外国人記者の見た日本メディアの現実
- 2015年 2月 18日
- 評論・紹介・意見
- メディア半澤健市朝日新聞
本稿は在日外国人記者による「朝日誤報報道」に関する一見解の紹介である。
記者はDavid McNeillとJustin McCurryl。McNeill氏は『インディペンデント』、『アイリッシュタイムズ』、『エコノミスト』に執筆しており、McCurry氏は『ガーディアン』『オブザーバー』両紙の日本・韓国特派員、フランスのTV番組にも出演している。
記事は「日本外国特派員協会」の月刊誌『NUMBER1 SHIMBUN』の2014年11月号に掲載された。以下(***と***の間)が記事全文である。記事転載と邦訳に関して翻訳家脇山真木氏の全面的な協力を得た。二人の筆者と脇山氏に謝意を表する。
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朝日新聞を撃沈せよ!
―標的としてのマスメディア―
いかにして、信望厚かった新聞が、過激なライバル紙、正義の保守論壇(リビジョニスト)、おしゃべりなテキサス人の照準になってしまったのか?
今年に至るまで、多くの日本人は、グレンデールがどこにあるかなど知らなかっただろう。カリフォルニア州はロサンゼルスの郊外にある、人口20万人の市で、アニメ製作、アジア系人口が多いこと、ビッグボーイ(ハンバーガーチェーン)などで知られていた。それが、地元の公園に地味な若い女性のブロンズ像が建てられたことで、日韓の苦い歴史のミクロコスモス(縮図)へと変わってしまった。
この彫像は、戦時中、日本の売春宿に集められた女性たちの苦しみを記念し、拒まれた正義を象徴するものだった。だが、除幕以降、グレンデール市は、日本の外交的な抗議、何百通もの怒りのレター、像の撤去を求める一件の訴訟の攻撃にさらされることとなった。
そしてこの紛争は、10月21日に茶番の側面を呈した。市議会が、トニー・マラーノという右翼のビデオ・ブロガーのくどくどしい証言を聞く羽目に陥ったのだ。マラーノは極悪な共産主義者、“犬を食べる”韓国人、アメリカをイスラム国家に変えるオバマ大統領の計画などに対する警告ブログをしばし休み、憎たらしい記念像をぶちのめしに、(おそらく自費で)テキサスから数百マイルの長旅を経て、グレンデールにやって来た。
国家主義(ナショナリスト)サークルでは「テキサス親父」として知られているマラーノ氏は、国全体になり代わって「この銅像は日本や日本国民にとって侮辱であり、名誉をおとしめるものだ」と市議会に申し立てていると信じているらしかった。マラーノは、市議会に向かって、グ市は日本バッシングをしているのではないことを証明するよう、強く迫った。
なぜこんなことになってしまったのか? つまり、ロサンゼルス郊外の片隅のコミュニティーが、世界の良心とまではいかなくとも、世界の支持・共感を得ようとする東アジアの2国間の争いの焦点になってしまったのか?
冒頭に述べた保守リビジョニストが信頼に足るのであれば、このことはもとより、第二次世界大戦中に女性を性奴隷に強要したという、世界的に認識されてしまった日本軍の歴史に関しても、明らかに朝日新聞が悪いことになる。
ことのはじまりはこうだ。日本で第二位の購読者数を誇る朝日新聞が、1990年代に慰安婦問題をとりあげ、一連の記事にして掲載した。そのひとつが吉田清治氏をニュース源とするものだった。リビジョニストの話によると、これが1993年の河野談話につながり、この河野談話が、米国下院121号決議(2007)につながったという。同決議は、日本政府に対して、過去の下劣な出来事を正式に認め、明確、明白に謝罪することを求めたものだ。
だから、2014年8月に、吉田証言は信用できないことを認め、遅まきながらこの連載記事について謝罪したときをもって、朝日新聞は相次ぐリビジョニストたちの大言壮語に門戸を開放してしまったのだった。(本誌2014年9月号、「高くついた朝日新聞の容認」参照)
朝日批判はトップから始まった。安倍首相はくり返し、朝日の報道を非難した。「朝日の虚偽の記事により、多くの国民が傷つき、悲しみ、怒った。世界に対するわが国の名誉を損なった」と。
産経と読売は一片の憐憫もない攻撃を加えた。読売の英語版、「ザ・ジャパン・ニューズ」は、ライバル紙にふりかかった困難について、夏以来、50におよぼうとする数の記事、論説、ゲストのコラムを載せた。この中には、4部からなるシリーズも含まれていた。その主張は、「過去10年における慰安婦問題に関する朝日の報道は、日本軍が制度的、強制的に女性を連れ去り、兵士用の慰安婦にしたという曲解された見方をゆるぎないものにした重要な要因だった」というものだった。
ゆがめられた事実、ゆがめられた言葉
実際は、河野談話は、韓国人や軍の性奴隷だった人たちが何年間もかけて行ったキャンペーンの成果だった。同様に、「疑惑の吉田証言および朝日新聞の報道は、米国下院決議121号とは無関係だ」と言うのは、121号決議を書いた専門家グループで、学者たちがこの点を明らかにしなければならないと思ったのは、毎日新聞が同グループに取材した後、正反対の記事を書いたからだった。「われわれ全員が仰天した」と当時をふり返る。
そこで、同グループは、「われわれは、121号決議の考察、草案作り、弁護において、吉田証言と朝日の記事は要因ではなかったと記者たちに明確に語った」という声明を出した。「われわれが強調したのは、ひとつの信用のおけない情報源で、議会向けリサーチの論拠は作り上げられないという点だった」。実際、同グループは、「インドー太平洋地域全般において、帝国日本が軍、植民地の役人、ビジネスマン、海外労働者のために性奴隷制度を組織し、運営したことを立証する書類や証言による証拠はたっぷりとあった」と語った。決議121号を書いた専門家たちは、毎日新聞の記者たちは、“初めに結論ありき”で取材に来たのではないかという奇妙な感じを受けたのだが、実は、われわれ(本記事の二人の執筆者)も同じような印象を受けた。朝日新聞が吉田証言を撤回した後、われわれは数社の日本のニュース会社から、ある同じ質問を受けた。それは、「外国特派員の報道は、朝日新聞の記事の影響を大きく受けたのではないか」という質問だった。
答は明確に「ノー」である。われわれは2人とも、吉田証言については昨年まで聞いたことがなかった。過去10年間、われわれは韓国やその他の国で、直接慰安婦たちを取材してきた。ソウル郊外にある(歴史博物館であり、生存している元従軍慰安婦の共同体でもある)ハウス・オブ・シェアリングHouse of Sharingも訪ねた。
8人が住んでいて、カン・イルチュルさんもその一人だった。占領下の中国(朝鮮半島の南部にあった故郷から何千マイルも離れたところ)にあった日本軍の売春宿で2年間働かされた時の肉体的な傷跡がまだ残っている。「小部屋に入れられ、一日に10〜20人の兵隊の相手をさせられた」と言った。
あなたや他の従軍慰安婦たちが強要されたという証拠はないのではないかという質問に対しては、頭を前にさしのべ、頭皮の傷跡を見せてくれた。憲兵にしょっちゅう殴られて、ついた傷跡だという。
カンさんは、戦後中国人と結婚し、2000年になるまで韓国に戻らなかった。「日本の指導者たちが、わたしたちのことを嘘つきだと責めるのを聞くと、悲しさと怒りを感じる」。2012年、87歳になったカンさんの言葉だ。
元朝日新聞記者に対して、非公式の脅迫キャンペーンが始まった。脅迫キャンペーンには前例がある。“反日要素”を標的とする極右が、1987年に小尻知博(コジリトモヒロ)という朝日新聞記者を殺害した。今回の標的は、朝日新聞の元ソウル支局長であった植村隆氏で、慰安婦問題の記事が脅迫キャンペーンの理由だった。
朝日を退職した植村氏が神戸松蔭女子大に雇われたとき、これに対して不信感を表明した「週刊文春」の記事がきっかけで、ヘイトメール(差別的憎悪表現)が津波のように押し寄せてきた。「その記事が出るやいなや、毎週200通のメッセージが大学事務局に送りつけられた」と植村は言う。
植村氏は神戸松蔭女子大学と話し合い、生まれ故郷の札幌にもどり、北星学園大学に非常勤の教職を見つけた。しかし、ヘイトメールはその後も引きもきらず送り続けられ、大学を爆破するというものまであった。「No. 1 Shimbun」の本号が印刷されるころには、容疑者は脅迫罪で警察に拘置され、植村氏は、かろうじて北星学園大学の仕事をつないでいるだろう。
この先、どの方向に行くのか?
こうしたことはすべて、今後どの方向に進んでいくのだろう? 「朝日新聞を糺す国会議員の会」(代表中山成彬国会議員)は、第一回会議において、朝日新聞のボイコットを拡大し、朝日の編集者や記者を国会に召喚する計画を論議した。テキサス親父もさらにエスカレートし、「朝日新聞の元記者は、セックスオフェンダー(性犯罪者)のラベルをはることで帝国陸軍の兵士を辱めた」と発言した。
桜井よしこ(著名なリビジョニスト)は、ブログに不吉なことを書いている。「私は、朝日の人たちは、何十年間も書き続けた安っぽい記事がもたらした国家的な危機というものを、まったく理解できないのだと思う」「率直に言って、朝日につける薬はないと言いたい」と。
読売新聞も、ライバル紙叩きにはもう飽きただろうと思う10月末、24ページのオンライン版パンフレットを発行した。タイトルは、「東アジアにおける神話と真実」で、朝日が攻撃の的だった。産経系列の出版グループは、まだ攻撃の手を緩めることはないとして、雑誌「正論」を一冊まるごと朝日バッシングにあてた。
こうしたことはすべて、産経が率いるボイコット運動と相まって、朝日新聞の購読者数を、2013年11月比で77万部減らした。
ライバル紙が失策したとき、歓声をあげたいという誘惑に抗うのは難しい。もしイギリスで同じことが起きたら、立派な大判紙であっても、やはり同じような反応をするだろう。しかし、その執拗さにおいて、産経と読売は、リビジョニスト運動のいいなりになっているとしか思えない。
一方、リビジョニストは、朝日新聞をつぶそうとしている点については否定する。「われわれが希望するのは、朝日がその本質的な気質を変え、過去の誤りを認めることだ」と言うのは、トニー・加瀬(加瀬英明)だ。最近、ヘンリー・スコット・ストークス(元N.Y.タイムズ東京支局長)が書いたリビジョニストのベストセラー「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社)の共著者でもある。加瀬氏いわく、「朝日には親しい友人もたくさんいる。朝日は良いこともたくさんした。たとえば、アジアの他の国を解放した先の大戦を支持したことなどだ」。日本のリベラル紙の旗艦が直面している難しい選択の中でも、この熱狂的な戦時愛国心への回帰は、おそらくもっとも受け容れ難いものだろう。しかし、編集者がどのような決断を下そうとも、ナショナリストたちは刀を抜いてしまった。
事実、2015年夏に、この地域が第二次大戦終戦の70周年記念を迎えるにあたり、朝日に対する批判は、河野談話の信憑性を疑うキャンペーンへと変容しつつある。
安倍首相は14年10月に「国全体で女性を性奴隷とみなしたという根拠のない、中傷的な主張が世界中にまかり通っている」と述べた、と引用されている。安倍政権は、国連人権委員会に「クマラスワミ報告」として知られる1996年の報告の変更を要求した。
「日本は、クマラスワミ報告の信憑性を損なうことによって、慰安婦は性奴隷だったという国際社会の認識を変えることができると思っている」と言うのは、成均館大学(韓国)Sungkyunkwan Universityの東アジア研究アカデミーのHan Hye-in研究員だ。
これに呼応して、本記事も、House of Sharing(元慰安婦の共同体)に住む、当時16歳で大阪の売春宿で働かされていたユ・フイナムさんYu Hui-namの言葉でしめくくろう。ユさんは、戦後韓国への帰国を最初は拒んでいたことについて、こう言った。「私は恥ずかしく、屈辱感をもっていた」。真実を明らかにし始めたのは、何年も経って、ほかの慰安婦たちが話し始めてからだった。
「私たちは、咲く前に詰み取られた花のように、強奪されました」
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以上が、Sink the Asahi! by DAVID McNEILL & JUSTIN McCURRY, NUMBER1 SHIMBUN,The Magazine of the Foreign Correspondents Club of Japan, November 2014, Volume 46 No.11の邦訳である。
この見解が、在日外国人記者の認識をどの程度代表しているか、協会会員にどう受け取られたかは私にはわからない。「イスラム国」による日本人人質事件が発生したため、『朝日新聞』の「従軍慰安婦」の誤報・謝罪問題は沈静化したようにみえる。しかし波紋は拡がっている。植村隆元朝日記者による桜井よしこ氏らへの名誉毀損訴訟や、日本ジャーナリスト会議らによるNHK籾井勝人会長の辞任申し入れがある。「従軍慰安婦番組の採否は首相の戦後七十年談話後」との会長発言に抗議したものだ。国益といえば泣く子も黙るような国にしないために多様な視点を知ることはいま重要である。(2015/02/12)
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5187 :150218〕
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