原発と陶淵明
- 2015年 3月 24日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
3月は悲哀の月になってしまった。昭和20年・1945年3月10日と平成23年・2011年3月11日。10日も11日も俳句の季語になっているかも知れない。3月10日は、民衆の大量焼殺の日であった。それでも東京下町の復活は可能であった。昭和24年には焼野原が消えて、人々の貧しくも生活の活気が戻っていた。そこでは平和日本再建のイデーが民衆生活の芯となっていた。3月11日の場合、残念ながら、福島原発第一の周辺の村々町々の人影は絶無かまばらである。四年の歳月がすでに流れ去っているにもかかわらず。
「アウシュヴィッツ以後に詩は書けない。」と絶句したヨーロッパ文人がいたと言う。私は、著訳書『ハーグ国際法廷のミステリー 旧ユーゴスラヴィア多民族戦争の戦犯第一号日記』(社会評論社 平成25年)の著訳者肩書を「年金市隠」とした。気取りである。隠は隠らしく、大隠の古典の一角に触れようと、『陶淵明』(釜谷武志、角川ソフィア文庫)を開いてみた。万人の知る「帰去来兮」を読み出して、それこそ息をのみ、絶句し、そして悟った。「フクシマ以後に田園詩、閑適詩は書けないし、読めない。」
ここに「帰去来兮」の一部を引用する。そして釜谷武志の訳をそえる。
帰去来兮 さあ帰ろう、
田園蔣蕪胡不帰 田園は荒れ果てようとしているのにどうして帰らないのか。
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・ 10行省略
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乃瞻衡宇 やっと粗末なわが家が見えて
載欣載奔 喜んで走り出した。
僮僕歓迎 子供や下男がうれしそうに出迎えてくれ、
稚子候門 幼い子は門の所で待っている。
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・ 16行省略
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もはや、田園が荒れ果てても、故郷に帰って回復を試みる事さえ出来ない。幼児は、門の所におれない。「菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る。」の世界は、永遠に消滅してしまった。
ある高名な反原発弁護士の講演を聴いた。彼によれば、総括原価主義経営の電力会社のトップには、市場価格主義経営の一般企業に比較して、読書人、文化人、教養人がはるかに多い、と言う。そうすると陶淵明や白居易の世界を学者以上に楽しむ経営者がいるにちがいない。そんな文化人経営者が東洋文明の底流、田園詩、閑適詩の流れを断ち切ってしまったとは!
ところで、私=岩田は、総括原価方式に必ずしも反対ではない。総括原価主義経営であったからこそ、電力業界は、全原発の稼働がストップしても、日本の経済社会が必要とする電力を供給する余剰施設を抱え込んでいられたわけである。市場競争経営であったならば、今頃は、節電と停電に悩まされているだろう。市場は、X-非効率を許さないからである。
最後に、低年金市隠の七言絶句らしき一首
原発破裂四載前
計測線量於梅園
悄然遠望荒廃炉
毒素半減待永年
平成27年3月24日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5258:150324〕
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