キューバ外交の勝利・アメリカ外交の敗北 ー両国が国交正常化交渉開始に合意ー
- 2014年 12月 21日
- 時代をみる
- アメリカキューバ岩垂 弘
「キューバ外交の勝利・アメリカ外交の敗北」。外交関係断行中の米国とキューバが国交正常化交渉開始で合意したとのニュースに接した私の脳裏にとっさに浮かんできた文言は、そういうものだった。私にとっても衝撃的な大ニュースだったが、日本のメデイアの報道では「米国の経済界がキューバを有力な市場とみて、国交を正常化するようオバマ政権に圧力をかけた」との見方が強いが、こうした見方だけでは、この歴史的出来事の本質を真に理解できないと考える。キューバ政府の長年にわたる外交努力がこうした局面を生んだ第一の要因なのだ、という視点こそが大切である。
報道によれば、オバマ政権は来年1月、ジェイコブソン国務次官補率いる代表団をキューバの首都ハバナに派遣し、キューバ側と国交正常化交渉を始める。そして、数カ月以内にハバナに米大使館を再開させるという。対キューバ経済封鎖も緩和する構えだ。米議会で多数派の共和党は、こうしたオバマ政権の方針に反対するだろうが、もう後戻りすることはあるまい。
キューバにフィデル・カストロ氏を首相とする革命政権が成立したのは1959年である。革命政権が土地と産業を国有化するなど社会主義的政策を推進したため、米国は革命政権を敵視するようになった。当時、世界は米ソ両大国の対決時代、米国から敵視された革命政権は旧ソ連と外交関係を結び、米国資本の企業を国有化。これに対して米国は1961年にキューバとの外交関係を断絶し、亡命キューバ人らからなる反革命軍をキューバ南部のピッグス湾に侵攻させたが失敗、1962年には対キューバ全面経済封鎖に踏み切った。
米国による対キューバ全面経済封鎖は、キューバのあらゆる面に深刻な打撃を与えてきた。キューバのジャーナリスト、カルメン・R・アルフォンソ・エルナンデス氏は1997年に海風書房出版した『キューバガイド』(神代修訳)の中で「1960年代当初から(アメリカ)合衆国政府がたえずキューバにおこなってきた非人道的な封鎖は、音のない爆弾とみなされている。この経済・貿易・金融の封鎖は、30年間毎日キューバ人に悪い作用を及ぼし、その生活水準と国民経済に影響を与え続け、市場の転換、輸入コストの大幅な増加、供給の停滞、生産の流れの不安定化をもたらしている」と書いている。
今年3月、私を含むキューバ友好円卓会議有志による「キューバを見る聞く知る8日間ツアー」の一行が、ハバナでアリシア・コレデラICAP(キューバ諸国民友好協会)副総裁と会談したが、その席上、副総裁は米国による経済制裁の解除を強く訴え、その中でこう述べた。
「私たちにとってコメは必需品だが、米国から買えないため、ベトナムから買っている。到着するまでに1カ月かかり、船賃がかさむ。結局何倍ものお金を払わなくてはならない。粉ミルクも遠いニュージーランドから買わねばならない。私たちの経済活動での負担が非常に重いことを分かって欲しい」
米国による経済封鎖政策の対象が対キューバだけでなく、キューバ以外の外国にも適用されることも世界にさまざまな影響を及ぼしてきた。例えば、キューバに寄港した船舶は、その後、6カ月間、米国の港に入ることができない。このため、国際交流団体ピースボートの世界一周も毎年キューバに寄港することができず、1年おきだ。
私たち「キューバを見る聞く知る8日間ツアー」の一行は、キューバ国内の旅行代金をキューバの観光会社に送金しようとしたが、日本の大手銀行から送金を断られ、やむなく現ナマでキューバまで持参した。
キューバ政府によると、米国による経済封鎖でキューバがこれまでに被った経済的損失は約1兆1200億ドルにのぼるという。
このため、キューバ政府は「米国による経済封鎖は組織的な人権侵害」として、その解除を国際社会に訴え続けてきた。国際社会は次第にキューバの訴えを理解するようになり、国連総会は、今年10月29日、米国による対キューバ経済封鎖の解除を求める決議案を賛成188、反対2(米国、イスラエル)、棄権3(マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ)の圧倒的多数で採択した。23年連続の採択であった。
この問題に関する米国の孤立はもはや明らかだった。こうした国際社会の動向に、オバマ大統領もこれまでの対キューバ政策を「失敗だった」と認めざるをえなかったわけである。
ところで、オバマ政権による対キューバ政策転換の背景の一つには、米国のお膝元、ラテンアメリカにおいても「米国外交の失敗」があり、今度の転換はその建て直しを狙ったものではないか、というのが私の推論だ。
米国はこれまで、ラテンアメリカ諸国に対し政治的にも経済的にも圧倒的な影響力をもってきた。1962年、南北アメリカとカリブ海の国々が加盟する米州機構(OAS。当時の加盟国は21カ国、現在は35カ国)は革命キューバを除名(追放)するが、これはもちろん米国が主導したものだった。しかし、同機構の総会は2009年、キューバの除名無効(復帰)を決定した。米州機構における米国の権威と力の低下をみせつけた出来事だった。が、キューバはこれを拒否し、まだ復帰していない。
ラテンアメリカで孤立させられていたキューバが次第に孤立から脱し、そればかりか周辺の国々との結びつきを強めつつあることも、米国によるラテンアメリカへの影響力低下を感じさせる。
ラテンアメリカでは、以前は親米政権が多かった。政治的にも経済的にも米国に依存する国々が多かったということである。米国の世界政策も、これらの国々を常に米国の影響下に置いておくということが主眼の一つだった。
しかし、現在のラテンアメリカの政治地図は大きく変貌している。この地域の事情に詳しい小倉英敬・神奈川大学教授によれば、ラテンアメリカでは1999年以降、左派・中道左派政権が増加している。現在、39カ国中17カ国が左派・中道左派政権という。
2004年には、キューバ、ベネゼエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドルなど8カ国によって「米州ボリバル同盟」が結成され、政治・経済的連携を強めつつある。
これらの政権は、概して反米か、米国に距離を置いている。かつて親米だったラテンアメリカ諸国がなぜ急速に左傾したか。米国がこれらの国々に対して展開した新自由主義経済政策が、これらの国々の国民間に経済格差をもたらし、これに不満をもった人々が左派・中道左派政権を誕生させたとの見方が強い。
いずれにせよ、小倉教授によれば「キューバがこれらの左派・中道左派政権の精神的支えになっている」という。
まさに、キューバが孤立させられていた時代とは隔世の感がある。米国としてもこうした現状を認識し、ラテンアメリカ政策を転換するためにもこの地域で政治的地位と影響力を向上させつつあるキューバを無視できなくなったのではないか、と思われる。
今年7月にラテンアメリカで繰り広げられた「外交合戦」も米国にとっては気になる動きだったのではないか。
まず、プーチン・ロシア大統領がアルゼンチン、ブラジル、ニカラグア、キューバの4カ国を、次いで習近平・中国国家主席がブラジル、アルゼンチン、ベネゼエラ、キューバ4カ国を、さらに日本の安倍首相がメキシコ、コロンビア、チリ、ブラジル、トリニダード・トバコの5カ国を相次いで訪問した。
なぜ、3国の首脳がラテンアメリカに相次いで乗り込んだのか。それは、近年、国際社会で発言力を高めつつあるこの地域の国々をわが陣営に囲い込みたいという政治的思惑と、この地域の資源を獲得したいという経済的狙いがあったのではないか。プーチン大統領は、ハバナで、キューバが旧ソ連に対してもっていた負債350億ドルの約9割を帳消しにすることを表明、さらに、カリブ海での油田開発を共同でおこなうことで両国が合意した。習近平・主席はキューバに対し経済的援助を約束した。
米国も、ラテンアメリカ諸国のめざましい経済発展に注目し、この地域は将来、有望な市場になるとみている。であるから、こうした「外交合戦」を注視していたはずである。
キューバ外交はしたたかである。これから先、米国とどう渡り合うのか。極めて興味深い展開になりそうだ。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2849:141221〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。