記者クラブメディアと検察のあり方についての識者の指摘
- 2010年 12月 13日
- 時代をみる
- 官報複合体情報ファシズム浅川修史記者クラブ
2010年12月、都内で記者クラブメディアや検察のあり方、日米関係について考えるシンポジウムがあった。パネリストとして招かれた識者の発言の中から、筆者にとって興味深い部分を抜粋して、紹介したい。なお、紹介した部分についてのメモはあるが、表現には筆者の「編集」や「要約」も加味されていることをご容赦ください。
1 記者クラブメディアの現状についての上杉隆氏の指摘
・米国には軍と産業の複合体である産軍複合体があるが、日本には官僚機構を報道機関の官報複合体がある。記者クラブは2003年に韓国が廃止したので日本しかない。記者クラブメディアの記者は官庁が無料で提供する記者クラブ室に「出勤」する。 記者クラブメディアは普段は政府や官庁を批判しているふりをしているが、実は官庁と密接にして、気脈を通じている。 官庁も報道機関も単独では弱い存在かもしれないが、複合体(コンプレックス)を形成することによって誰も抵抗できない強い存在になっている。
2 検察のあり方についての郷原信郎氏の指摘
・今や検察が政治に介入しており、検察ファッショが懸念されている。検察そのものの能力も劣化している。このままの状態が放置されれば、今後10年の日本は非常に懸念される。村木事件で証拠を改ざんした大阪地検特捜部の前田前検事は証拠隠滅、犯人隠匿で片づけられようとしているが、本来は無実の人を罪に陥れようとしたのだから、より刑罰の重い公務員職権乱用罪(刑法193条、筆者注)で責任を追及すべきだった。ところが最高検は問題を矮小化して片づけようとしている。「検察の在り方検討会議」に私が起用されたのは、検察にとって、「あってはならない」ことだった。柳田前法相はわずか2ヶ月の在任期間だったが、検察改革に意欲を示してくれた。12月24日に検討会の報告が出る予定なので、注目してほしい。
3 小沢一郎氏への「弾圧」と戦前の帝人事件との類似性について平野貞夫氏の指摘
・戦前の帝人事件が一つの契機となり、日本の政党政治が弱体化し、ファシズムへの道を拓くことになった。昨年来の小沢一郎への検察の攻撃とメディアの報道ぶりは、帝人事件を想起させる。メディアが暴力化しており、情報ファシズムになっている。 そうした危険な現状に国会議員が危機意識を持たず、無抵抗であることは、嘆かわしい。国会議員は誰でも、いつでも検察やメディアによって、やられることを認識しなければならない。この抵抗のなさは、戦前の国会議員より劣っている。共産党までが、「検察がんばれ」とエールを送っている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1123:101213〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。