翁長新党への期待:無党派層の声を聴く
- 2014年 12月 30日
- 評論・紹介・意見
- 沖縄河野道夫
Ⅰ
県知事選と衆議院選は、旧来の保革のカベや既成政党の枠組みを乗越え、いわば「誇りある豊かさ」の翁長枠で戦われました。しかし、衆議院選4選挙区のうち “純粋翁長枠”といえるのは仲里利信氏1人で、3人はヤマトの各党からの立候補。当選後、4人で院内会派(衆議院における交渉団体)を結成しようとしても、各党それぞれの事情からみて困難です。
3議席減の生活の党は衆参両院で4議員となり、政党要件(政党交付金の対象)に1議席足りず、党外から呼び込まなければなりません。2議席のままの社民党は両院で5人しかいないため、1人抜けると政党要件を満たせません。21議席にふえた日本共産党も「日本」を名乗るだけに、翁長勢力という‟地域政党”にむけて離党を許すことはできないでしょう。
このようにヤマトの政党の諸事情が、翁長勢力の発展の障碍となっています。しかも政党は「知事選も衆議院選もわが党がなければ勝てなかった」と思いがちですが、「主権者の意思」という憲法原則に立脚すると、沖縄特有の現象を直視せざるをえません。それは、自民党支持率11%、その他各党支持率の合計11%、支持政党なし60%というもの(2014年8月23日琉球新報)。つまり圧倒的な数を誇る無党派層の声を聴かなければならないのです。
私たち研究会は2年以上、無党派層の考えについて沖縄本島の「声なき声」を聴き取りました。支持政党なしの理由には、「誇りある豊かさ」への支持や、翁長新党への期待とリンクするものが少なくありません。以下、既成政党に関する代表的な三つの批判を紹介します。
(1)自立沖縄のビジョンがない:この指摘は、「米軍基地は経済発展の阻害要因」という翁長本人の観点から、「誇りある豊かさ」を自立沖縄のビジョンとして描くことになる―という期待に発展しています。
(2)非武・反戦の文化が感じられない:憎悪や排斥を克服して一致点を見出し「腹5~6分」で協力する習慣はようやく軌道に乗りました。あとは「ぬちどぅたから」を徹底し、つねに環境保全を優先するかどうかが問題です。
(3)県民との日常的な協働がない:具体的な問題を解決する方法を見出すため、その当事者と共同研究を進め、また行政当局と住民が直接協議する開かれた場を日常的に運営すべきだということです。
以上について翁長新党は期待に応えられるでしょうか(第20・21号で検討)。前述するように(1)(2)はすでに形が見え始めましたが、政党として(3)がとりくまれるかどうかが、とくに問題です。
Ⅱ
支持政党なしの理由について「声なき声」の一つは、「どの党も自立沖縄のビジョンがないから」です。
1973年「名護市総合計画・基本構想」を例に引き、これに負けないようなビジョンを政党はなぜ提起しないのか―と指摘する声もありました。この「旧構想」は、新全総や列島改造論を「所得の向上のみを至上目的とした資本の論理に足許をすくわれた考え方」とし、必要なのは「地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然」と「農林漁業の豊かな生産」がもつ都市への“逆・格差”を基本とした「豊かな生活を自立的に建設」すること。このため「農林漁業と地場産業の正しい発展」を中心にし、観光業・工業その他産業でそれを補う―というものです(有名な「名護市の逆格差論」)[1]。
その後の事態について、稲嶺市長は2014年5月、インタビューに答えて「列島改造論とかリゾート法ができると名護市もそれに組込まれ…流れに乗ってしまうような時代があった」「その次に来たのは…軍事基地を容認することによって、国から入ってくるお金や振興策に目が向いてしまった時期。私の前の三代の市長がそういう形で進んできた」。しかし「米軍基地に頼った街づくりではダメ」。一期目から基地再編交付金を打ち切られたが「市民はそれでもやっていけると理解した」と言います(「N27」第3号、2014年6月、p20∼21)。
しかし、観光業が全県的に躍進して一次産業と地場産業は相対的に足踏みし、名護市の実態も「旧構想」を復元できるとは考えられません。リゾート地は、その地域固有の生活・文化・産業の厚みがなければすぐに飽きられてしまうし、また県の非正規雇用者の比率が45%で全国一では、誇りをもって働けない人が多くなります。翁長新党はこの現状を分析し、県当局の作業を政策的にリードしてもらいたいと思います。
翁長知事は「基地の存在は経済発展の阻害要因」としたうえで、「誇りある豊かさ」を目標にしています。それは沖縄の誇りと自立を尊重し、生活と生産の「質」を重視する点で名護市の「旧構想」と通じる魅力があります。だからこそ、その内容は翁長勢力の責任において検討し、固めてほしいという声が出てくるのではないでしょうか。
Ⅲ
支持政党なしの二つ目の理由は、どの党からも「非武・反戦の文化を感じないから」です。これには、少なくとも二つの主張が含まれています。一つは、ユネスコ憲章(前文)にあるように、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という自覚のもと、政党間で「腹5∼6分」の合意を見出し、前向きの協力態勢を作れということ。翁長勢力の誕生が、まさにこれでした。
もう一つは、非武・反戦の根拠「ぬちどぅたから」は、あらゆる生命の尊厳への畏敬の念にほかなりません。したがって、自然生態系と生物多様性を大きく損傷して開発するのは間違い―ということになります。また日常生活を通じて、自然と人間の一体観を獲得するとりくみにもなるでしょう。
ところで、軍事抑止力に依存する世界に逆らって非武を主張するのは困難という声もあります。しかし「武力による威嚇または武力の行使」を禁じ、「国際紛争の平和的解決義務」を課したのは、1945年6月に米英ソ主導で制定された国連憲章です。しかも軍事抑止力への依存は、憲章も憲法も禁じている「武力による威嚇」の利用であり、はてしない軍拡競争の道というべきです。
支持政党なしの三つ目の理由は、どの党も「県民との日常的な協働がないから」。つまり、個別課題の解決方法について当事者と共同研究を進めたり、また行政当局と当事者との直接協議を日常的に運営したりすべき、ということになると思います。それには、政党あるいは会派として組織的なとりくみが不可欠ですが、現状では似たようなことが行われても、要請を受けた議員個人による受け身の努力であり、能動的・恒常的な活動ではありません。
生活をめぐる諸問題には、何らかの法・制度が必ず介在するため、住民が解決にむけて当局に押しかけるとき、改革すべき法・制度の矛盾や欠陥が露呈します。つまりそのときは、政党や政治家がその使命をはたすべき素材を見出す絶好のチャンスというべきでしょう。19世紀西欧のある法学者は、「労働なくして所有がないように闘争なくしては法もない」「闘争の中に汝の権利を見出すべし」と書いています[2]。闘争なくして「誇りある豊かさ」を実現する法はありません。(文責:河野道夫=読谷村)
[1] 国・県の開発計画は工業生産と都市を優先し、人口増大と過密化、所得の上昇、産業規模の病的肥大化という悪循環になるとし、沖縄がそれに巻き込まれないようにするための構想。
[2] ルドルフ・フォン・イエーリング(1818-93):オランダ生まれ。ローマ法の大家。オーストリア、プロシャ、ドイツなどで教授。引用は「権利のための闘争」小林孝輔・広沢民生訳、日本評論社1978年p102(原著は1872年)。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5091:141230〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。