傭兵と羊たちの嫉妬
- 2015年 3月 23日
- 交流の広場
- 藤澤豊
雇った本人も関係者も改善か一部の手直しくらいまでしか想像できない。雇った目的がその程度のことで達成できるのであればそれでもいい。経緯や個人の思いに引きずられることなく状況を見れば、今までとは違う、今までの自然延長線ではないことをしなければならないのが見えている。
同じようなことを同じようにやっていたら、よくて同じような結果にしかならない。結果を変えるため、結果を変え続けられる文化や組織を作り上げる作業を始める。初めての試みであって、今まであったものの改善ややり直し、建て直しではない。今までの延長線にはいられないが、言っても分からない。やって見せて果たしてどこまで分かるか。見えたことからだけでは見えたことを見せているもの-成長へのビジョンや戦略に気が付かない人も多い。
既存の営業活動は余程問題にならない限りそのまま続けていて欲しい。社の将来を左右する新規市場の開拓
を任務としているものには既存ビジネスに深く関わっている余裕がない。ましてや営業担当の日常業務の邪魔をする気もないし、彼(女)を押しのけて取って代わろうなど、疑われることすら心外以外のなにものでもない。日常の営業活動で事足りているところに出てゆくことはある。それは現状のビジネスから自分たちの能力を把握するためと一ケーススタディとして客の要望なりを理解しようとしてのことで、既存の営業活動への関与は最小限に留めたい。
将来に向けた市場開拓の話になると、即ビジョンだとか戦略というような言葉を口にして、迫ってくる人たちがいる。カバンを開ければそのようなものが出来上がったものとして出てくるものだと勘違いしているのだろう。そのような言葉、それなりに定義されたかたちで話すのは、多少本格的に戦略を遂行し始めるときまで待って欲しい。それも慎重に言葉を選びながら話すことで、軽々しく口をついて出てくるようなものではない。
まず自分たちが市場において、ご同業や関係者とどのような関係に立場にいるのか、その立場から近い将来どういう立場にいたいのか、いざるをえないのかの理解や希望を明確にしなければビジョンも戦略もありようがない。ここから初めて、半年くらいかかってもこれからこっちの方に進んで行く考え-Directionくらいしか明らかにできないことが多い。
もてる限りの情報やデータ、それらを読みきる市場理解をもってして、こうこうこうだからこうこうこうすればこうなるんじゃないか?こうこうこうからちょっと脇にずらしてあれをこうして、これをこうすれば、こういう展開もあるんじゃいか。思考実験を繰り返す。繰り返すなかでどの情報に重みをつけて、どの情報を脇に置いておくか、新しい情報があればし得る思考実験も違ってくる。思考実験のなかからいくつもの仮説を立てる。立てた仮説を持って客やパートナーや業界関係者、これと思うところにでかけていって立てた仮説のどこか是でどこが否なのか検証してゆく。
この過程で新しい領域が見えてくることも多いし、市場のどこをどこまで掘り進むのか-注力すべき領域が見えてくる。この段階になると思考実験の量も質も急速に確かなものになってゆく。思考実験から仮説を立てて、仮説の検証、そこから新しい情報、思考実験の質の向上へのスパイラルが進んで行く。
そのなかで市場のどこを取りに行くのか。そこではどんな生態系が待ち受けているのか。地盤を固めている同業他社のどの部分をつついて切り崩すのか、使える限りの情報から前哨戦の戦略もどきを書き上げる。前哨戦を始めれば戦略もどきの欠陥がいくつもでてくる。埋めきれない致命的な欠陥があれば、前哨戦を早々に切り上げてその市場を放棄する。
前哨戦でここは押し込む価値があるという手ごたえを得たら、前哨戦からゲリラ戦に戦の規模を拡大する。その過程でその市場は政治生命を賭けるに値すると判断すれば、戦略を公知して全力をあげて市場に切り込む。似たような作業をいくつかの異なる市場で遂行してゆくと、その延長線というより延長線を越えた新しい市場のあり方を描けるようになってくる。この段階で中期ビジョンの素案を公示する。
市場開拓といっても製品単体の営業資料、客へのソリューションを訴求した資料の作成。。。日常のこまごました作業がある。これも含めて業務を進めて行くのは基本的に一人作業になる。やることもやり方も最初から決まっているわけではない。状況に応じて常に後追いのバタバタ、やり直しが当たり前のかなり集中した作業になる。何のために何をどうするか経験や知識、志向に大きな違いのある人たちが集団になってやったら収集がつかない弊害の方が多い。
戦略を公知する段階辺りになってくると上司にあたる人たちや関係者にも何がどうなってきたのか、これからどうなってゆくのか、彼らなりの理解のレベルに過ぎないにしても見えてくる。見えてきたものが彼らがしてきたこと、今もしていることと似たようなことであれば、彼らの立場では問題にならないが、社としての将来には期待できない。見えてきたことが、このまま行けばいろいろな困難にぶつかりながらも次の時代を作り上げてゆく感じがあると、一口乗せてもらった方が得策と思う人たちもいれば、そんなことされたら、オレの、オレたちの立場がまずくなるのではないかと思いだす人たちもいる。思惑と不安が入り混じって関係者が陰に日にうごめきだす。
羊に率いられた羊の中には将来狼に化けるのがいることもある。ただ残念ながらほとんど場合、羊は何時まで経っても羊。羊の群れのなかで羊の将来のためを思って奮闘するのだが、かたちになってきたとたんに羊たちの嫉妬の方がもっと鮮明なかたちになってでてくる。
人の仕事に嫉妬している暇があったら、自分の仕事をすればいいだけなのだが、残念ならが羊たちの頭には今日は昨日の延長線、明日は今日の延長線、同じ事を同じようにやるだけの知恵と人の能力や努力に嫉妬するだけの心情しかない。
羊に混じった狼、率いた羊や率いられた羊をとって食おうなどと言う気は毛頭ない。何があっても身内の羊に手をかけるほど落ちぶれちゃいない。傭兵としての矜持を胸に仕事をさせて頂くだけ。羊がぐちゃぐちゃにして収拾つかなくなった問題を解決してしまうことが何度かおきると、立場がなくなることを気にしだす。そして傭兵が傭兵たる仕事をするのに必須の情報-しばし問題を起こした自分たちにミスを隠しだす。
狼同士の争いならお互い相手の力量は分かっている。要らぬ怪我などしないように、ある意味大人の付き合いもできるのだが、嫉妬に走った羊には手の施しようがない。羊同士で馴れ合いに嫉妬、付き合う度に閉口する。そのうちどこかの狼に、が落ちだろう。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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