テント日誌10月17日…裁判傍聴記
- 2014年 10月 18日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1133日 商業用原発停止394日
裁判を傍聴して
裁判の傍聴に駆け付けたのは130人前後でいつもより少なめだったが、弁論の内容は濃いものだった。
①一ノ瀬弁護士より、書類の確認
②大口弁護士より、以下2点についての反論
●業務妨害による賠償金の請求について
(反論材料を経産省提出の資料の敷地図を使い、図面上のテント立地場所がポケットパークと記載されていることを指摘し、経産省の業務を妨害していないと反論)
●テントの使用目的が途中で変更になったとの経産省の主張
(証拠書類は提出できないが、テント設置当初から現在までその使用目的は反原発、脱原発であると反論)
③河合弁護士より、
福一原発事故の深刻さを近藤メモで説明し、避難した人々、現地に残る人々の心の問題、経済的問題を引き起こした責任は経産省にあると主張しました。その上で、テントの行動は、その喉元で反省を促す為の行動であり、亡国の省、経産省に対する救国の行動であると主張しました。
その後、テント側からの発言が認められ2人からの発言がありました。
まず正清氏から、未だに事故の原因を明らかにしていないことを指摘し、そういった国の対応に国民が如何に不満を持っているかを福島県内の首長選で現役がこぞって落選していると説明し、更に全会一致で決議した2020年を目処とした政策も今では関係無いような様子、これは許せない。との意見を述べた。
そして次の淵上からは、
今現在鹿児島県内で行われている川内原発の再稼働説明会では、説明会の参加申請に住所、生年月日などの記載が必要である。また、抽選会では反対派の人々は落選してしまう。更に当日の会場では身分証明書の提示の上、指定席に座らせるという異常な事が行われているとの報告があり、これに対しておかしいとの憤りを表明していました。経産省側からの反論はなく、次回の日程が12月3日に決まりました。
今現在行われている川内原発の説明会での異常な状況を法廷で報告することは、今の原発行政の異常さを裁判官達に知って頂くと共に、もしかしたら心ある経産省側の人に現実に気付いてもらえる可能性があるという意味でとても有意義なことだと思いました。
今の日本を取り巻く国際状況がシナリオ通り進んでいるように思われる反面、国内では民主党に票を集めようとし始めたようにも見えます。その流れの中でのこの裁判、テントにかなり有利に動いているのが、不気味に思いました。
一回戦はあげるけど、後は貰うよ。とでも言っているのでしょうか。(A・K)
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月食の久見崎浜や赤亀
19号台風が東京を吹き抜けたのをTVで確認して、朝一の新幹線で東京へ出、経産省前テントひろばには寄れず、直接、裁判所前へ向かった。ドンキホーテ・藤原さんから、テト襲撃の報を頂き、駆けつけることができなかったことをはじめ、東京のテントの方々には、済まないことばかり。上方のくまは、愛媛・伊方、沖縄・辺野古、そして、鹿児島・川内と渡り歩いて、それぞれの場所から出るときには、後ろ髪をひかれるどころか、一種の敵前逃亡のような責罪感に苛まれている。第7回の口頭弁論にも出られなかったのだった。
それでも、傍聴券には外れず、前の席で見聞きすることができた。「ウヨク・暴漢」の襲撃事件を川内から帰ったばかりの淵上さんが聞いて、法廷での舌鋒は鋭さを増していた。スラップ訴訟に追い込む検察側の原告団に、「ウヨク・暴漢」の襲撃行為に匹敵する怒りを顕にした被告側の人々。福島の人々のことなど対岸の火事のようにみなし、東京テント襲撃事件など関知せずと素知らぬ顔で断罪する席に居並ぶ者全員に、河合弁護士、正清、淵上さんたちは、政府・経産省の責任を追及する調子を鋭角的に廷内に響かせ続け、被告の両人を原告と言い間違え、検察側のひとびとを被告とした河合弁護士の誤りがまったく正当な主張をしているという反転が起きた法廷だった。
まったく、裁判官、検察・検事のぜい肉まみれの超俗物たちが腐臭を放つ法廷のなかで、被告席に座らされているのが、イエス・キリストというルオーの絵画そのもの。
鹿児島・川内 久見崎浜の一種の浜辺の荒野・砂浜の坂を、脱原発テント設営のため、なんども繰り返し、基礎ブロックを抱えて上がっては降りていた70代の淵上・江田さんを真近に見ていたくまにとって、東京法廷の淵上さんは、その情念の怒りの燃焼力においては、60年代と変わらないのだろうと考えさせられた。あの樺美智子が、天空から見ているのだという、ありえないがそうだというリアリティを国会前の道を歩きながら感じさせてくれた。
明治以降、朝鮮半島系の方々をはじめとして、どれほどのひとびとが、不条理な殺害を権力によって、こうむってきたか、この日の夜、テントのTさんは、あるギャラリーに私を誘い、本邦未発表のRegis Tremblay監督の翻訳以前の映画「The ghosts of Jeju」を観させてくれた。「川内で、イギリスのグリーナムの女性たちのように、原発基地追い出しテントをやりませんか」としきりに誘うくまが連れてこられたのが、「Beyond 原点にかえって」という田中康予個展だった。展示品をみんなで片付けて、くまのせわになったカレー屋さんで、みんなと感想会が盛り上がろうという頃、大阪行高速バスに乗らねばならず席を外す。
時空をこえて、Ghosts(精神・思想に生きるひとびと) と交感する驚くべき一日となった。テントが襲撃されたという危機感は、裁判傍聴に、200人になろうという人々を集めた。テントへ寄ってみたものは、バナーや展示・掲載品が、はぎとられた幽霊のようなテントだった。それでも、テントは見舞い客で鈴鳴りだった。
「いま、詩美に淫することは、ナチスに荷担することと同じ」といったのは、アドルノだった。が、ひさしぶりに俳句を書いたので許されたし
月食の久見崎浜や 赤き亀 (M・S)
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裁判を傍聴して考えたこと
10月14日東京地裁前に再び沢山の傍聴者が集まった。台風19号が関東地方通過して晴天に恵まれたのが幸いした。傍聴者の抽選の後いつもの通り103号法廷に入った。定刻に開廷。この日は弁護士の立論を中心に展開された。
河合弁護士、大口弁護士の明快な論理に3人の裁判官はうなずきながら聞き入っていた。一方経済産業省の側はメモを取りながら静かに聞くだけで反論もしない。(最近のルールかな)
大口弁護士はテントの建った場所はスモールパークで公共的空地であると主張した。また河合弁護士は福島原発事故の重大性について国の政策立案の責任がある経済産業省の過去と現在を厳しく追及した。
「被告」正清氏と渕上氏からの熱のこもった主張が行われこの日の法廷は終わった。
1945年8月広島、長崎の被ばく体験と1954年3月ビキニ環礁の米水爆実験による漁船の被ばく3度におよび国民の間に原水爆禁止運動に火をつけた。そのことに恐れた日本の保守政治家とアメリカ政府は原子力の平和利用という夢を与え反原水禁運動を封じ込めた。資源のない我が国には原発は必要だと政官経学の原子力ムラが大手を振ってまかりとうる。福島第一原発の事故を経た今日でも原発再稼働の策謀を虎視眈々と狙っている。
加えてこれまで再処理で蓄積されたプルトニウムは50トン原爆5000発分に相当と言われている。憲法破壊の集団的自衛権的をめざす保守政権にプルトニウムを永久に使わせてはいけないと強く思う。 (J・H)
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◆ 函館市大間原発建設差し止め裁判
・10月29日(水)午後3時
・第2回口頭弁論 東京地裁103号法廷
・裁判報告集会:午後4時 参議院議員会館講堂
★弁護団報告 ★大間原発訴訟の会代表 竹田とし子さんのお話 他
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