろう。実務者が枯渇したマネージメントシステムとはいったいなんなんだろう。実業をしらない学生相手なら空疎なモデルでも機能するように見えるだろうが、実ビジネスの世界で長続きはしないし、しちゃいけないし、させてはいけない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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