12/20の現代史研究会用レジュメ(「近代日本の国家権力と天皇制」)
- 2014年 12月 17日
- スタディルーム
- 菅孝行
〇予防線1―復古反動論は取らない 内田弘さんへの応答
・安倍内閣の戦前回帰志向 天皇元首化 個人の尊厳の蹂躙 家族の優位 教育の国家統制強化
・多くの論者の、30年代に酷似するという認識
・選挙結果はいよいよその危惧を現実のものにしたかに見える
・しかし、万一、元首化が強行されても、天皇が宣戦布告する天皇制はやってこない
・それでも警戒すべき事態とは:21世紀の危機における幻想の共同性の圧力
・天皇制は民主主義的権力の暴力を正統化する
〇予防線2―天皇制よりまし論は取らない 岩田昌征さんへの応答
・ナチスよりまし&スターリン体制よりまし&毛沢東個人崇拝よりまし
・近代国家の幻想の共同性の質は、相互に異なる 量的比較論は無意味である
・我々は日本国家の権力と対峙している
比較論は必要だが、ナチスやスターリンを顧みて他を言うのは不毛だ
・日本に生きる以上、問うべきは日本国家の幻想の共同性である
Ⅰ.天皇制の最高形態をどこに見出すか
・明治憲法と戦後憲法の差異 天皇主権→国民主権 軍・統帥権→× 現人神→神格否定
・象徴天皇制=不親政の伝統(石井良助)への回帰
・1条:地位は国民の意思に基づく(民主制)
・多くの憲法学者が君主制の終わりと認識した 田畑忍 宮沢俊義 鵜飼信成など
・少数派:尾高朝雄 ノモス主権論 主権の所在は変わっていない
・50~60年代:裕仁は政治のはるか後景に退いた
・昭仁夫妻の成婚儀式59 アイドルのように須臾監視を飾るようになった
・1960年代の騒乱は収拾された
・敗北の原因は何か―原因は機動隊の楯ではない 弾圧法でもない
・敗北の意味:秩序という<価値>の内面化 国家権威の内面化
多数派の勝利が民主主義による<民主>の破壊をもたらし、抵抗を孤立させる
その根源に戦後憲法に定義された天皇(制)がある
・天皇制が外からではなく、内面の制度として内から抵抗と革命を拘束するようになった
これこそが天皇制(日本近代国家の幻想の共同性)の最高形態にほかならない
天皇は法と暴力による支配ではなく、法と暴力の制度を民主主義的に産出する契機となった
それは単なる<内なる天皇制>でもない
・天皇制は「前進」している
・天皇制批判は自文化批判の一環である
Ⅱ.明治天皇制形成過程の概観 近代化への精神動員装置
・太政官政府の成立 東京遷都
・維新権力は国民国家の制度整備を急いだ 版籍奉還→廃藩置県
軍制 学制 通貨制度 税制 度量衡制度 言語政策
伊勢信仰の昂揚+廃仏毀釈→権力は天皇の神権(復古主義的祭政一致国家)確立を目論む
→失敗 神祇官 設置→断念
・内戦の時代 士族反乱→西南戦争 自由民権運動(在地民権+氏族民権)
頂点は秩父事件 権力の制覇=加波山放棄の鎮圧
・81「14年政変」 プロシャ型立憲君主制への道 89伊藤博文の作品としての欽定憲法制定
・天皇制イデオロギー(国家神道)の確立 起源は水戸学(神にして皇祖神の末裔) 教派神道を切断
・天孫信仰以外の所要素
戦死者追悼施設の国家護持(祀る国家 子安宣邦)
招魂社(維新で死んだ勲功を讃える)
靖国神社(内戦時の官軍の死者追悼)
日清・日露の戦死者の顕彰 祀る国家の確立
教育勅語(儒教の普遍道徳)軍人勅諭(天孫信仰とは無縁)
家族国家観(高山樗牛 井上哲次郎)
国体論(穂積八束 上杉慎吉 筧克彦) 反対派 北一輝 美濃部達吉
修身教科書の整備 明治末期(色川大吉 明治の文化参照)
※治安警察法から大逆事件へ
Ⅲ.総力戦と天皇
・天皇睦仁の性格と位置の転換 維新権力の傀儡→元勲の政治の権威の象徴 自立した君主
・冬の時代の終焉 後進帝国主義国家の相対的安定期 摂政裕仁の時代
・植民地再分割の時代 核心は資源エネルギー問題
・25年 普選+治安維持法制定
・転換点としての28年 統帥権干犯問題 裕仁の田中義一叱責
・31年 関東軍の謀略による満州事変→軍部の時代 32満州国建国 33ナチス政権奪取
・36年 二二六事件 裕仁の命令による鎮圧
・37年 日中戦争本格化 裕仁の参謀総長督励
・裕仁は米英に融和的であった 軍部の暴走
・38年 国家総動員法制定
・41年 挑発に乗って真珠湾攻撃へ 宣戦布告
・42年 戦況一転 敗色濃厚
Ⅳ.政治家裕仁 敗戦処理 延命した天皇制 「永続敗戦」(白井聡)
・占領政策の策定(加藤哲郎「象徴天皇制の起源」)
・近衛上奏文の思想 主戦派は全て共産主義者!革命より敗戦を
(共同研究『転向』中藤田・鶴見)(河原宏『日本人の戦争』)
・裕仁の抵抗 戦果を挙げてから・・・対露和平交渉 その間に沖縄・原爆
・裕仁・鈴木貫太郎・東郷茂徳による「終戦」
・マッカーサー・裕仁会談11回:敗戦処理のフレームワークはここで決まった
(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』)
天皇制存置 抜本的性格転換 神格否定(神の末裔許容)神道指令による天皇信仰と神社神道の存置
手つかずの皇室神道 皇室祭祀
沖縄譲渡 対米一体化 (戦後国体の性格の確定)
吉田たちの外交は事後的なフォロー(尻拭い)
ダレス・天皇会談 部分講和路線推進
Ⅴ.象徴天皇制の宗教的構造 (cf.島薗進『国家神道と日本人』)
・神道指令の正体 権力と教会の結合を切断した以外「天皇教」は延命させた(『敗北を抱きしめて』)
・半分だけ天から降りてきた
・不問にされた皇室崇敬
・信教の自由は神社本庁+靖国を延命させた
・皇室祭祀は継続した
・大祭の斎主は天皇 招待される政治家 省庁高官 裁判官
・神道による権威は生きている 神道儀式に呼ばれるものこそ国の柱 私事であるとして報道されない
・アメリカと神道信仰は親和的である
Ⅵ.権力なき親米天皇と右翼の変質
・蓑田胸喜・筧克彦らの鬼畜米英思想はどこへ消えたか
・親米右翼の起源 赤尾敏
・右翼思想・神道教団の領袖は裕仁の敗戦処理を知っている
・裕仁こそが対米従属の構造を設計者である→右翼天皇主義は反米に慣れない
・例外としての三島由紀夫の裕仁天皇像 ―恋闕が裏切られてゆく過程で形成された
―二二六決起将校処刑
―特攻隊 見殺しにして延命
―マッカーサーとの会談での「売国」(松本健一の変節 『畏るべき昭和天皇』)
天皇主義者三島の「余生」としての戦後(『道成寺』『朱雀家の滅亡』)
『サド侯爵夫人』はこう読め
―諌死としての11・25 (若松孝二の晩年の作品)
Ⅶ.天皇制との闘争
・権力なき権威とどう闘うのか
・敵は内部 内部は制度として外にある
・従って、それは文化の問題であると同時に政治の問題である
・国家の宗教的権威の転倒は、民衆力量(足腰・イデオロギー的な解放度)と政治的な強度の二つの合力
なくしては実現しない。カンパニアでは倒せない。
・宗教者が信教の自由の問題として運動を起こした 反靖国 反建国記念日 1965~+中谷訴訟
・世俗で天皇制プロパーの問題を提起したのは「反天連」である。
・反天連の運動はカンパニアだった。
・直接打倒できなくても、このカンパニアには一回的な不可欠性があった
左翼への啓蒙 戦後天皇制の性格の把握 それは戦前とは違う 権力ではない しかし、そこから
解放されなくては「革命」は不可能
・1980年代後半はイデオロギー的カンパニアの好機であった
政府が精力的に天皇を再浮上させていた
「傑出」した政治家でもあった裕仁が生きていた 象徴の位置に実体が存在した
裕仁は二つの天皇制を二つながらにその頂点で生きた
ひとびとに崇敬と憎悪が渦巻いていた
裕仁の死が迫っていた 自粛との闘争は不可避であった
・89年、代替わりで様相が一変した 天皇制は政治利用の装置としての制度悪に純化された
・裕仁糾弾は闘争たりうるが、昭仁糾弾は闘争にならない 無意味化する
・王は王であって人格ではないといわれるが、王の機能は属人的である。
・もしこの制度が無かったら、昭仁はただの善良な人物に過ぎない。昭仁の行動が問題になるのは政治
利用によってである。
・権力を持たない象徴という制度との闘争は迂回を強いられる
地域に避難所(保育 介護 問題を抱えた乳幼児 学童 生徒 障害者 犯罪被害者 受刑者 元受刑者 などの)を作れ
職場・地域に相互扶助関係を組織せよ
→それらを抵抗の組織へと結合(横断 横行 横結)せよ
→抵抗から革命へ cf.「革命のつくり方」
・我々が方法を見出し新しくなった(解放された)分だけ天皇制から自由になる
・浮こうとどうしようと闘わなければならない闘い 反弾圧(降りかかる火の粉は払わねばならない)
教育現場(国旗国歌反対闘争) 地域戒厳令体制
第286回現代史研究会
日時:12月20日(土)1:00~5:00
場所:明治大学・研究棟第9会議室
(JR「御茶ノ水」駅から徒歩4分、リバティタワー裏)
テーマ:「近代日本の国家権力と天皇制」
講師: 菅孝行(梅光学院大学特任教授)
安丸良夫(一橋大学名誉教授)
コメンテーター:白井聡(文化学園大学教員)
参考文献:『近代日本の国家権力と天皇制』(御茶の水書房刊ブックレット800円+税)
参加費・資料代 500円
現代史研究会顧問:岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、塩川喜信、田中正司、(廣松渉、栗木安延、岩田弘)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study628:141217〕
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