青山森人の東チモールだより 第277号(2014年9月23日)
- 2014年 9月 24日
- 評論・紹介・意見
- チモール青山森人
<警戒を怠るなかれ、“やつ”は戻ってくる>
冷え込みが“厳しい”いい季節
9月は、東チモールでは乾季の真っ只中です。夜明けの冷え込みときたら雨季のことを思えば信じられないくらい“厳しい”(ちょっと大袈裟か?)ものになります。その冷え込みは“寒い”と感じるほどではありますが、冷静に温度を測ると25℃前後です。日本としては低温といえる気温ではまったくありませんが、東チモールの首都デリ(ディリ、Dili)ではこれはかなりの低温といえます。ともかくじめじめしないおかげでぐっすり眠れるのは、体力を奪われず、ありがたいことです。
“寒い”(テトゥン語でmalirin【マリリン】)と感じさせる要因は、なんといっても湿度の低さです。20日(土)朝6時半、わたしの湿度計は35%を指しました。雨季では70%前後が常態化する湿度は体力を奪い、マラリアやデング熱との闘いに明け暮れます。水気が薄れる環境をつくる乾季は必然的に蚊の生息に少しは悪く影響し、人間にとって少しは良いほうに影響しているのだと思いたいものです。
デング熱はいまや日本でも広まっていますが、東チモールに暮らす人々にはデング熱は特別な病気ではありません。身体に赤い斑点が出るほどの症状を体験した者からいわせてもらうと、身体がだるくなったかなと思ったらこれはデング熱かもしれないと警戒し、ともかく無理をせずきれいな水を飲んできれいな部屋で安静にすることが一番です。ちょっと身体がだるいくらいで怠けられるか!と頑張ればデング熱の餌食になってしまう、頑張らずにいかに怠けるか―これが東チモールでデング熱にかからないコツだとわたしは悟っています(ただし医学的根拠はありませんので、あしからず)。
それにしても日本でのデング熱騒ぎの仕方にわたしは違和感を覚えます。例えばデング熱が子どもたちの命をしばしば奪うここ東チモールと日本のあいだで人や物資の往来があるかぎり、東京の公園でいくら蚊を殺傷する薬を散布しても、その行為の恩恵を受ける範囲にいる人には一時的に効果があるかもしれませんが本質的には何も変わらないことは明白です。地球全体を見渡す視野をもたずに自分たちのことだけを考えてもどうにもなりますまい。
内閣改造も辞任も、その気配なし
日本で渡航経験のない人が70年ぶりにデング熱にかかったと報道されたとき、多くの人が地球規模の気候変動のことを思い浮かべたことでしょう。気候変動といえば、9月23日、国連の潘基文事務総長が主催する「国連気候変動サミット」が120カ国の政府首脳が参加し行われます。東チモールからもシャナナ=グズマン首相が出席します。はて、8月2~3日に開かれたCNRT(東チモール再建国民会議)の党大会でシャナナ党首は首相の辞任についてはその意向を保ちつつ、目の前の課題として内閣改造に着手することになったのにまだ内閣改造はしていません。9月ももうそろそろ終わるこのときにニューヨークに出張する暇はあるのでしょうか。
首相の辞任はもちろん、内閣の改造の気配もありません。まるで駄々っ子のようにボクちゃん辞めるといっては周りから辞めないでくださいといわれてなかなか辞めず、内閣改造をすると決まってもそれもせず……東チモールのこうした曖昧で宙ブラリンの政局は、国民・市民の見えないところで政治家が政治ゲームに明け暮れているようにも思えますが、緊張感のなさを強く感じます。これは、野党であるフレテリンが与党に丸め込まれしっかりとした批判勢力となっていないから生じている現象であると考えられます。別な言い方をすれば国民はなめられているといってもよいと思います。
大きな国際行事であるCPLP(ポルトガル語諸国共同体)首脳会議も、今年10月で任期満了となるインドネシアのユドヨノ大統領による三度目の東チモール訪問もそれぞれ終わり、東チモールは内政に集中すべきときです。自ら口に出した首相辞任と、党大会で決めた内閣改造をシャナナ首相がいかに実行するか、注視しなければなりません。
メディア法は違憲と判断、しかし…
7月14日、大統領によって控訴裁判所(日本の最高裁に相当)におくられた「メディア法」は合憲性が諮られた結果、8月、メディアの“義務”やジャーナリストに課せられる罰金などの3項目が違憲であると判断されました(控訴裁判所の文書日付は8月11日)。
やれやれ、これで報道と表現の自由を著しく規制する悪法「メディア法」は廃案となったと思いきや、そうではありません。この法案は国会へ戻され、修正を施されて再び制定を目指して大統領府へ戻ってくる見通しなのです。したがって、「メディア法」反対の先頭に立つ、『テンポ=セマナル』紙の主宰であり、ジャーナリスト機関・TLPU「東チモール=プレス=ユニオン」の会長でもあるジョゼ=ベロ君は警戒を解くわけにはいかず、むしろ本質がなんら変わらない修正案が提出され公布されてしてしまう公算が大だとして、より一層の危機感を抱いているのです。
ジョゼ君は海外から「メディア法」反対の陳情書が世界から250通ほど集まったといいます。1通の陳情書には複数の署名があるので、反対署名数となるとその数倍はいくはずです。わたしも自分の署名を含め二人の名前入りの陳情書を大統領・首相そして国会議長宛に送りました。『チモールポスト』(2014年9月19日)によると、海外からのこうした陳情・要請にたいして国会内のこの問題を取り扱う作業部会はなんら影響されないと涼しげな態度を装い、むしろ外圧には屈しないというニュアンスさえ含ませています。しかし海外からの陳情書のなかでも、東チモールを間近からそしてインドネシア占領時代から報道している隣国オーストラリア国内の各テレビ局・新聞などの報道機関とその関係者の署名がずらりと連なる陳情書は、東チモール政府には少なからず動揺を与えているにちがいありません。実際、ジョゼ=ベロ君には、海外から陳情書を集めるのは止めろという圧力が内閣府からかかっているといいます。政府は海外からこのような注目を集めれば東チモールが阻害されると考えているのだとジョゼ君はいいます。阻害しているのはいったいどちらでしょうか。
自由のためにかつて最高指導者として闘ったシャナナ首相は、年内中にほんとうに辞任つもりするとして、そしてこの「メディア法」の公布を本気で目指しているのだとすれば、この悪法を自らの餞(はなむけ)にしようとしているのでしょうか……?
写真1
『チモールポスト』(2014年9月19日)の見出し、「世界中の245人のジャーナリストがメディア法に反対」。よく読むとこの「245」とは陳情書の数を意味している。
世代交代の様相が見えてくる
オーストラリアの新聞『ジ・オーストラリアン』(The Australian, 2014年7月4日)に国旗を背にしながら口をマスクで封じて報道・言論の自由を規制する政府の法案に抗議するジョゼ=ベロ君の勇ましい写真が大きく載りました。そしてその横にはジョゼ=ラモス=オルタ前大統領・シャナナ首相そしてアジオ=ペレイラ内閣官房長官の写真が小さく重なって載りました。
小さく載ったこの三人をこの新聞記事では、「言論の自由に口輪をはめようと試みる」政府の人間として表していますが、西アフリカはギニア=ビサウの「国連ギニア=ビサウ平和構築統合事務所」(UNIOGBIS)の国連事務総長特別代行の任を終えて帰国しているラモス=オルタ前大統領は、9月22日、東チモール国立大学で「建国におけるメディアの役割」と題する講演をし、アジアではまずフィリピン、その次がインドネシア、そして東チモールが報道の自由が他のアジア諸国と比べ良好で力強い国だとし、その地位をしっかり守るため国会にたいし「メディア法」を大統領に送る前によくよく検討するように願う、と語りました(『インデペンデンテ』紙、2014年9月23日)。
それはともかく、『ジ・オーストラリアン』のこの写真の対比は、依然として自由のために抵抗するジョゼ=ベロ君の世代と、権威の座に着いた世代を好対照に描いています。ジョゼ君は、この写真の大型版を額つきでオーストラリア人から贈られ、自宅の居間に飾っています。
写真2
『ジ・オーストラリアン』紙(The Australian, 2014年7月4日)にドでかく載ったジョゼ君の抗議する勇姿はこの国の世代交代を象徴しているようにわたしには思える。ベコラのジョゼ=ベロ宅の居間に飾られている写真。2014年9月23日。ⒸAoyama Morito
国家運営を担うシャナナ首相の世代が自らの政策を邪魔されずに推進していくために報道・言論の自由を規制しようとし、50代の大統領がその法案に待ったをかけ控訴裁判所におくり、40代のジョゼ=ベロ君が法案撤廃を求める……解放運動を闘った人々の「メディア法」をめぐるそれぞれの動きを(やや単純化しながらも)観察すると東チモール人の世代交代の様相が見えてくるような気がします。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5001:140924〕
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