イスラム国とは何か
- 2014年 10月 20日
- 評論・紹介・意見
動乱の続く中東だが、今春、建国を宣言したイスラム過激派組織「イスラム国」(正式にはイラクとシャームのイスラム国=ISIS、またはISIL)が注目を浴びている。イラクの反政府ゲリラ組織のひとつ、有名なアル・カイダから分派したグループだが、強力な戦闘力と捕虜を斬首するなどの「残虐さ」、そして何より、アルカイダと違って、支配地域に行政支配を行い、ミニ国家体制を作り上げようという「建国志向」が他のイスラム原理主義武装勢力とは大きく異なる。シリア。イラクのかなりの地域を実効支配し、かってのイスラム系の世界帝国「サラセン帝国再興」を唱えるこのグループは、これまでのイスラム原理主義武装勢力とは異なるところが多く、米国、西欧諸国も対応に苦慮している。彼らによって中東秩序は大きく変わるのか。謎の多いこの「イスラム国」の素顔を探ってみた。
「イスラム国」は、イラク戦争とその後の米軍のイラク占領期間中に、激しい抵抗運動を続けたアルカイダ系のアブ・ムサブ・アル・ザカルウィ(ヨルダン人)が2000年に作った「タウヒードとジハード集団」が前身。ザカルウィは2004年に米軍の空爆で死亡したが、その後継指導者が、さらに自分の後継者として2007年に、バクダディ(現在のイスラム国の指導者)を指名した、とされている。2004年にはアルカイダと合流し、「イラクの聖戦アルカイーダ組織」と改名した。
しかし、バクダディは、アルカイダ全体の現在のリーダーのアイマン・ザワヒリ(エジプト人)や同組織の主流派のイラク民兵と対立して、アルカイダとは決別、2006年に「ムジャヒディーン諮問評議会」を結成、「サラフィー・ジハード主義」を唱えている。同年10月には「イラク・イスラム国」に名称を変更、圧倒的な武力で支配地域を拡大、2013年にはシリアの反アサド武装統一戦線「ヌスラ戦線」に加わってシリアでの武装闘争にも注力、「イラクとシャームのイスラム国(ISIS)」に改称した。同年8月にはシリアのアレッポ付近のシリア軍の空軍基地を制圧した。
今年2月にはアルカイダが「ISISとは無関係」と正式にアルカイダからのISISの離脱を表明した。しかし、ISISの戦闘力は、シリアの反アサド勢力から、武器と人員を貰ってさらに強化され、イラク各都市を攻撃、モスール、タルアファル、バアクーバなとの都市を制圧、6月にはイラク軍のバラッド統合基地を攻撃し、アジール油田地帯を制圧した。現時点でシリア東部とイラク西部を支配下に置き、人口的には600万人を「統治」している。
こうしたイスラム国の「破竹の進撃」に米国も手をこまねいていられなくなり、イラクとシリアの「イスラム国」の拠点に空爆を開始、イスラム国は「報復」として、この間に捕虜にした米英人を斬首して、空爆中止を訴えている。
9月15日の毎日新聞は、バクダディは、イラク戦争勃発前は礼拝所(モスク)の説教師だった、と伝えている。しかし、9・11以降のアフガン戦争では米軍と戦っていたアルカイダ系の「ムジャヒディーン」(イスラム聖戦士)だった、という説もある。ネットには、「アラ・バクル・アル・バクダディは43歳で、本名はイブラヒム・アッワード・イブラヒム・アル・アルバドリ・アル・サマライ。2005年に米軍がイラクで拘束して、キャンプ・ブッカに収容していたが、2009年に釈放してしまった」という記事もある。アフガニスタンのタリバンとその指導者オマルやアルカイダのリーダー、オサマ・ビン・ラディンのように謎に包まれた指導者だ。
シリアは第一次世界大戦後の1920年3月にシリア・アラブ王国として独立、ファイサル1世が初代国王になった。しかし7月にはフランスと戦争になり、勝利したフランスが1946年まで委任統治領として支配した。同年、シリア共和国として再度、独立、58年にはエジプトと提携してアラブ連合共和国になった。63年にはクーデタでバース党政権が誕生、70年には、現大統領の父のハフィズ・アサドが実権を握り、71年に大統領に就任した。以来、2000年にアサドが死亡するまで30年間、独裁を続けた。2000年に息子で歯科医だったバシャール・アサドが大統領になったが、2011年から「アラブの春」の影響もあって内戦が激化し、シリア国民評議会(SNC)、民主的改革のための調整委員会(NCC)といった政治組織が「自由シリア軍」(FSA)という組織を作って、アサド政権側と内戦を闘っている。しかし、ロシやイランのテコ入れによってアサド政権側が巻き返し、「イスラム国」などは、主な戦場を隣国のイラクに移し、シーア派政権のマリキ首相らの打倒を目指している。現在は、反アサド政権派は「ヌスラ戦線」という統一戦線を作って反アサド闘争を戦っているが、イスラム国は最近になってここからも離脱している。
イラクは、8世紀にイスラム系の最初の世界帝国だったサラセン帝国アバース朝がバクダッドを首都にし、17世紀からはオスマン・トルコ帝国の支配下にあったが、第一次世界大戦の渦中の1916年にイギリスとフランスが、この地域を両国が支配するという「サイクスピコ条約」を結び、中東地域の呑みこみに乗り出した。1921年にはハシム家のフサインが国王になり、1932年にイラク王国を建国、クーデタが続き、1979年にバース党のサダム・フセインが大統領になった。
バース党は正式には「アラブ社会主義復興党」と言い、1947年に初の党大会を開いている。宗教と政治の分離を目指す「世俗主義」で、エジプトやヨルダン、レバノンも含む「大アラブ国」の樹立を目指し、ハフィズ・アサドもフセインもバース党出身。ただし、ハフィズ・アサドはスンニ派ではなく、アラウィ派という宗派に属していた。もともとはシリア空軍の高級将校(少将)でパイロット。第3次中東戦争では、戦闘機に乗り、イスラエル空軍と戦った。こういうつながりから、アサド(父)は湾岸戦争でも、最後までサダム・フセインを擁護した。
シリアは中東有数の軍事大国、イラクは世界3位の産油国で、どちらも中東情勢に大きな影響を与える大国だ。
サダム・フセインは、1978年のイランのホメイニ革命がイラク、クゥェート、アラブ首長国連合、サウジアラビアへ波及するのをを阻止するためにイラン・イラク戦争を始めた、と言っていた。しかし、クウェートやサウジアラビアはこの戦争でのイラクの戦費を補填してくれなかった。これが、イラクのクウェート侵攻の大きな動機であり、大変な金満国家であるクウェートのサババ王朝を打倒しようという軍事行動になった。しかし、中東の既存秩序の変更を認めないとする米英がこれを阻止、2001年の9・11のショックもあって、ブッシュ・ジュニアは湾岸戦争敗北後も存続していたフセイン政権が「大量破壊兵器を隠し持っている」と”難癖”をつけイラク戦争を初めてフセインを打倒した。
そして、スンニ派だったフセインの後にシーア派政権を作らせたが、マリキ前首相の無能もあって、フセイン政権の残存勢力をうまく政権に取り込めず、彼らとクルド人、アルカイダなどがマリキ政権打倒の武装闘争を開始し、その中でも「イスラム国」が急激に勢力と支配地域を拡大して、マリキ政権の実効支配地域を「バグダッドとその周辺のみ」に封じ込めた。直近の報道では、米軍などの空爆にも関わらず、イスラム国は、バグダッドから1時間のところまで進撃しているという。迎撃するはずのイラク軍は影も形もなく、戦線を離脱して逃亡してしまっているらしい。人口400万人のバグダッドとその周辺で、戦闘、空爆が行われれば、先日のパレスチナ・ガザ地区へのイスラエル軍の攻撃のように「流血の惨事」が懸念される。また、マリキ政権下で、自治領を認められたクルド人とも散発的ながら交戦しており、クルド人女性兵士を斬首したりしている。
サウジアラビアはスンニ派では最も戒律の厳しい「ワッハーブ派」で徹底した女性差別を今も続けているが、サウド王家の独裁と王族の腐敗などに対しては、反発も強い。米国が他のアラブ諸国に対してのように、民主化を押し付けないのは、世界最大の産油国であるサウジに対する米国の「庇護」のせい。しかし、現国王のアブドゥラは91歳、他の有力王族も80歳を超えた者ばかりで、支配体制の硬直化が極限まで進んでいる。人口900万人のうち、300万人はバングラデシュ、パキスタン、イエメンなどからの出稼ぎ労働者で、サウジ国軍も主力はこうした海外傭兵だ。
アルカイダの創始者のオサマ・ビン・ラディンもサウジ王族の出身で、その思想はワッハーブ派の「過激思想」と見られている。アルカイダの目立った特徴は「強い反米主義」で、9・11の前にも、米海軍の駆逐艦を爆破するなど、反米軍事行動を続けていた。アフガン内戦で、アルカイダが旧ソ連軍と戦闘を重ねたのに、米国もサウジもオサマらの「行動」を全く評価しなかったことが、オサマの「反米主義」につながった、と言われている。その結果、一時はアフガニスタンを支配したタリバンの庇護のもとに同国に居住し、9・11のあと、「オサマを庇うな」と要請した米国を、タリバンの指導者のオマルが拒否したため、アフガン戦争となった。
毎日新聞はバクダディの下には、イラク担当の元イラク軍将校とシリア担当のやはり元イラク軍将校がおり、さらに10人ほどのメンバーからなる「評議会」を置いて、集団指導体制を敷いている、と伝えている。占領地・支配地には「知事」を任命して、税金徴収も含めた統治を行っているらしい。ただし、アルカイダの現在のトップ、ザワヒリは「残虐過ぎる」とイスラム国に何度か警告したらしいが、イスラム国は受け入れず、また、米国との闘争を重視するアルカイダと、シリア。イラクでの国家建設を優先させいてるイスラム国との対立も顕在化する一方だった。このため、現在はアルカイダとは関係が絶たれているようだ。
また、他のゲリラ組織と違って、油田、ダムなどの国家建設・運営にとって重要なインフラ組織を計画的に攻撃し、手に行れており、これはイスラム国に加入した旧フセイン政権の幹部が立案・指導しているようだ。米国のヘーゲル国防長官も「見たこともない組織だ」とイスラム国の特異さ、新国家建設への強い意欲に驚きを見せている。
サラセン帝国(アバース朝)最盛期のアフリカの地中海沿岸からイランまでの領土を回復とすることを目指していると言われ、現在の兵力は3万。この地域の反政府ゲリラの中では、卓越した戦闘力を持っている。ムハンマドの後継血縁者が、コーランの教えだけを「憲法」として国家を統治する、というカリフ主義を掲げており、カリフ主義を国是としていたサラセン帝国(アバース朝)のような国つくりを目指しているようだ。「民主主義など西洋から流れて来たゴミだ」と激しい反西欧文明主義も唱えている。
インターネットも巧みに使い、「聖戦」兵士(ムジャヒディーン)への参加を呼びかけており、欧米に移住したものの、イスラム差別に会い失望した中東出身の若者が、兵士に志願しているようだ。
また、ロシアでチェチェン内戦を戦ったイスラム戦士も参加している。彼らは、ウクライナ内戦でも、ウクライナ政府軍側の兵士として親ロシア勢力と戦っており、世界規模で、反政府勢力の活動を展開しているようだ。
ただし、米国以外にも、シーア派系のイラクの現政権崩壊を怖れるイラン(シーア派政権)も反「イスラム国」を表明、イスラム国は今のところ、国際的には全く孤立している。そういう点ではホメイニ革命後、一時、完全に孤立したイランに似ている。
イスラム国の占領地運営は、旧フセイン政権の軍人、官僚たちが行っていると見られ、これらの人々を取り込めないまま、反フセイン勢力だけの国家再建に乗り出したイラク戦争後の米国のイラク統治政策の失敗の結果と思われるが、イスラム国内部で、国家建設を重視する旧フセイン派の部隊と、戦闘による支配地域拡大を重視するアルカイダ系戦闘部隊の内部対立が強まっている、との見方もある。
イスラム国が注目されているのは、これまでのイスラム原理主義武装勢力の中では、アフガンのタリバンと同様に、戦闘だけでなく、カリフ制による国家建設を打ち出している点。サラセン帝国の再興といった完全な復古主義、反近代・反西欧主義だが、イスラム諸国で、トルコを除いては、西欧民主主義が定着した国はなく、「単なるアナクロ」と言えないところがある。イラクの現政権は、バクダッドなど人口400万人ほどの地域しか支配が及んでおらず、イラクを統治する政権とは言えなくなっているが、米軍の介入で情勢が変わるのかどうか。また、スンニ派のイスラム国に対しては、反政府武装組織の間でも反発も強いようで、支配地域の拡大がすんなり行くのかどうか。
武器、資金についても謎に包まれており、米国、西欧諸国がシリアのアサド政権打倒のために、シリアの反政府ゲリラに供給してきた武器を流用していると見られているが、詳細は不明。接収したイラクの油田の石油を売却して資金を調達している、との見方もある。米情報機関幹部は「石油の売却などで、イスラム国は1日300万ドルの収入を得ている」と述べており、海外からの資金援助なしで、強い戦闘力を保持出来ているようだ。
オバマはごく最近になって「マリキ政権下のイラク軍があんなに弱体だとは思わなかった。イスラム軍についても十分、マークしていなかった」と米国の見通しの甘さを反省する発言をしている。イラク軍は、イスラム国と全く交戦しないで、武器も放り出して敗走するケースも相次いでいるらしく、空爆に踏み切ったのは、「このままではバグダッドも陥落しかねない」という軍事情勢の劣勢が最大の理由のようだ。レバノン、シリアとのつながりが深いフランスも空爆を始め、イギリス議会も英軍のシリア、イラクでの空爆を承認した。かって「イラン・イラク戦争」を戦ったイランも、イラクのシーア派政権が倒れるのはうまくないため、反イスラム国で動き出そうとしているようだ。
シリアは米国が「テロリスト国家」に指名するほど、西側諸国やイスラエルとの関係は悪く、ロシアだけがアサド政権擁護の立場を貫いている。しかし、スンニ派過激勢力の「イスラム国」がシリアを制圧することは、米欧だけでなく、イラン、イスラエルなどにとっても「最悪の事態」で、パレスチナ情勢、ハマスの活性化にもつながりかねないため、水面下でこの両国とアサド政権側の接触も始まっているようだ。
ロシアは、ウクライナ問題もあって、イラク情勢については発言をしていない。ただし、オバマの「イスラム国空爆」には反対を表明している。シリアについては、ロシアは、旧ソ連時代からのつながりもあって、一貫してアサド政権を支援している。中国も態度を表明していない。ウイグル族問題もあって、イスラム系の民族運動についてはナーバスになっているようだ。一方、イスラム国はウイグル族支援の声明を出している。パレスチナ解放機構(PL0)は一時、シリア国内に拠点を設けようとしたが、アサド(父)はこれを嫌って、徹底弾圧をし、PLOはチュニジアのチュニスに逃げた。従ってPLO、パレスチナ民衆は、シリアには敵意を抱いている。
このように、「イスラム国」の登場は、シリア、イラクの現政権とこれを打倒しようとしていた反政府勢力の双方に予想外の亀裂を入れており、中東情勢の混迷は一段とエスカレートしそうだ。既にイランは、米国と水面下で話合いを始めている。「テロリスト国家」に指定し、ホメイニ革命以降、厳しく対立してきた米国とイランとの関係が抜本的に変わりそうだ。それだけ、イスラム国がこの地域をどうしようとしているのか、が各国には分らないためだ。
ちょうどアフガニスタンでタリバンが突如、出現し、アフガン全域を支配しかけた時によく似ている構図だ。タリバンの指導者オマル師も写真すらなく、米国は全くパイプがなかった。
また、イスラム国の出現は、ブッシュ・ジュニアが進めたイラク戦争が大失敗だったことを改めて浮き彫りにしている。イスラム国は、イスラム原理主義のムジャヒディーンよりフセイン政権時代の軍部経験者が「主力」であることが徐々に明らかになってきており、米国が軍事力を背景に作ったマリキ政権が、フセイン政権の残党の軍人、官僚を取り込めず、イラクを統治する能力がなかったことが鮮明になってきている。空爆でイスラム国の軍事的伸長を遅らせ、その間にもう一度、イラクをどうするかの青写真を描き直さなければならなくなっているのだ。
また、建国宣言で、「民主主義など西洋から流れて来たゴミだ」と近代西欧文明を嘲笑している「イスラム国」の存在は、米国やEU主要国には容認できない存在だ。
しかし、空爆にも関わらず、イスラム国はバグダッドだけでなくトルコ国境にも迫っており、クルド族の自治領をも脅かしつつある。英国とフランスが勝手に線引きした国境で分断されているこの地域の「境界」「国家」の抜本的な再配置にまで事態が進むのか、予断を許さない事態となっている。
イスラム国が言う「カリフ制国家」については、イスラム研究家の中田考氏が、ネットに詳細な解説をアップしているのでご参考に。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5024:141020〕
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