パリ二つのテロ事件後報告 350万のフランス市民が街を行進したあと、残されたものは?
- 2015年 1月 18日
- 時代をみる
- コリン・コバヤシ
http://echoechanges-echoechanges.blogspot.fr/2015/01/350.html
一月七日に起こった風刺漫画の週刊新聞社<シャルリー・エブド>に対する襲撃と十二名の虐殺、続いて起きたヴァンセンヌでのもう一つの拉致事件で客四名、警官一名、合計十七名が殺された二つのテロ事件は、フランスのみならず、世界に衝撃を与えたことは周知のとおりである。
だが、現在、湾岸に空母シャルル・ドゴールを派遣してイラクで空爆を行ない、マリから周辺四カ国で軍隊を展開させているフランスは複数の戦線で戦争中なのだ。国内だけが静かでありうるはずがない。テロの可能性は早くから指摘されていたが、年明け早々にこのような形で、しかも国内から出現したテロリストによって、警備の薄くなった<シャルリー・エブド>とユダヤ系食品スーパー<ハイパー・カシェール>(カシェールはユダヤの戒律に則った食料)を狙って急展開してくるとは、さすがの治安当局も予期できなかったようだ。
襲撃が特殊部隊の早い投入によって早期に決着をみた翌日、パリでは<共和制的行進>が提唱され、170万人とも言われる市民が巨大な行進に参加した。これは十九世紀末のヴィクトル・ユゴーの国葬や大戦後のパリ解放時の動員としか比較できないほどの希有な大きなうねりだった。むろん、この呼びかけ以前に7日の襲撃の夜に既に、誰に呼びかけられたわけでもなく多くの市民が自発的に共和国広場に集まり、哀悼と義憤の意を表したことも特記しておくべきだろう。また全国でも百万単位の人々が自発的に街に出た。一九八七年、朝日新聞阪神支局に赤報隊のテロリストが小尻記者を撃ち殺し、別の記者に重傷を負わせたとき、何人の日本人が「言論の自由」を擁護するために集まったといえるのか。
一月十一日のフランスの大行進の性格は何か、市民のこうした動きをどのように見るベきなのか。また今後、どのような課題が山積みされているのだろうか。
まず最近は、アルジェリア系ユダヤ家庭出身の政治記者で作家エリック・ゼンムールが書いた排他主義(アラブ移民は万単位で本国に送り返すべきといった)に基づいたエッセイ「フランスの自殺」(昨十月に出版)がベストセラーになり、また同じような排他的姿勢の作家ミシェル・ウーエルベックの書いた小説「従属」(2022年の大統領選で、イスラム教徒の大統領候補が勝利し、仏政権がイスラム教に乗っ取られるという空想話)の刊行が待たれていて(本書は事件の当日一月七日に発売された)、マスコミでも大きく騒がれており、ルペン率いる極右翼政党が台頭しているというフランスの社会的背景があったことを無視できない。その矢先に、これらの事件が発生したのだ。
フランス国民の一部で当然の如く迎えられた「イスラム恐怖症」は、たしかに、衝撃を受けたフランス市民の大半がテロを許すべからざるものとして立ち上がることに拍車をかけたかもしれない。とはいえ、「イスラム恐怖症」に陥ることなく、民主主義、言論の自由を擁護しようと自発的に無言で参集した無数のフランス市民の主体性は、大いに称揚されていい。市民の大半が「私はシャルリー」というスローガン一色に染まったわけではなかったし、大きな横断幕を持っているわけでもなかった。若者たちも多く参加したこのデモは、ほとんど無言で犠牲者への哀悼を示していた。時折拍手を皆ですることはあっても、シュプレヒコールはなかった。フランス人はそもそも一丸となって何かをやることが好きではない。そして狙われた<シャルリー・エブド>は、そういうことが一番嫌いないわば異端の新聞である。読者数が少なく、経済的にも急迫していたのが実情だ。
この<共和的行進>の性格は、当然、三つの柱:自由・平等・友愛、そしてフランス特有の国定である世俗性に範を求めた行進であったことは言うまでもない。これに強く反応した市民たちも多いのだ。しかしこれら最初の三つのモットーは、どれも「ひどく困難であり、日毎に築かねばならないもの」[1]である。これについては後述する。
またオランド大統領を筆頭に仏政府が広くこの行進への参加を呼びかけ、三十カ国以上の元首や代表が参加した。これは仏政府がたしかに政治的回収をフル回転させたといえる。欧米が唱える「テロへの戦争」を正当化するために、NATO事務局長や欧州主要国の元首たちを招き、その上に、国際裁判にかけられれば戦争犯罪人になりえるネタンヤフ・イスラエル首相、 ―この首相は、「私たちの戦いはあなた方の戦いと同じだ」と主張するつもりなのだ― や、リーベルマン国防相さえも一緒に行進するとなると、この行進の意味はすれ変わってしまう。ネタンヤフ首相の自主的参加表明に驚いたオランド大統領がパレスチナのアッバス自治政府議長に急遽参加を要請し、かろうじてバランスをとった。また、この行進は「言論の自由」を守るためでもあったが、言論を封殺している元首たちも多く参加した。エルドワン・トルコ首相は、どの国よりも多くの記者を投獄しているし、イスラエル軍は、昨年ガザだけで十六人の記者を殺している。ヨルダンのアブダラ国王は、パレスチナ人記者を十五年の刑に処した。こうして他にもリストはふくれあがる[2]。こうした元首たちがどうして他国に来て言論の自由を守れと主張する権利があるというのだろうか。この元首たちの参集は、結果として移民系(とりわけマグレブの)フランス市民たちのボイコットを引き起こした。
しばらく欧 米と中東は常に緊張関係にある。一九四八年から続いているイスラエル/パレスチナ紛争に加え、一九九◯年の湾岸戦争以来、アフガン、イラク戦争、イスラエルの二度のガザ攻撃などで、合計、数十万規模の犠牲者が出ている。そしてイスラムとユダヤとの抗争の上に、さらにイスラム教宗派間の争いが激化しているという複雑な事情がある。とりわけ、アメリカ合州国のパレスチナ/イスラエルの和平交渉の重なる失敗、そしてイラク、アフガン戦争での大失策は、西洋とイスラム世界に深刻な悪影響を長期に渡って及ぼしている。アメリカ合州国に追随するヨーロッパは、独自の解決策が提案できないばかりか、アメリカと同じようにイスラエルを擁護して来た。だが、昨夏のイスラエルによる無防備といっていいガザへの集中的な空爆は、明らかに国際世論の大きな反発と憤激を起こしたが、これに対してフランス政府はイスラエル批判の一語も漏らさなかった。そのことが今回のユダヤ系スーパー攻撃の遠因になっているといっても過言でないだろう。アフリカでは、欧米は問題が発生すると軍事的介入をするだけで、抜本的な解決策を計らない。自国の権益を護持するために軍事力を投入し(例えばニジェールのウラン)、外交的解決をしなくなっている。このような状況が、冷戦後の世界の変化の中で、社会は旧来の意味での国家間戦争ばかりでなく、あらゆる場所で戦闘的な状況が生まれやすい「好戦的な社会」[3]になったと指摘されている。
「テロとの戦争」を主張する指導層の間では、「反ユダヤ主義」というスローガンもコンビになっている。しかし、これは作為的な同一視というべきだろう。「反ユダヤ主義」は、ヨーロッパの白人社会で歴史的に発生して来たものだ。もし中東アラブ世界にユダヤ人排撃があるなら、それは「反ユダヤ主義」のせいというよりは、シオニスト国家イスラエルが、パレスチナ人を暴力的に差別し、抑圧し、軍事力によって植民地化して来たからに他ならない。むろん、イスラエルの中東植民地戦争が従来の「反ユダヤ主義」を助長している可能性はある。このような指導層や同じ潮流の人たちの間では、今回の事件をフランスの9・11と例える人さえいるが、根拠のないたとえに過ぎない。フランスではパトリオット法が成立する可能性は、今のところ、低い。しかし人間社会で起こることが、このフランス社会だけには絶対起こらないという保証はないのだ。
ただ変化の兆しはある。欧州諸国がパレスチナを国家として認知し始め、フランスも国民議会が欧州連合は認知に向かうべきという決議を出している。また国連の機能が民主的でない、旧体制のままになっている安保理事会を再編し、国連に民主的な力を持たせるべきであるという論調も一段と強くなって来ている[4]。
フランスの若者がなぜテロリストになったのか、その原因はいくつか考えられる。昨年夏のイスラエルによる一方的なガザ攻撃、無差別空爆の不正義について、マグレブ系移民の二世、三世であるフランス人たちが無関心であるわけがない。口で人権宣言や民主主義をいくら唱えたところで、前述したようにイスラエルの攻撃を容認し、同じアラブ民族の虐げられた状況に対して何の改善の努力もせず、具体的外交さえしない母国フランスがダブル・スタンダードを使っているではないかという不満は、言うまでもなく募って来ているのだ。そのうえ、経済不況が蔓延している中で、郊外に集中して居住している移民系の家族や若者たちは偏見と人種差別にさらされ、国は移民の統合政策に失敗し、三十年以上、彼らを放置してきたからだ。その結果、慢性的な就職難と失業に悩まされている以上、鬱憤が破裂寸前になっているとしても当然なのである。国の無為無策が、若者の不良化を促進させ、恐怖と憎悪をあおり立て、テロリストとなる温床を作っているのは、言うまでもなく不正義を放置している国際社会とフランス国家自身である。
ところで、週刊新聞社<シャ ルリー・エブド>は、以前からイスラムホビーに類する風刺画を載せていた。2006年、マホメットの風刺画を公表して、フランスのイスラム宗教団体から禁止の要請があった。また翌年には追訴された。2011 年には火炎瓶が投げ込まれるなど、<イスラム嫌い>であり、脅迫も受け、当局からも警告されているにもかかわらず、予言者を風刺する漫画を出し続けた。彼らはあらゆる宗教に反対するという立場から、すべての宗教風刺をするのだが、とりわけイスラム教風刺にはかなりの力を入れて来た。漫画記者たちは、六九年の創立以来、世俗性を基本として来たことは確かだが、イスラム教とユダヤ教の扱いは平等だったろうか。また平等に扱ったからといって済む問題ではないだろう。たとえば、デンマークの新聞に掲載された右派の漫画家が書いた手榴弾をターバンに撒いたモハメット像は、どう見てもイスラム・イコール・テロリストという誤解を生じさせるアマルガムがあることを否定できない。この風刺漫画を載せてしまった<シャルリー・エブド>の判断は良かっただろうか。編集長シャルブは、一月最初の号で、「フランスにはまだテロがないよ」と表題された下に、ひげを生やしたイスラム戦士が「ちょい待てよ。新年の祈願の挨拶は一月末まで期限があるんだ」と言わせた漫画を書いているが、これなどはまさに誘い水をしたと思えるほど不幸な一致だ。楽しませてくれる風刺画もあるこの週刊新聞の掲載内容には、今後、厳密な分析と批判が課されているといえる。
ところで今回の漫画家虐殺に絡んで言えば、一九八七年、パレスチナの有名な漫画家ナジ・アル・アリをロンドンで暗殺したのはイスラエル諜報機関モサドだが[5]、この事件は欧州のマスコミの関心を引かなかったし、今回のような市民の自発的なデモは起こらなかった。ましてや国際世論ではほとんど無視されてしまった。
この度の事件は、 新聞社<シャルリー・エブド>に対する攻撃という意味で、表現の自由、言論の自由の問題に触れないわけにはいかない。ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」に倣えば、自由とは相手を侮辱する自由を前提としている。その侮辱が損害とならない限りにおいて、自由は許される。ただし、この侮辱と損害の境の線引きは難しい。時と場合によっては、この侮辱は危険を覚悟しないとできない。哲学者エチエンヌ・バリバールが指摘するように、挑発的な表現がすでに烙印を押された数百万の人々に辱められたという感情を繰り返し植え付けるなら、シャルブ(『シャルリー・ヘブド』編集長)と彼の仲間たちは、こうした事態に対して<不用心>だったのではないか[6]、という仮定は成り立つ。「言論の自由を断固として守る」としても、この指摘は至極真っ当だと思える。
最後に、世界化しているジハード(聖戦)を唱えるイスラム世界の聖戦派について考えねばならない。聖戦派は、西洋と対抗する中で歴史的に古くから存在して来た。欧米の警察、軍隊は世界的なネットワークを使って聖戦派の明日のテロを防ごうと躍起になっている。たしかにサラフィー派などのような急進派には気をつけざるを得ない。だが武器や資金を出しているのは、カタールやサウジ・アラビアを通じて欧米からのルートがあると指摘されてもいる[7]。聖戦派がとくに台頭して来る真の理由は何だろうか。本来、イスラム教徒たち自身がこうした急進的なテロ活動の最大の犠牲者であることは言うまでもないが[8]、こうした極端な狂気に近いアクションが出て来るとしたら、やはりその要因は必然的に社会の中にあるとみるべきだろう。テロ行為は自然発生するものではない。必ず政治的、社会的理由がある。発生するその社会に相当のひずみが生じているからこそ、そこに狂気が発生する要因が生まれるのだ。今日の数的成果と利益のみを追求する資本主義、終わらない北側諸国の暴力的な植民地主義の上にあぐらをかいて、己の立場を正当化し、相手をテロリストと決めつけて武力による解決のみをめざすなら、事態は決して沈静化に向かわないないだろう。そしてこうした状況がまさに前述した<好戦的な社会>を生み出しているとするなら、共和制の三原則とはまったく逆の、不自由、不平等、不友愛がまかり通ることにならないだろうか。生命をいとわない、愛情の片鱗もない人生を生き甲斐と勘違いしてしまうような教育を若者たちに与えていないだろうか。そのことこそわたしたちは深く省察すべきだろう。
[1] レジス・ドブレ:インタビュー、フランス・キュルチュール放送、2015年1月12日
[2] 「国境なき記者団」2014年殺された記者報告、「アムネスティー・インターナショナル」Newsの報告から。
[3] < Etat du monde 2015>, La Découverte, Bertrand Badie, Dominique Vidal
[4] 『ユマニテ』1月11日号、ドミニク・ヴィダル
[5] BBC News : http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/july/22/newsid_2516000/2516089.stm
[6] 『リベラシオン』紙、2015年1月11日
[7] « L’état du monde 2015 », La Découverte:輸出国ではドイツ、フランス、イギリス、カナダ。リヤドは米国、ヨーロッパから大量に武器を買っている。
[8] この二つのテロ事件の後、二十件以上のモスケやアラブ人に対する嫌がらせ、恐喝、攻撃があった。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2872:150118〕
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