原爆文学資料をユネスコ「世界記憶遺産」に -広島の市民団体が登録を目指す-
- 2014年 10月 27日
- 評論・紹介・意見
- 原爆岩垂 弘
来年は広島にとって「被爆70年」。それを機に峠三吉、栗原貞子ら被爆作家の原爆文学資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」 に登録しようという活動が、広島市の市民団体の手で進められている。2016年の申請、2017年の登録を目指すが、もし登録が認められれば、峠三吉らの原爆文学は人類共有遺産としての末永く世界中の人々によって鑑賞され続けることになる。
よく知られているユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など、人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。これに対し、同じユネスコの「世界記憶遺産」は世界的に貴重な直筆文書、書籍、絵画、映画などの記録を保護するためにユネスコが1992年に創設した事業で、2年ごとに各国政府、自治体、非政府組織(NGO)の推薦を受け、審査、登録する。
2013年までに109カ国の301件が登録されている。これには、『アンネの日記』や『ゲーテの直筆作品』も含まれている。日本からは3件。「御堂関日記」「慶長遣欧使節関係資料」「炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の炭鉱記録画」だ。とくに山本作兵衛の炭鉱画の登録(2011年)は日本で注目を集め、世界記憶遺産への関心を呼び起こした。
今年に入り、2015年の登録を目指して4件が名乗りをあげたが、候補は一カ国につき2件までという制限があるため、結局、国宝の「東寺百合文書」と、シベリア抑留等の記録「舞鶴への生還」が国内候補となった。
原爆文学の原資料の世界記憶遺産登録を目指しているのは「広島文学資料保存の会」(代表、土屋時子さん)である。「広島に文学館を! 広島の心を21世紀に伝えよう!」という今堀誠二(元広島大教授)、大原三八雄(元広島女子短大教授)、北西允(元広島大教授)、栗原貞子(詩人)、好村冨士彦(ドイツ文学者)、四国五郎(画家)、深川宗俊(歌人)の各氏ら11人の呼びかけで1987年にこの会がつくられた。その背景には「被爆作家の作品は、広島における原爆被害の実態を伝えるまたとない貴重な資料だから、これらを次の世代に引き継いでゆかねばならない。散失を防ぐためには公立の文学館を設立するのが望ましい」という思いがあった。
以来、文学館設立を求める署名運動、関連資料の収集、文学資料展などをおこなってきた。この間、広島市に対し「文学館をつくって」と何度も交渉してきたが、そのたびに「予算がない」との回答で、いまだに実現していない。「他県の人からも、広島には世界に知られた被爆作家の貴重な資料群がありながら、文学館もないのは不思議だ、と言われるんですよ」と、土屋さん。
土屋さんによれば、広島市にはこれからも期待できない。別な切り口で原爆文学の原資料の保存と活用を図るための方法として考えついたのが世界記憶遺産への登録申請だったという。事務局長の池田正彦さんも「被爆からまもなく70年。被爆作家の遺族や保存の会のメンバーが高齢化し、原資料の保存に不安が生じてきたので、世界記憶遺産への登録申請を思いついた。登録されれば行政も保護に乗り出すのでは」と語る。
保存する会が登録申請を考えているのは、いまのところ、3点である。
まず、「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」の書き出しで知られる詩人・峠三吉の『原爆詩集』の直筆最終草稿。次は詩人・栗原貞子の代表作『うましめんかな』の直筆ノート。さらに、作家・原民喜の『原爆被災時のノート』(『夏の花』執筆のもとになった被爆時の手帳)。峠の直筆最終草稿は同会が、栗原の直筆ノートは広島女学院大が、原の手帳は親族がそれぞれ保管している。
このほか、今後、作家・大田洋子の『屍の街』の原稿(東京の日本近代文学館所蔵)も申請に加えるかどうか検討する。長崎の被爆作家の作品も加えられるかどうか検討したいという。
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