本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(79)
- 2015年 2月 24日
- 評論・紹介・意見
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未完成の美
江戸時代の日本では、「未完成の美学」というものが存在したそうだ。具体的には、「日光東照宮」に「逆柱」が存在するが、このことは、わざと柱の位置を逆にしたものである。そして、この理由としては、「完成と同時に崩壊が始まるために、あえて未完成の状態を作り出す」という思想を反映したものだそうだが、私自身としては、当時の「職人魂」が現れているようにも思われるのである。
つまり、「どのような作品にも完全は存在せず、常に、より良い作品を作る努力を忘れてはいけない」という「戒め」が込められているようにも感じるのである。そして、「どのような仕事においても、この態度が求められているのではないか?」とも考えているが、「戦後の日本」を考えると、「1980年代から、この精神が忘れ去れているのではないか?」とも思われるのである。
具体的には、「仕事の目的」が、「お金」という結果となり、本当に大切な「プロセス」が忘れられているようだが、この結果として起きた事が、「日本製品」の「対外競争力の減少」でもあったようだ。具体的には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉を信じ込み、日本人全体が慢心したようだが、その結果として起きた事が、「巨額な貿易赤字」の発生であり、また、「日本経済力の地盤低下」だった。
しかも、いまだに、多くの人が、現実を直視せず、過去の栄光に囚われているようだが、現時点で必要なことは、「世界的、歴史的に、日本は、どのような状態にあるのか?」を、よく理解することだと考えている。そして、「なぜ、日本の国力が、これほどまでに衰退したのか?」を真摯に反省する必要性があるようだが、実際には、全く逆のことが起きているようである。つまり、残された「日本の強さ」の部分だけが強調され、「日本が、どれほど素晴らしいのか?」が、過剰に強調されているようにも思われるのである。
別の言葉では、「自分自身が、自分の人生を真摯に生きる」ということよりも、「有名なスポーツ選手」などの活躍に感動することに熱中しているようだが、この点が、私が違和感を覚えたことだった。つまり、「なぜ、スポーツ選手が活躍すると、多くの国民に感動を与えることができるのか?」ということだが、やはり、本当の感動は、「自分自身が、自分の仕事に熱中し、楽しみを感じる事」であり、その時に、本当に「楽な人生」が送れるものと考えている。そして、このことが、「人生」における「未完成の美学」であり、決して、終わりが無い道とも言えるようである。(2015.1.27)
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禍福は相織りな件
還暦の歳を迎え、自分の人生を振り返ると、実に、さまざまな思いが去来するが、特に感じることが、「失敗こそが宝物だった」ということである。具体的には、私の人生で、最も衝撃的な事件が、「1987年のブラックマンデー」だったが、この時には、「世界が終わりを告げるのではないか?」というほどの緊張感が、世界的に広がったのである。そのために、私自身も、「なぜ、このようなことが起きたのか?」を考えざるを得ず、結果として、「約2000年間の人類の歴史」を、改めて調べ直したのだが、そのお蔭で、10年後の「1997年の信用大収縮」を、ぴったりと予測することができたのである。
また、「1990年のバブル崩壊」の時には、人生において、最も大きな投資の失敗を経験したが、このお蔭で、「10年後のITバブル崩壊」を、ぴったり予測できたのだった。つまり、私の場合には、「人生の節目」を迎えた時に、真剣に悩んだことが、その10年後に成果となって表れてきたのだが、同時に起きた事は、「2007年の金融混乱」を予測できたことに慢心して、「アメリカの量的緩和(QE)」を軽視したことだった。
具体的には、学者出身の「バーナンキFRB議長」は、前任者の「グリーンスパン氏」とは違い、市場をコントロールできないものと考えていた。しかし、実際には、私の想定が外れ、予想以上の「金融コントロール」が、世界的に実施されたのである。しかも、現在においても、依然として、「ゼロ金利政策」や「歴史的な超低金利状態」が継続しており、この点については、私自身の、もう一つの「人生の節目」だったようである。
このように、どの人の人生にも、「禍福相織りなす」という言葉のとおりに、「失敗」や「成功」が繰り返されるが、最も重要な点は、「失敗を失敗と認め、なぜ間違えたのかを、真剣に考えること」であり、また、「成功した後は、決して、慢心しない事」でもあるようだ。そして、この態度を貫いた時に、満足する人生が得られるものと考えているが、私自身の場合には、もう一つの「失敗」が存在するのも事実である。
つまり、「60年サイクルの歪み」のことであり、実際には、「1945年から60年後の2005年に、なぜ、金融戦争が終結しなかったのか?」という疑問点のことである。そのために、過去10年間、この点を考え続けてきたが、今回も、「節目から10年後」が、結論が出る時期とも言えるようである。具体的には、「2015年」が、その年に当たるが、現在では、ほぼ答えが出てきたようにも感じており、後は、「世界的な国債価格暴落」を待つだけの状態とも言えるようである。(2015.1.27)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5195 :150224〕
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