政府の「邦人救出作戦」は海外派兵の理由づけでは?
- 2015年 1月 23日
- 交流の広場
- 山川哲
「イスラム国」で人質になった二人(湯川遥菜、後藤健二)を救出すべきであるということには全く異存はない。人命は尊い。いかなる場合でも軽はずみに「犠牲」にされてよいものではない。
ましてやそれが、安倍政権の「海外派兵恒常化法」成立のために利用(スケープゴート)されるようなことがあっては断じてならない。
今回の「人質・拘束問題」の経過や現況を考えるとき、どうもある種の引っかかりを覚える。
何故、昨年の8月、あるいは10月ごろに分かっていたことを「今、この時」まで放置していたのか、という点にである。ここで「今、この時」というのが非常に大きな意味を持つのではないだろうか。
1月17日にエジプトで記者会見した安倍晋三首相は次のように語っている。
「(今回提供する2億ドルは)人道支援、インフラ整備など非軍事の分野(に対してであり)」「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援(である)」
つまり、この2億ドルは軍事目的の使用を禁じた政府開発援助(ODA)予算であること、イラク、シリア、ヨルダン、トルコ、レバノン、エジプトの6カ国に拠出予定であること、難民への食糧・医療支援、教育施設建設、法制度の整備などに使われる予定であるというのだ。
帰国後の安倍総理も、また国内での留守番役の菅義偉官房長官も、当然ながら口をそろえて、この2億ドルは「非軍事目的であり、人道支援のため」のものだと強調する。
だがしかし、である。ここが肝心なのだが…。安倍はエジプトで同時に次のようにも言っている。「(これは)イスラム国がもたらす脅威を少しでも食い止めるためだ」と。
これは明らかにイスラム国包囲網を欧米諸国と一緒に構築しようという考えの表明である。
米・英が頑強で非妥協的な軍事対抗路線(身代金拒否)を主張していることは誰もが知っている。フランスの社民政権(オランド)がそれに乗っかろうとしていることも今では明らかである。それでは安倍政権はどうか?
従来は「後方支援」としてカネは出すが軍隊は出さない(イラク戦争時に「非戦闘地域に限って」という名目で派兵したのであるが)という立場をとっていた。しかし、今回、この路線を変えようとしているとも考えられる。
疑問は、彼ら二人の拘束(人質)が早くに分かっていながらこれまで手をこまねいていたこと、「イスラム国」側も殺害を強調はしていなかった。それが、安倍の発言と共に状況を一変させたこと、にある。
「イスラム国」側からいえば、日本はこれまで無関係中立だったはずなのに、ここに来て資金援助という形で介入、敵対してきたではないか、ということになる。こうなれば「ただでは済まないだろう」ということは当然予測しうる。実際に何人かの論者も、安倍が引き金を引いたのではないか、と指摘している。
しかも符牒を合わせたかのように、1月19日には、「自衛隊海外派遣恒久法案」を通常国会に提出することが自民党内で決められているのである。
考えてみれば、かつての旧軍隊時代にも、「邦人救出のやむにやまれぬ事情」とやらで、大陸侵略軍が何度派遣されたことであろうか(1932年の旧満州での「ホロンバイル事件」などを想起せよ)。「邦人救出」は海外派兵を正当づける国内向けの格好のうたい文句になりかねないのである。
人質の救出は急務であるし、人命は軽んじられてはならない。しかし、かつて小泉首相が「自己責任」と言って冷たく投げ捨てたことを、なぜ今日安倍首相がことさらに「救出にあらゆる手段を尽くす」としなければならないのか?実際にどういう手段を尽くそうというのか?
ここに大いなる企みを予感するのは、被害妄想であろうか?
外務省が常岡浩介氏のイスラム国との交渉役の申し出を断ったということも伝わっている。
他の外交ルートが確かであるならそれでもよいが、交渉時間は限られているのだ。
「東京新聞」の1月21日付の「筆洗」が真に適切な指摘をしている。
「『テロとの戦争』と呼んだイラク戦争を日本も明確に支持した。戦闘のために軍を送ったわけではなく、『人道支援』であったが、それでも戦火にさらされた人々にとり日本は『憎き米国の味方』であったのだ、…イラクとシリアの廃墟で絶望感と憎悪を糧に勢力を拡大させてきた過激派組織『イスラム国』…何が『イスラム国』を生み、育ててきたのか。」
こういう視点に立って国際協調を考えて行かなければ、実際に何事も解決しないのではないだろうか。
繰り返すが、人命は極めて大切である。迅速に、しかし平和裡な交渉による救出以外に真の解決は無いと思う。
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