「日米安保」への執着を捨てるとき -沖縄県知事選結果が示唆すること-
- 2010年 11月 30日
- 時代をみる
- 安原和雄沖縄県知事選
11月28日に行われた沖縄県知事選挙の結果は「沖縄米軍基地撤去」が民意であることを示した。選挙当日から米韓両軍が朝鮮半島西側の黄海で4日間の日程で合同軍事演習をはじめるなど緊迫感の漂う中での選挙であったが、沖縄の民意は揺るがなっかたことを評価したい。今後の課題はこの民意をどう生かすかである。
本土のメディアには日米同盟深化論を是認する論調が多い。しかし米軍基地の存在を前提とする同盟深化論は、基地撤去を求める沖縄の民意とは両立しない。民主党政権は、この矛盾をどう打開していくのか、まさしく難問に直面することとなった。難問とはいえ、答えは単純である。それは「暴力装置」としての「日米安保」への執着を捨てることである。これこそが沖縄県知事選結果が示唆していることと受け止めたい。(2010年11月30日掲載)
▽ 新聞社説は沖縄知事選結果をどう論じたか ― 日米安保との関連で
沖縄の琉球新報と本土の大手紙の社説が今回の沖縄県知事選結果をどう論評したかを紹介する。まず社説(いずれも11月29日付)の見出しは次の通り。
*琉球新報=仲井真氏再選 「県外移設」公約の実現を 問われる対政府交渉力
*朝日新聞=沖縄知事選 重い問いにどう答えるか
*毎日新聞=沖縄県知事選 首相は普天間現実策を
*読売新聞=沖縄知事再選 普天間移設の前進を追求せよ
*日本経済新聞=宙に浮く普天間問題をどう打開するか
以下では日米安保、同盟との関連に焦点を絞って社説がどう指摘しているかを紹介する。
琉球新報=日米安保の根幹を揺るがす「普天間問題」が争点になった。沖縄問題から逃げる与野党両最大政党に日米安保の要を担う米軍基地問題の解決やその先の日米関係の再構築など望むべくもない。
朝日新聞=中国軍の海洋活動の活発化や北朝鮮の韓国領砲撃で、日本自身の安全保障のためだけでなく、東アジアの平和と安定を支える礎として、日米同盟の重要性が改めて強く意識されている。
一基地の問題が日米同盟全体を揺るがす。そうした事態をなんとかして避ける高度な政治的力量が菅政権には求められる。
毎日新聞=日米両政府は、普天間問題が日米同盟全体に悪影響を及ぼすような事態を避けるよう努力すべきだ。来春の日米安保共同声明に向けて進められる同盟深化の作業の障害にしてはならない。
読売新聞=菅首相が、本当に日米合意を実現し、同盟を深化させる気があるのか、疑わしい。
日本経済新聞=中国軍の増強が加速し、朝鮮半島も緊迫しているときに、これ以上、同盟を弱めるわけにはいかない。
以上、沖縄地元の琉球新報は日米安保に批判的である。それは地元紙としては当然のことといえる。これと対照的なのが本土の大手紙で、表現に多少の違いはあっても、日米安保容認論であり、日米同盟の深化を「よいしょ」と推進する立場となっている。
▽ 日米同盟深化是認論の危険な落とし穴
大手紙の日米同盟深化を是認する姿勢は今に始まったことではない。ただ最近の背景事情としては朝日社説の「中国軍の海洋活動の活発化や北朝鮮の韓国領砲撃」、日経社説の「中国軍の増強が加速し、朝鮮半島も緊迫しているとき」が同盟深化是認論に拍車をかけていることがうかがえる。
しかしこの同盟深化論は素直には是認できない。もちろん南北朝鮮の砲撃戦を容認できるわけではない。それは当然のこととして、事態をもっと冷静に観察する必要がある。砲撃戦(11月23日)の経過を報道した朝日新聞記事(11月25日付)を一つの材料として挙げたい。それによると、次のような経過をたどっている。
・北朝鮮が韓国軍に演習中止を求める通知文を送付
・韓国軍、海上射撃訓練を実施
・北朝鮮軍、1度目の砲撃。約60発が陸地に着弾
・韓国軍、Ⅰ度目の対応射撃。50発
以上の経過から推測すれば、韓国軍が先に海上射撃訓練によって挑発行動に出たという見方も成り立つ。
もう一つ、沖縄県知事選当日の28日朝から米韓両軍が朝鮮半島西側の黄海で4日間の日程で合同軍事演習をはじめた。米海軍原子力空母ジョージ・ワシントンなども参加している。この軍事演習の狙いは何か。在沖縄米軍基地を撤去して、米海兵隊の抑止力を喪失すると、中国、北朝鮮の脅威に対抗できるのか、という不安感をかき立てる意図も見え隠れしている。その手の演出と読みとるのも決して見当違いではあるまい。そういう意味で知事選への牽制という含みもあった。
黄海での軍事演習を当然のことと観るとしたら、それは疑問である。立場を変えて、仮に中国・北朝鮮両軍の合同軍事演習がハワイ沖で行われるとしたら、米国は「どうぞ、どうぞ」という冷静な姿勢でいられるだろうか。軍事演習それ自体がつねに挑発的行為といえるのではないか。
軍事同盟には「常に敵をつくる」という性癖がある。これは軍事同盟のイロハともいえる。なぜなら敵がいなければ、軍事同盟それ自体の存在理由がなくなるからである。「同盟は安心・安定装置」などという気楽な認識がメディアの間にも少なくない。しかしこの安易な同盟深化是認論は絶えずあの手この手で相手を挑発しながら、軍事力行使へと進む危険な落とし穴につながっていることを見逃してはならない。
▽ 「隷属状態に置かれる日本」への批判
さてここで一人のジャーナリストの日米関係に関する批判論を紹介する。オランダ生まれのカレル・ヴァン・ウオルフレン氏(注)で、最新作の『アメリカとともに沈みゆく自由世界』(訳・井上実、徳間書店、2010年10月刊)による。以下は「隷属状態に置かれる日本」の見出しで論評した部分の要約である。
(注)1941年生まれ。東アジア特派員として日本事情にも詳しく、日本外国特派員協会会長も務める。著作に『日本/権力構造の謎』(早川書房)、『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社)、『怒れ!日本の中産階級』(毎日新聞社)、『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』(徳間書店)など。同氏は11月中旬、日本記者クラブで最新作の著書に関連して記者会見を行った。
アメリカ海兵隊の沖縄・普天間基地問題をめぐる日米のいさかいで明らかになったように、アメリカ政府は日本をまともな同盟国、もしくは友人として扱ってこなかった。普通ならアメリカ政府は、関係が悪化した他国に対してでさえ、日本の安全保障問題や、東アジア地域における重要な戦略的問題について、アメリカと正面切って議論したいという鳩山前首相の求めを叱りつけるという、オバマ政権が見せたような無礼な扱いはしない。
(中略)ここで大いなる疑問が生じる。なぜ日本はかくも従属的な立場に甘んじなければならないのか? なぜこれほど譲歩しなければならないのか? なぜ巨大なアメリカ軍隊を、日本の納税者の金で支えなければならないのか? 自国政府の長が明らかに侮辱された機に乗じて、なぜ日本の新聞は声を上げようとしないのか?
こうした点についてもし海外の国際政治専門家たちに尋ねたら、彼らはまず北朝鮮を、それから中国の台頭を理由に挙げるだろう。だが実はもっと分かりにくく、しかも厄介で、強力な理由がある。
日本は国際情勢のなかで、実効を生む参加国としてみずからが自国を運営できるなどとは考えていなかったらしい。なぜならそのような国家となるには強力な中央政府が必要になるのであって、1930年代に帝国陸軍が国を乗っ取り、それが敗戦に至った時期を除いて、日本にはそのような政治権力が存在したことはなかった。敗戦という結末を迎えた日本では、誰も同じような事態が繰り返されることを望まなかった。これこそが第二次世界大戦後の日本政治の実態であった。すなわち通常の意味での政府というものを日本は有していない。つまり政治的な責任所在の中枢としての政府が日本には存在しない。要するに重大な政策決定を行うことはできないのである。
誰もが当然のように日米両国は同盟関係にあると口にする。だがそれは実情を正確に表現しているとは言い難い。そもそも同盟関係とは、独立した国家が自発的に加わる関係である。ところが日米同盟がはじまった時点で、日本にはそれ以外に選択の余地はなかった。第二次世界大戦後の占領期に、アメリカ政府は日本を一般的には認められないような存在にしてしまった。その結果、日本は実質的にはアメリカの保護国(注:保護を名分とする条約に基づいて内政や外交に干渉や制限を受ける、国際上の半主権国)に近いものになった。以来、アメリカは一貫して日本を保護国扱いにしてきた。
ただ保護国まがいの立場には大いに利点があった。日本が貿易大国へと驚異的成長を遂げることができたのは、アメリカの戦略、外交という傘に守られてきたためだ。
(中略)そのため強大な軍事大国によって自国が守られるという、日米関係の構図をおかしいとは思わない。歴史的に見て、戦後の日米関係がどんなに奇妙なものであったかを、大半の日本人は認識していない。世界史上、いまだかつて日米同盟のような関係は一度として存在したことがない。世界最大の経済大国と第二位の大国が成人に達してなおも息子を自宅に住まわせる親のようにかかわり合っている。
(中略)日本は冷戦時代の他のいかなる同盟国にも増してアメリカに従属的であった。昭和天皇がアメリカ大使館にマッカーサー最高司令官を訪れた瞬間から、日本の国際関係を担当した役人たちは、以後、日本がアメリカの路線から外れぬよう腐心した。
(中略)保護国扱いされることに、日本の公式な政権が当惑することがない限り、アメリカ政府は今回のアメリカ海兵隊の移転問題で示したような軽蔑的な態度で日本に応えてやることができた。
▽ <安原の感想> ― 日米安保体制からの転換を
「隷属状態に置かれる日本」で指摘されていることは、日本人の一人として決して喜べるような話ではないが、残念ながら事実として認めないわけにはゆかない。著者は「なぜ?」という多くの疑問を発している。ひとつ一つがもっともだが、例えば「なぜ日本はかくも従属的な立場に甘んじなければならないのか?」である。その答えとして以下を挙げている。
その一つは、「そもそも同盟関係とは、独立した国家が自発的に加わる関係である。ところが日米同盟がはじまった時点で、日本にはそれ以外に選択の余地はなかった」と。つまり自主的に参加したのではなく、米国の世界戦略の一環として強制された同盟関係、ということだろう。そして「保護国」同然の国となり、それが今なお続いている、と。
もう一つは、「歴史的に見て、戦後の日米関係がどんなに奇妙なものであったかを、大半の日本人は認識していない」と。いいかえれば、日本は「保護国」扱いを受けながら、それを奇妙とは感じないのだから、日本人としての自立精神の崩落というほかないだろう。なぜそういう事態に甘んじてきたのか。
その理由として挙げられているのが「保護国まがいの立場には大いに利点があった。日本が貿易大国へと驚異的成長を遂げることができたのは、アメリカの戦略、外交という傘に守られてきたため」である。いいかえれば日米安保体制下で、そのお陰で日本は貿易大国、経済大国に成り上がった、という感覚である。特に経済界にこの種の思考は根強い。そういえば、「日本はエコノミック・アニマル」と海外から揶揄(やゆ)されたことを思い出す。
突きつけられている問題は、いつまでこういう非正常な日米関係に甘んじているのか、である。私(安原)は今回の沖縄県知事選を「新時代・日本の夜明け」となるかどうかという視点から見守ってきた。沖縄の米軍基地完全撤去への大きな一歩を踏み出し、日米安保体制見直しへと進む可能性への期待でもあった。期待通りとはならなかったが、選挙結果は「基地撤去」が沖縄の民意であることを示したことは心強い。
私はこれまで繰り返し日米安保への批判論を述べてきた。日米安保は、地球規模で軍事力を行使し、破壊、殺戮(さつりく)を繰り返す「暴力装置」であるという認識に立っているからである。それに日本が加担することは、平和憲法9条(戦争放棄、非武装、交戦権否認)本来の理念に反するだけではなく、軍事同盟からの離脱という最近の世界の新潮流からみて時代錯誤となりつつあるからである。
改めて問いかけたい。もはや日米安保への執着を捨てて、見直しを進めること、具体的には日米安保体制から米軍事基地のない日米平和友好体制(日米安保条約を破棄し、日米平和友好条約締結)への転換を展望すること ― である。
<参考資料> 過去1年間にブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載された「日米安保」関連の記事は以下の通り。かっこ内は掲載日
・「もうやめよう!日米安保」に参加して 安保条約の自然成立から50年目の日(2010年6月月20日)
・日米同盟から日米友好へ大転換を 軍事基地に執着する時代ではない(09年11月16日)
・日米同盟深化と友愛は両立しない 初の鳩山・オバマ会談が残した重荷(09年9月25日)
・8.30総選挙で問うべき真の争点 平和と暮らしを壊す「日米同盟」(09年7月23日)
初出:安原和雄のブログ「仏教経済塾」(10年11月30日掲載)より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1106:101130〕
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