これではスポーツから暴力はなくならない
- 2014年 11月 20日
- 評論・紹介・意見
- スポーツ暴力阿部治平
――八ヶ岳山麓から(125)――
サッカー・Jリーグ2部(J2)の松本山雅FCは1日、アビバス福岡と福岡市レベルファイブスタジアムで対戦し、2-1で勝った。松本山雅は勝点を77に伸ばし、今季3試合を残して3位ジュビロ磐田と4位ギラヴァンツ北九州との勝ち点差を12に広げ、来季J1へ自動昇格となる今季の2位を確定した(信濃毎日新聞2,014・11・2)。
試合終了の笛が鳴った瞬間、地鳴りのような歓声が響いた。1日夜、Jリーグ2部(J2)第39節・アビスパ福岡(ママ)―松本山雅FC戦のパブリックビューイング(PV)が行われた松本市中央体育館。サポーターは飛び上がって万歳をしたり、すぐには立ち上がれずタオルに顔を埋めて感激に浸ったり。最後は胸を張って歌う応援歌「勝利の街」が、高らかにこだました(長野日報ネット、2014・11・2)。1日晩の長野県の各地方テレビ局も、選手とファンの大喜び、大騒ぎを伝えた。
だがテレビのニュースでは、山雅とアビバス福岡との試合中、山雅のチームリーダー(主将?)がメンバーの顔を「平手打ち」する場面があった。これを伝えたアナウンサーははっきりと「(気合を入れる?)平手打ち」といった。ニュースはその後「平手打ち」された選手がゴールを決めて、「めでたしめでたし」といった調子に変った。「平手打ち」すなわちビンタは少年少女を含む観衆の面前で行われた。
翌11月2日の信濃毎日新聞は、1面全部など紙面を大きくさいて「松本山雅特集」をやった。だがビンタについては何も書いていない。テレビも二度とビンタの場面を出さなかった。「平手打ち」すなわちビンタは、メディアにとっても松本山雅にとっても昇格を祝うファンにとっても、「まずい」と判断したためか。
私は近年日本にいなかったため、プロサッカーがこれだけさかんになり、ファンも多いのには意外な感じがしている。いわばサッカーには暗い人間である。だが学校スポーツにおける暴力を見続けた人間として、「日本のスポーツ界は暴力を克服することができるか」については関心を持っている。
去年は大阪桜宮高校のバスケット部キャプテン自殺事件、愛知豊川工業高校などの運動部における「体罰」、女子柔道日本代表監督による暴力事件、同じく女子柔道日本代表候補15人連名による指導者の暴力告発があった。極めつきはオリンピック柔道金メダル選手による教え子強姦事件であった。
このときは連日マスメディアは、スポーツに暴力はいらない、と連日報道と解説を繰返した。スポーツ界も放っておけなくなって、JOC・日本障害者スポーツ協会・日体協・高体連・中体連(中学校体育連盟)などの共同宣言「スポーツ界における暴力行為根絶宣言」を発表した。文部科学大臣もこれに関する声明を発表した。
サッカーのJリーグでも各クラブの不正行為や、選手・観客の不当不正の行為に対しては、制裁処置をとることを規定しているだろう。もし路上で松本山雅の選手が私をぶん殴ったらそれは刑事事件であって、選手はもとよりチームも制裁を受けるはずである。ならば誰が考えても、試合中の「平手打ち」はスキャンダル(不祥事)と受止めなければおかしい。クラブ内部の問題では済まない。
テレビや新聞などのメディアがこの暴力場面を捕えながら批判しないのは、暴力追放はアマチュアの世界だけのことであって、プロスポーツでは暴力は許されると考えているためであろうか。そうだとしたら、それはどのような法理論によるものか、これは長野県だけに限定される問題ではない。
今年はスポーツ界の暴力事件で目立ったのは、高校野球くらいのものである。他の分野で本当に暴力が無くなったのなら、日本のスポーツ界にとってめでたいことである。だが私はそうではなくて、スポーツ界とメディアの癒着が存在するために報道しないのではないかと疑う。
このありさまでは、去年は本気で暴力追放のキャンペーンを張ったのではなく「たてまえ」で暴力批判をやり、「本音」は依然昔のままとしか思えない。いったい何のためのスポーツか。忘れないでほしい。スポーツにおける暴力のために毎年将来あるアスリートがつぶされたり死んだりしていることを。
(2014・11・10)
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