3/8 NO NUKES DAY(反原発統一行動)参加記
- 2015年 3月 9日
- 評論・紹介・意見
- 合澤清
春先はどうしても天気が不安定なものであるらしい。この日も午前中は雨模様、午後からどうやら雨はあがってきたものの、肌寒い天候だった。
この日の日比谷公園は、公園全体が「脱原発」「平和」「反戦」の声でうめつくされた感があった。
公園に一歩入ると、「大地の平和Peace on Earth」(今年で4回目)のテントが数多く設営され、多くの若い人たちがその周辺にたたずんで、飲食をしたり、ライブを聴いたり、「反原発」「戦争反対」などをシュプレヒコールをしたりしていた。
歌手の加藤登紀子さんも、その中の一つのテント掛けの舞台で、「レボリューション(革命)」や「ニューレボリューション」などを歌い、また軽妙な語り口で聴衆との対話を楽しんでいた。
89年の東西ドイツの統一に遭遇して「レボリューション」を作曲した時は、このまま世界が変わっていくだろうとの強い思いがあったそうだが、現実の政治はそう簡単なものではなく、雨や嵐が繰り返し吹きすさびながら、一歩進んではまた逆方向に揺り戻されることの繰り返しだった。
しかし、2011年の3月11日は、また彼女に新しい希望の力を与えたという。一人一人の力は弱いかもしれないが、やはり一人一人が変革の気持ちを抱いて地道に社会を革命していく以外方法は無いこと、このことを千葉の田舎での農業を通じ、また、福島をはじめ、東北の被災地の人たちとの交流を通じて痛感した。そして新たに作曲したのが「ニューレボリューション」だという。彼女の歌声に多くの人たちが同じていた。
13時から日比谷野外音楽堂で行われた「反原発集会」には、生憎の陽気にもかかわらず大勢の人たちが結集していたようだ。
我々は、多分入場できないだろうと考えて、しばらくは登紀子さんの歌やお喋りを堪能し、デモが出始めた頃、急いでデモの後を追いかけ、隊列のすぐ横の歩道を一緒に行進した。
デモ隊は、相変わらず小集団に分断され、信号ごとに立ち止まらされていた。参加者がまだまだ圧倒的に年配者が多いのが気になる。
そのまま「経産省前テントひろば」前まで来て、しばらくそこでたたずんでいたら、珍しく(?)「朝日新聞」の記者にインタビューされた。「原発事故の被害は、一部の人だけではなく、われわれ全員の生活を脅かしているのだから、反対運動にはより多くの人たちが、老若男女に関わらず参加すべきだろうと思う」というようなことを喋った。
「経産省前テントひろば」の責任者(当事者として起訴されている)の一人である、正清太一さんと、しばらく立ち話をする。大口昭彦弁護士が実質的な事務局長として頑張ってくれていること、困ったことがあればいつも彼に相談していること。また、少なくともあと10年位の内に日本の原発は「廃炉」されるのではないか、圧倒的な世論がこれを後押ししていることから考えて、この事だけは確信を持っているという。
正清さんと別れてから、再びデモの後を追いかけて国会の横まで行く。そこでデモ参加者たちと合流して、1時間ほどシュプレヒコールを繰り返した。
若い人たちの鳴り物入りの威勢の良い掛け声はなかなか良いものだ。
何とかこのまま、原発廃止を実現させ、原発輸出を止めさせ、併せて「安倍晋三の超反動的な内閣」を打倒したいものだ。そのためには、まず地方選挙からが第一歩だという先ほどの正清さんとの話をふと思い出しかみしめた。(以上、走り書きの参加記でした。)
初出:当日の動画を、三輪祐児さんの「UPLAN」から許可を得て転載
https://www.youtube.com/watch?v=H1lLY8e4cVU
https://www.youtube.com/watch?v=KcZvsT0IOe8
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5222:150309〕
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