朝日叩き一色の意味するもの ―問題矮小化を狙う「右翼言説」の危険―
- 2014年 9月 24日
- 時代をみる
- 半澤健市右翼朝日新聞
《異様な言論空間の出現》
週刊誌は朝日新聞批判一色である。
週刊誌だけではない。全メディアといえるほどである。「従軍慰安婦」と東電原発事故「吉田調書」誤報の訂正と謝罪に対する攻撃である。産経、読売系にとどまらぬ朝日叩きは異様であり、真のテーマが矮小化されている。1930年代に似てきたと簡単には言いたくないが、あるいはそうかも知れぬと思うようになった。そこで少し切り口を変えて論じる。
10年前、20年前、30年前ならこの異様な状況はあり得なかった。
90年代には秦郁彦による吉田清治の虚報批判は出ていて私も知っていた。朝日の小さな誤報だという認識だった。朝日の内部事情は分からないが、結果をみれば彼らも事態の重要性を過小評価していたことになる。
『正論』、『産経新聞』、『諸君!』、渡部昇一、桜井よしこ、西尾幹二、「日本会議」、「日本財団」などが発する右翼的言説への熱心な読者は、少数であり、私は彼らを「軽薄な右翼」だと思っていた。日本が受容した「ポツダム体制」否定の言説は国際社会で通用しないからである。国連総会では袋叩きにあうレトリックだからである。「ポツダム体制」は、勿論、我々に気分の良いものではないのは承知の上である。
《「ナメていた」のであり、「バカにしていた」》
それがどうしてこうなったのか。
私は95年に企業生活を終わり、友人との語らいや市民講座受講を経て、2000年代前半に大学院で日本近代史を学んだ。周囲には、リベラルな学者、研究者が多く、私は学問の厳しさと楽しさを識った。彼らは、反知性的な右翼言説には批判的で、本音は「軽薄な右翼」―は私が想像していうので彼ら自身の言葉ではないが―は学問的な対象でないと考えていた。「新しい教科書をつくる会」の教科書も、始めは採用率も低く問題にならなかった。要するに日本のインテリは、学者もメディアも、産経的・桜井よしこ的右翼を「ナメていた」のであり、「バカにしていた」のである。右翼言説が拡がるにつれて、学者たちも反論を言い出したが、相手が専門家でないことにこだわり、仲間内での反発に終わっている。「タコツボ意識」の弊害でもあろう。
私が金融マンをやめてから20年経つ。 ゛
この間に右翼言説はどのように影響力を増大したのか。90年にバブル崩壊があり、以後25年間、日本経済は成長をとめている。成長が止まっただけではない。市場原理万歳の政策を実行した結果、就業者の4割は非正規労働者となり、貧困率は高まり、貧富の格差は拡大した。トリクルダウンは教科書の紙の上にしか存在しないのである。地方の疲弊は言うに及ばない。国の借金はGDPの2倍を超えている。
その間に、新興国は、日本に追いつき追い越している。四半世紀の間、この国を覆っているのは閉塞感である。「出口なし」の閉塞感である。以前にも書いたが、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない」国になったのである。(村上龍『希望の国のエクソダス』の主人公の言葉)
《全国津々浦々の現実である》
昔の企業仲間との酒席で、「日本を悪くしたのは朝日と日教組」、「究極の抑止力は核兵器の保有」、「尖閣列島に上陸せよ」などの発言に反対する人間は極めて少ない。ネガティブで、物騒で、非人間的な発言ばかりが踊るのである。つまり「週刊誌は朝日新聞批判一色である」という冒頭の一句は、全国津々浦々の庶民大衆に浸透した現実である。
安倍政権の支持率が下がらない。閉塞感を、「偏狭なナショナリズム」と「虚妄のアベノミクス」で乗り切ろうというのである。それを翼賛するメディア。朝日叩きはその一幕に過ぎない。それを支える「ワラにもすがろう」とする愚かな人々が溢れている。その起源は、60年代の高度成長路線の発足に遡るのではないか。私はこのごろそう考えるようになった。さればどうすればよいのか。今回は問題提起で終わる。ない知恵を絞って次回に続きを書きます。(2014.9.22)
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