専門能力不問
- 2014年 10月 1日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
Performance review(人事考課)の時期になった。コーポレートの人事から評価しなければならない部下を持つマネージャに招集がかかった。評価するにあたっての注意事項やらなんやらの説明会だ。去年と同じように聞いてもしょうがない民僚の説明を聞かされるのかと思うと気が重い。同じ説明を毎年しなきゃならない、聞かなきゃならない理由はないはずだ。
今年はただ聞き流すだけに決めている。去年の説明会では、よせばいいのについ聞いてしまった。「部下を評価せよと言うが、会社組織として新入営業社員に製品トレーニングもなければ、日本語の製品カタログも資料も皆無で、Intranetの使い方の説明もなければ、経費精算の仕方もなにもなし、あるのは売上ノルマ(今風にコミットメントと呼び名が違うが)だけ。間違った見積を出してしまうなどの営業事故が起きる可能性すらある。それを上司に問い質しても、やるしかないんですよ、やるんですよという返事しかない。」、説明会がいい機会だと、人事のマネージャに言ってしまった。「状況を素直にみれば、マネージャには部下を評価する権利などなく、評価する権利があるのは部下の方で、マネージャが評価されなければならないとしか思えないが。。。」
世界全体の組織のなかでは下っ端の一民僚にすぎない日本の人事のマネージャに話したところで、なにかの改善が期待できるわけでもなし。言ってもしょうがない。よくて苦言か、とりようによっては愚痴にしかならない。何もないと思っていたら、翌日にはインドに居るインド人の上司から電話がかかってきて、一体何を言ったのか、発言に注意するよう叱責された。彼も一民僚、部下の言動で足を引っ張られるのはゴメンだぐらいにしか思っていない。いつものことだが、民僚だけに慎重さだけはしっかりしていて、この類のことはメールしてこない。記録に残らない電話でのやりとりになる。
やるしかないんですよといった上司もその上のインドに居る上司も実務能力はゼロ、部下にやれというだけの能力の人だった。そこには、自慢話が高じて、確か『xxxにノーと言った男』とかいう新書版の駄本に書いてある通りの状況-最先端が転倒して前近代的になってしまった労働環境に留まらず組織全体を奇形化した否定されなければならない文化があった。
今年の説明会で、人事のマネージャが開口一番とんでもないこと-フツーの世界ではあたりまえのこと-を言った。五つある評価項目の一つが今年から変わりました。何がなくなって、その一つが入ったのか忘れてしまったが、その一つとはexpertiseだ。Expertise、日本語で言えば(職務的)専門知識や専門的能力になる。
ここで、新顔の-転職される以前もそこそこ名の知れた企業でかなりの立場にいらした風の物腰の-年配の方が驚いた様子で聞いた。ここでは、expertiseが要求されることがなかったのか?各人のexpertiseによってなされたことに対する人事考課じゃないのか?そもそも、それなしでどうやって事業を遂行してきたんだ?
Expertiseなんてもの微塵も持ち合わせていないし、その意味を理解するexpertiseを持ち合わせていない人事のマネージャ、何が問題にされているのか分からずに事務的に「金融に大きく振れてしまったコングロマリット全体を本来あるべきビジネスに適したかたちにもどすために米国本社で決定された。」ことだと説明した。
当然の話だが、問い質した方は問い質していることの意味が分かっている。(聞くことが大きな問題を指摘しまうことになる重大さまでは気がつかないだろうが) 答えた方は問い質されたことの意味など意識の外、自らは高級事務員の一民僚として重責?を果たしていると信じている。そこでは、人事のマネージャに限らず、どこにでもある一部の例外を除けば、上から下まで職務的専門知識も能力も問われることなく適切?に、それを補って余りある評価基準よって評価され昇進してきたことになる。残念ながら補って余りある評価基準なるものが果たして存在するのか、存在したとしてそれは一体何なのか分からない。分かったところで何の意味があるとも思えないものでしかないだろう。ないと言い切ってしまってもいいのだが、何なのか知りもしないで結論を出したのではそのコングロマリットで生息しているマネージメントと同じになってしまう。
古今東西、世の常で「規則は必ず規則をつくる奴らのためにつくられる。」経営トップからその側近、取り巻き連中が自らの評価をし易い、はっきり言えば自分の、自分たちの評価がよくなるように評価項目を決めてきたんじゃないかと問われて、納得できる回答があるとも思えない。expertiseは別の項目の中で評価されてきたという言い訳みたいのはありかもしれないが、まさか自分たちは専門的な知識や能力に頼らずに、あるいは重要視することなくコングロマリットを経営してきましたなんて言えないだろう。
突然、部下の専門的知識や能力を適切に評価しろと言われても、する方にその素養も基礎もない。評価する側のexpertiseに欠けるマネージャや部下を解任、降格、解雇でもするのか?まともに実行しようとすれば、組織全体に渡る、命をかけた途方もなく時間のかかる大手術になる。
穿った見方だが、expertiseを改めて人事考課に入れたのは、世界の経営者に大きな影響をおよぼし、経営手法を模倣する企業までいるといわれている巨大コングロマリットの金融市場に向けた一流のプロパガンダの一環—リーマン・ショックで露呈したリスクの大きな金融業から本来のエンジニアリング会社に回帰するという—に過ぎにない。上から下までExpertiseのないマネージャー(数万人はいる)しかいないところでは少ないとも数世代かかる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5005:141001〕
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