テント日誌1月29日・30日…テントはいろんな人に支えられている。それをあらためて実感する/そこで生活し、生きていること自体が‘反原発’ではないのという言葉
- 2015年 1月 31日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1238日商業用原発停止490日
テントはいろんな人に支えられている。それをあらためて実感する
2週続けて雨の木曜日だったが、今日は晴れ上がって風もなく気持ちよく座って
いられた。朝、東電株主裁判を傍聴する人や国会マラソンの人などが寄ってくれた。
午後には中小企業の人たちの集会とデモに参加する人が来てカンパや美味しい山菜の和え物など差し入れして下さった。
柏崎の人たち自分たちは刈羽原発の電気は使ってないのにとおっしゃる。
私は電気代払うとき「柏崎刈羽原発」再稼働反対と書いていますよと答えた。
長野飯田の方毎週反原発スタンディングをなさっているとか、フェイスブックの映像を見せてくれたので、帰宅してから友達になった。
彼は3・11には全国の人と繋がってのスタンディングを計画しているそうです。
もっとメディアが全国の反原発運動を報道してくれれば良いのにと思います。
2時半ごろデモがテント前を通った。
何人かの方が列を離れてテントの写真を撮っていたのでチラシをお渡した。
みんなテントに向けて手を振ってくださったのでOさんと私もそれに答える。
テント前では原発反対のシュプレヒコールもあり嬉しかった。
デモの後、不当解雇を受けて裁判をしているという女性がおにぎりやインスタントの味噌汁をたくさん差し入れてくれた。
テントはみんなに支えられている事を実感した。
みんな寒くて大変ですね。頑張って!と言って下さる。
今夜は第2テントで渡辺一枝さんを迎えてのお話会があるというのでTさんとその準備をした。
今日は比較的暖かかったが3時過ぎると矢張り冷えてくる。
残念ながら夜のお話会は不参加でテントを去った。 (I・K)
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そこで生活し、生きていること自体が‘反原発’ではないのという言葉
天気予報はよく当たるようになった。どうせ当たりっこないさ、と思っていたむかしのことを思えば雲泥の差である。これくらい地震や火山の情報が正確になるといいと思うが、そうなると怖いとも思う。分からないことが人間には救いになっていることも多いが、さてこれはどちらだろうかと考えたりもする。ともかく、寒い一日だった。
今日は夕方からは第二テントで渡辺一枝さんの「お話と座談」が開かれた。午後6時30分からであった。上原公子さんに次いで二回目であったが、彼女の福島出の三年を超える報告は衝撃的なものだった。彼女は震災のうちでも福島に軸をいて活動をしているのだが、それはある意味では被災者に対する心的なケアをしている。それは彼女がどこまで意識してのことかはわからないが、かつてある人が今回の東日本大震災で被災者の心的なケアがどこまでやれるか、どうかが一番大事で難しいことだと語っていたのを思い出していた。
原発震災も含めて今回の震災に対して、これまでの震災と違うところはそのことなのだろうと思ってもいた。震災から4年目も近くになろうとし、復旧や復興がどうなっているのかの意識もぼんやりとしてきている日々だが、あらためてこのことを想起した。彼女の最初の言葉として岩手の被災者と福島の被災者の違いについて述べられたことはとても印象的だった。岩手の方に比べて福島の方がバラバラの常態にあるということだった。今回の震災で被災者の多くは家族の誰かを失いその意味ではバラバラの状態に置かれている人が多いことに変わりがないが、復旧や復興に向かう過程の中で、相対的であろうが、福島の方のバラバラにおかれているという印象を持ったということだろうと思う。
このことからいろいろのことが想像できるのだが、ここには原発震災ということが挟まっているのだろうということ思う。岩手や宮城の方にしても震災から脱していくのは大変だろうが、それは僕らが想像しえるものよりも深くて困難なもので軽々しく言葉を呈することのできないものである。それを承知の上で原発震災が含まれた場合との差異もあり、それを含んだ方の困難さというのもあるのだろう、と思う。震災は生存の環境というか、生そのものと不可分な関係(対象的世界)を突然のごとく奪ってしまうことである。自己のとっては存在そのもという人(他者)を奪い去って行くことがその象徴であるが、これは生者にとっては自己の身体の一部そのものがもぎ取られたようなものである。人は人も含めた関係の中にあり、この関係を形成する存在は自己の身体(生命)を構成する。他者や関係の激変や喪失は自己の身体(生命)の喪失である。多分、僕らは無意識のうちに他者や環境を自己身体にして日常的な生を営んでいる。繰り返し何の変哲ものない日常とはこうした生の営みだが、それに激変をもたらすのが震災である。僕らはそうした中で、自己身体化し、生の一部となった他者や自然(環境)の存在を意識させられ、その喪失による心身の不安に直面する。
このことは僕らが人の死に直面することに似ているが、人は災害そのものに遭遇すればそこからまた脱して行こうとする、失われたものを恢復しようとする活動は人間の生命的な活動そのものだが、失われたものからの回復には失われたものの認識がある。多分、原発震災は失わせしめたもの、それが現在も進行形であるのだが、そのことの認識そのものが困難なのではないのか。その深さと大きさゆえに、そこからの恢復ということは見えない、こころの動きとして構想にならないということがあるように思う。これは彼女が福島の仮設住宅などをめぐりながら、彼らの心的不安の強さを身近に感じてきた話を聞きながら、僕なりに感じたことだ。本当は彼女の直接の声を聞いてもらいたかったし、僕の下手な説明などはいらぬものだろうと思う。
福島の人たちが簡単に脱原発や反原発などの声を上げないでいる現状について彼女は、彼ら(彼女ら)が生きていることそのことが、反原発と言っているのではないかと語った。沈黙の中にあるその声の深さを洞察している彼女に共感したのだが、それはある意味で脱原発や反原発を運動として展開する困難さであり、僕らは想像力でしかそこに接近できないが、これが根源的な課題なのだろうと思った。今回は映像も含めてこれを提出できないのが(こちらの準備不足で)残念だが、記録を起こして公表したいと思う。次回は準備をしたい。
明日は雪だというが、深夜はまだ雨だ。激しくなる雨音をテントに響く音に聞きながら深夜の散歩もあきらめて寝たのだが、頭は今日のトークのことが興奮として残っていてなかなか寝付かれなかった。仮設住宅の方々がなかなかすんなりとは寝付けない日々を送っているという話が頭から離れなかったのであるが、むかし、僕もあるところでなかなか眠れなく孜もんとしていた日のことを思い出していた。部屋を替えられるだけで、言いようの心身の不安の落としめられどうしていいかわからず苦しんでいたのだ。人間は環境(対象)と関係を結んでいきているのだが、これは対象を自己の身体化しているといわれているが、対象と馴染むことだが、この身体化は習慣のようにまで無意識化されてある。僕らはそれを普段は意識しないのだが、この対象が変更されるとき、それに対応していた身体は馴染むまで(身体化)するまで不安に駆られる。下手をすると心身喪失という病になるものだ。僕は不安の中で人にとって対象が自己存在になること、このことの人間的なありようを理解することでそれを克服しようとした。それは意識では不可能であり、時間の中で身体化(馴染む)しかないのであると思った。そういえばこのテントで寝ることも、もう馴染んできたのだと思う。
いつの間にか眠ってしまったのだが、朝おきるとやはり雪だった。鉢植えの花が雪の中で寒そうだった。雪割草の話をよく聞かしてくれた彼女は雪国の人だ
うちに雪は雨混じりに変わっていた。 (三上治)
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◇「鹿児島の女たち&福島の女たちの共同アクション」
第1日目 2月4日(水)
① 14時~15時 原子力規制委員会に対しての抗議・申し入れ(六本木
② 14時~15時 経産省に対しての抗議・申し入れ(霞が関)
③ 15時30分~16時30分 内閣府への申し入れ行動
④ )(16時より17時まで首相官邸前抗議行動)
第2日目 2月5日(木)
① 10時~テント前フリー集会
② 11時30分~12時20分霞が関ランチデモ
③ 12時30分~15時 院内集会
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◇2、7集会 テント撤去原発再稼働を許すな!
18時30分~20時30分 日本教育会館3F第一会議室
主催:経産省前テントひろば、テントひろば応援団
◇テントでの「お話と座談」(トーク)
2月11日(祝)午後2時から 最首悟さんのお話と座談(日程変更)
2月13日(金)午後7時30分~小熊英二さんのお話と座談
連絡 テント(070-6473-1947)か三上(090-3908-7330)へ
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