世界は視ている平和主義を捨てた日本を ―BBC世界世論調査、好感度5位に転落―
- 2014年 12月 12日
- 時代をみる
- 鈴木顕介
第2次安倍政権の2年間を問うとした衆院選挙は、日本の国の在り方を根底から覆した外交、安全保障政策についての論議が深まらないまま投票日を迎えようとしている。各紙世論調査では、安倍首相が争点に掲げたアベノミックスの成果を積極的に評価はしないが、消極的選択をすることで、自民党大勝の予測が舞っている。
憲法改正の発議が可能な320に自民党議席が近づけば近づくほど、戦後民主主義と、平和主義は存亡の危機を迎える。この選挙に次善の選択、関心がない棄権で臨んでは、悔いを千載に残すことになる。
ここでは、戦後日本が営々として育んできた国是と言える平和主義を、いとも簡単に一片の閣議決定で捨て去った日本を、国際世論がどう捉えているかをBBC世界世論調査から見てみたい。
BBCワールドサービスの企画で、国際調査機関グローバルスキャンと米メリーランド大学国際政治意識計画が調査に当たっている。2005年から始められ、日本は2006年から対象国となった。「世界に良い影響を与えているか。悪い影響を与えているか」と質問して、対象国の印象を問う好感度調査である。
日本は2012年まで、09年(57%4位),10年(53%2位),11年(57%2位)を除く毎年1位を占めてきた。1位の好感度率は54~58%で、僅差で1位を譲った上記3年も好感度率は高かった。
大きな変化は2013年調査で起こった。前年調査で好感度58%の単独トップを記録したのが、一挙に51%に下がり、それまで最悪でも21%に留まっていた悪い影響を与えているとの評価が27%にはね上った。この傾向は2013年12月17日から2014年4月28日に24か国24,542人を対象者に行われた2014年調査でも続いた。好感度率は調査を始めて以来、初めて50%を切る49%に。悪い影響の評価がこれも初めて30%に達し、好感度ランキングも5位に転落した。
この両年に好感度率59、60%と1位となったドイツとは明暗を分けた。1位となったドイツ人の日本に対する見方も両年とも否定的評価が46%に上り、肯定的評価は共に28%に下がった。2010年の肯定的評価50%、否定的評価34%と比べ様変わりである。
2013年の調査期間は2012年12月10日~2013年4月9日で、第2次安倍内閣発足期に当たる。安倍首相は第2次政権発足直後から従軍慰安婦問題で河野談話見直しを公言するなど、一連の戦後体制を否定する言動を続けた。このため日米間に波紋を招いた時期と一致する。さらにこの2年間は、安倍首相が平和主義に代わる「積極的平和主義」を外交路線に掲げ、ひたすら大国化への道を突っ走った時期である。中国とは尖閣問題、韓国とは慰安婦問題で首脳会談も実現しない冷却関係が続いた。50か国目の首脳会談でようやく実現した習近平国家主席との会談で胸を張ったが、笑顔なき握手の映像はメディアに載って世界をめぐった。2013年、14年のBBC世界世論調査の結果は当然の帰結である。
BBC世界世論調査で見た2006年~2012年の日本に対する高い好感度は、世界に定着した日本の平和主義への評価である。この評価が一朝一夕で作られたものではないことを銘記しなければならない。私の体験を例にフィリピンと日本との間の平和主義の醸成を見てみたい。
1959年7月フィリピン・マニラに近いラグナ湖畔でボーイスカウトの世界大会ワールド・ジャンボリーが開かれた。フィリピンはボースカウト運動が盛んな国、アジアで初めての世界大会の開催国に新興国は沸いた。日本からも戦争を知らない500人のスカウトが招かれた。当時フィリピンの対日感情は最悪。太平洋戦争末期、レイテ島上陸作戦に始まる、米軍の対日反攻作戦で全土が戦場となった。首都マニラも熾烈な日米それにフィリピンゲリラを加えた攻防戦の舞台となり多く非戦闘員の市民が犠牲となった。
私はこの日本スカウト派遣団の同行取材を命じられた。フィリピンのスカウトが、そして市民が若い日本人をどう迎えるかが同行取材の目的だった。ビザ発給には条件が付いた。フィリピン滞在中、日の丸を胸に付けたボーイスカウトの制服を着ること。私服で歩いた場合、生命の安全は保障しない―世界大会に招いた客人には危害を加えないというのが理由だった。
ラグーナ湖畔の草地の会場にテントを張り終えると、フィリピンスカウト野営地に出かけた。大会には1万2千人のフィリピンスカウトが参加していた。最初のキャンプで来意を告げた私にこんな問いかけが浴びせられた。
「お前は幾つだ。戦争のときはどこにいた」。間違ってもお前の手は同朋の血で血塗られたことはないだろなという尋問である。形こそ多少の違いはあっても、同じ尋問がどのキャンプを訪れても繰り返された。
平和憲法は人類共通の理想、生き延びた東京大空襲に戦場を見た者にとって戦争は絶対悪だった。被害の深さの違いはあっても、戦争と平和を語り合えると思っていた私にとってこの尋問は衝撃であった。「お前は加害者の一味だ」グサッと胸に刺さる言葉だった。日本人の一人として日本の歩んだ道を究め、その責任の自覚に立って初めて平和が語れる。この経験はそれからのジャーナリズム活動の原点となった。
それからほぼ半世紀、2006年のBBC世界世論調査には、フィリピン人の対日好感度は79%と記されている。時の流れという忘却もあろうが、われわれが歩んできた日本のそのときどきの振舞の集積がこの結果を生んだのである。
平和主義を捨てることは簡単だが、築くには長い時間の積み重ねがいることを忘れてはならない。そしていったん捨てた平和主義を取り戻すことはさらに難しい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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